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外伝08 ピンクドリーム
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酒場はいつも通りだ。下品な笑い声や注文の声、音も葉もない噂話に花を咲かせる男達がひしめき合っている。騒々しい夜の店内は橙の光で昼間のように照らし出され、週末ということも手伝って大変繁盛していた。
そんな中、一か所だけ人口密度が極端に低い場所があった。その中心にいるのはスピカである。
シャンデル王から、持ち色による偏見や差別を撤廃するようお触れが出されてから随分と経つが、一度根付いたこの手の慣習はそうそう無くなりはしない。持ち色が黒の者へあからさまに酷いことをする者はいなくなったが、こうして妙な距離を作る人がまだまだ多いのだ。
エアロスは、ボルクから「行けば分かる」とだけ言われていた。広い店内、すぐにスピカを見つけられるかと心配していた王子だが、すぐにその意味を知ることになる。エアロスは、変装していても王族らしい雰囲気が抜けきらない。周囲からの好奇の視線が注がれているが、それを全て無視して真っすぐにスピカの元へ向かった。
「待たせてしまって、すまない」
スピカはふっと顔を上げた。エアロスの第一声で、その後同じテーブルにつくか、すぐに帰るかを決めようと思っていたのに、案外普通に話しかけてきたので拍子抜けしてしまった。
「いえ、私も先ほど来たばかりです」
スピカの口調は硬い。
「無理を言って悪かったな。時間を作ってくれてありがとう」
「いえいえ、とんでもございません。こういった視察もしなくてはならないなんて、大変ですね」
スピカは、うっかり自分とエアロスの関係性の話にならないよう、できるだけ仕事中のようにふるまおうとしていた。
「視察なんかではない。こういう場所へ潜入するのは、私の仕事ではないからな。今日はもっと特別なこと。君に会いに来た」
スピカは反射的にエアロスから顔をそむける。会いたいという熱のこもった言葉に、うっかり陥落しそうになってしまったのだ。
(エアロス殿下って、こんなことをさらっと言うタイプだったっけ?)
エアロスが酒場へ到着してからというもの、スピカは調子が狂ってしまった。王城で仕事中にエアロスを盗み見したことは何度もある。王子特有のキラキラオーラと顔の良さは、どうしても目が引いてしまうのだ。エアロスは高貴な女性から声をかけられることが多いようだが、いつも笑顔でスルーするか、女慣れしていないたどたどしい返事しかしていないと記憶している。
(あんな頼りない王子が王位継承権第一位だなんてって心配していたけれど、やればできるタイプっていうことかしら?)
スピカがそう思ってしまうのも仕方がない。実はここまでのやり取り全てが、ボルクの筋書き通りだったのだ。
スピカとも付き合いが長くなりつつあるボルクは、その職業柄からもターゲットの行動の予測は容易い。また、ボルクは建前上ルーナルーナ兄弟の手助けとしてこの国にいるが、実際はダンクネス王国から放たれた密偵という立場もある。今後もダンクネス王国へ有益な情報を流し続けるためには、エアロスからの信用も確実にしておく必要があった。そういう理由で、多少は真面目にエアロスの力になることにしたボルクの努力が早速功を成し、見事スピカを騙しているのが今の状態なのである。
エアロスは、赤くなって俯いたスピカを見つめる。素直に、そんな彼女が可愛らしいと思った。冷静に考えれば、十人並みと呼ばれる容姿かもしれないが、エアロスには桃色の花が人知れず咲き誇っているようにしか見えない。
(確かボルクは、容姿も褒めろと言っていたな……)
エアロスは、ボルクによる猛特訓を思い返していた。隙あらば偉そうな態度に出てしまうエアロスは、相当な駄目出しを食らい、帝王学の授業の方がよっぽどマシだと思えたぐらいだった。しかし、こうしてスピカから好意的ともとれる反応が得られたとなれば、そんな苦労も報われる。
(しかし、褒めると言ってもどういう言葉を使えば良いのだ)
スピカが恥ずかしさを誤魔化すようにして酒をチビチビやっている間、エアロスは運ばれてきた自分の酒のグラスを目の前に悩んでいた。自分でも不思議なのだ。以前は心から忌避していたタイプの女性を好きになってしまうなんて。まさか『ルーナルーナのよう』だから、好きになってしまったのだろうか。それは否定しきれない事実だが、『好き』を語るための根本的な理由にはならない。
(君の存在があまりにも尊くて、例える言葉が見つからないなんて言ったら、さすがに引かれるか。うむ。でも可愛らしいのは仕方がない。きっと恋というものに理由を求めようとしているのが不毛なのかもしれないな)
エアロスは自分の想いについて勝手に自己完結すると、改めてスピカに向き直る。この酒場は席と席の間隔が狭い。少し身動ぎするだけで、スピカとエアロスの腕がこんにちはだ。
スピカは驚いたように目を瞬かせてエアロスを見た。二人は見つめ合う形になる。エアロスは涼しい顔を装いながら、内心では焦りまくっている。
(まずい。話題が続かない。……あ、そうだ! ボルク語録を思い出せ。あの奥の手を使えば良いではないか!)
エアロスは一度唇を強く噛みしめてから、おもむろに口を開いた。
「こういう店で、銀杯ではないグラスで飲むのは良いな。付き合ってくれて感謝する」
「……いえ。私にとっては慣れた店ですし」
「いや、そういうわけではなくてだな。私は立場がアレだ。そのためか、皆、私の前では気を張ってしまって、なかなか本音も言わない」
「もしかして、私既に不敬なことしましたか?」
「そう、それだ。そういうことでさえ、普通に口にしてくれる者はいない」
この世にこの身分で生まれ落ちた時から定められていたこととは言え、エアロスの周りには軽口を叩けるような者といえばリングぐらいしか言えない。そんなリングも、エアロスを王子としてか見ることはなく、それ以外を求めてくることは一度たりともなかった。
眉を下げて小さなため息をつくエアロス。彼なりに、自分の最大の弱みをスピカに見せたつもりだった。
(確かボルクは、感謝の気持ちと弱みを見せることが最大の武器だと言っていた。この手が効かなかったらどうしたら良いのだろう)
実はボルク、エアロスの頼りなさがさらに露呈し、スピカにフラれてしまえという思惑だった。だが、男女の恋愛は時に思わぬ方向へ転がっていく。
スピカは、きゅんっとしていた。
(王子って、やっぱり孤独なんだ。見ていたらいろんな責任負わされるみたいだし、張りつめた表情していることも多いし……。でも、今、私には素顔を見せてくれたってことだよね? そうだよね?)
スピカは心の中で自問自答を繰り返す。
(これって、もしかして、この王子は私に頼ってくれてるってことなのかな? まるで……年上扱いみたいじゃないの!)
スピカはルーナルーナの実の兄弟の中では一番下。いつも小さいのだから、まだ若いのだからと言われて不遇だと感じてきた。それが今、この国の王子に頼られている。これは栄誉なことであり、大いにスピカの自尊心をくすぐるものであったのだ。
(この王子、可愛いところもあるじゃない?)
そう思った瞬間、スピカの中で吹っ切れるものがあった。
「ねぇ、こっちのお酒も飲んでみて。美味しいよ」
スピカがエアロスに差し出したのは、彼女の飲み差しのカクテル。それは炭酸入りの桃色をしていて、この店では『ピンクドリーム』と呼ばれている甘めの酒だ。慣例的に、このカクテルを男に渡すということは、『あなたに気があります。これぐらいスイートな夢を見させてほしい』という意味になる。
(きっと王子様のこの人は、こんな遠回りな返事なんて気が付かないだろうけどね)
スピカはクスリを笑う。エアロスは、スピカから手渡されたグラスを見つめた。フルーティーな香りが鼻をかすめる。窓辺で嗅いだ白い花の香りと少し似ている。そして、ボルクの特訓メニューは知識面でも充実したものだったのだ。さらに言えば、エアロスは一応王子。勉学に関しては頭が良いのだ。つまり。
「これ、本当に受け取っていいんだな?」
今度はスピカが驚く番だった。
(もしかして、これの意味知ってるの?!)
しかし、もう後には引けない。しかも、ニヤリと笑ったエアロスはピンクドリームを一気に飲み干してしまった。もう、契約は成立してしまった。
エアロスは、硬直してしまったスピカの手をそっと握る。
「じゃ、二階行く?」
この店の二階は所謂連れ込み宿だ。酒場で良い感じになった男女が雪崩れ込む場所。茹で蛸のようになったスピカは慌てて首を横に振った。
「じゃ、って、さすがに誘うの早くない? 何なの? 欲求不満なの?」
「信頼できる女なんて、なかなかいないんだ。スピカぐらいなんだよ」
「何よ、それ。つまり私が初めてってこと? それ、可愛すぎるじゃない」
「いや、あの」
「でもせめて、後二、三杯飲んでからにしてよ。正気のままじゃ、侍女の分際でそんなこと。それに私、本当は軽い女じゃないんだからね? 今まで誰とも付き合ったこととかないんだからね?」
ここまでくると、取り乱しているのはスピカの方だった。王城勤めをしていると、夜の事情について耳年増になってしまう。この後起こるだろうことを想像すると、とても落ち着いてなんていられない。
「いいよ。今夜じゃなくていい。それにできればこんなところじゃなくて、もう少し静かな場所の方が良い。だから、いつか王城の私の寝室でね」
「え」
「約束だよ?」
次の瞬間、エアロスの無駄に良いイケメンスマイルが炸裂し、スピカのハートにクリティカルヒットをかました。
「はい」
気付けば、スピカは返事をしてしまっていた。これは、エアロスの手に堕ちた瞬間でもあった。
だが、スピカにも打算があった。
元々、姉のルーナルーナ大好き人間だったスピカ。王城に侍女として入ったのも、少しでも姉に繋る伝手が欲しいと思ってのことだった。もしこのまま流されて結婚してしまうと、おそらくスピカは王妃になってしまう。田舎育ちの彼女には荷が重すぎる立場になるが、そうなれば再びルーナルーナと会える確率も高まるのだ。スピカからすれば『何これ、案外おいしすぎる!』という話である。
その後、二人は一年間の交際期間を経て、さらに一年間の結婚準備期間を過ごした。準備期間中は、ミルキーナからルーナルーナの代わりとばかりに溺愛され、王妃教育を直々に受けて心身をすり減らすことになる。しかし、盛大な結婚式にはルーナルーナもキプルジャムを使って参列したので、スピカはそれだけでもエアロスと結婚して良かったと思えたのである。
結婚後は、庶民出身の妃とは思えない程、順調な結婚生活を送った。というのも、スピカが第二王子とも意気投合したのだ。これは浮気ではない。第二王子がスピカを師と仰ぐようになったのだ。というのも、スピカの隠れた特技が起こした奇跡と関係している。
きっかけは、毎年秋で行われる王家主催の猟のイベントだった。故郷では貧しい暮らしをしていたスピカは、幼い頃からほぼ自給自足を強いられていたため、弓で獣や食べられる魔物を倒すことができた。その弓の腕前がかなりのもので、弓を苦手とする第二王子から尊敬されるようになってしまったという経緯だ。
これまで性格について危険視されていた第二王子がスピカに懐いたということ。これは王家内のピリピリした空気を良くしたばかりか、世継ぎ争いの種が減ったこととも同義であった。スピカが師匠権限をふりかざし、第二王子にエアロスへ一生尽くすよう騎士としての宣誓をさせた日は、城の内外でそれはそれは大きな騒ぎとなった。こうして、第一王子派と第二王子派に分かれていた国内はスピカを中心に結束を強めるという、誰も予想だにしなかった未来が実現したのだった。
そんな中、一か所だけ人口密度が極端に低い場所があった。その中心にいるのはスピカである。
シャンデル王から、持ち色による偏見や差別を撤廃するようお触れが出されてから随分と経つが、一度根付いたこの手の慣習はそうそう無くなりはしない。持ち色が黒の者へあからさまに酷いことをする者はいなくなったが、こうして妙な距離を作る人がまだまだ多いのだ。
エアロスは、ボルクから「行けば分かる」とだけ言われていた。広い店内、すぐにスピカを見つけられるかと心配していた王子だが、すぐにその意味を知ることになる。エアロスは、変装していても王族らしい雰囲気が抜けきらない。周囲からの好奇の視線が注がれているが、それを全て無視して真っすぐにスピカの元へ向かった。
「待たせてしまって、すまない」
スピカはふっと顔を上げた。エアロスの第一声で、その後同じテーブルにつくか、すぐに帰るかを決めようと思っていたのに、案外普通に話しかけてきたので拍子抜けしてしまった。
「いえ、私も先ほど来たばかりです」
スピカの口調は硬い。
「無理を言って悪かったな。時間を作ってくれてありがとう」
「いえいえ、とんでもございません。こういった視察もしなくてはならないなんて、大変ですね」
スピカは、うっかり自分とエアロスの関係性の話にならないよう、できるだけ仕事中のようにふるまおうとしていた。
「視察なんかではない。こういう場所へ潜入するのは、私の仕事ではないからな。今日はもっと特別なこと。君に会いに来た」
スピカは反射的にエアロスから顔をそむける。会いたいという熱のこもった言葉に、うっかり陥落しそうになってしまったのだ。
(エアロス殿下って、こんなことをさらっと言うタイプだったっけ?)
エアロスが酒場へ到着してからというもの、スピカは調子が狂ってしまった。王城で仕事中にエアロスを盗み見したことは何度もある。王子特有のキラキラオーラと顔の良さは、どうしても目が引いてしまうのだ。エアロスは高貴な女性から声をかけられることが多いようだが、いつも笑顔でスルーするか、女慣れしていないたどたどしい返事しかしていないと記憶している。
(あんな頼りない王子が王位継承権第一位だなんてって心配していたけれど、やればできるタイプっていうことかしら?)
スピカがそう思ってしまうのも仕方がない。実はここまでのやり取り全てが、ボルクの筋書き通りだったのだ。
スピカとも付き合いが長くなりつつあるボルクは、その職業柄からもターゲットの行動の予測は容易い。また、ボルクは建前上ルーナルーナ兄弟の手助けとしてこの国にいるが、実際はダンクネス王国から放たれた密偵という立場もある。今後もダンクネス王国へ有益な情報を流し続けるためには、エアロスからの信用も確実にしておく必要があった。そういう理由で、多少は真面目にエアロスの力になることにしたボルクの努力が早速功を成し、見事スピカを騙しているのが今の状態なのである。
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(確かボルクは、容姿も褒めろと言っていたな……)
エアロスは、ボルクによる猛特訓を思い返していた。隙あらば偉そうな態度に出てしまうエアロスは、相当な駄目出しを食らい、帝王学の授業の方がよっぽどマシだと思えたぐらいだった。しかし、こうしてスピカから好意的ともとれる反応が得られたとなれば、そんな苦労も報われる。
(しかし、褒めると言ってもどういう言葉を使えば良いのだ)
スピカが恥ずかしさを誤魔化すようにして酒をチビチビやっている間、エアロスは運ばれてきた自分の酒のグラスを目の前に悩んでいた。自分でも不思議なのだ。以前は心から忌避していたタイプの女性を好きになってしまうなんて。まさか『ルーナルーナのよう』だから、好きになってしまったのだろうか。それは否定しきれない事実だが、『好き』を語るための根本的な理由にはならない。
(君の存在があまりにも尊くて、例える言葉が見つからないなんて言ったら、さすがに引かれるか。うむ。でも可愛らしいのは仕方がない。きっと恋というものに理由を求めようとしているのが不毛なのかもしれないな)
エアロスは自分の想いについて勝手に自己完結すると、改めてスピカに向き直る。この酒場は席と席の間隔が狭い。少し身動ぎするだけで、スピカとエアロスの腕がこんにちはだ。
スピカは驚いたように目を瞬かせてエアロスを見た。二人は見つめ合う形になる。エアロスは涼しい顔を装いながら、内心では焦りまくっている。
(まずい。話題が続かない。……あ、そうだ! ボルク語録を思い出せ。あの奥の手を使えば良いではないか!)
エアロスは一度唇を強く噛みしめてから、おもむろに口を開いた。
「こういう店で、銀杯ではないグラスで飲むのは良いな。付き合ってくれて感謝する」
「……いえ。私にとっては慣れた店ですし」
「いや、そういうわけではなくてだな。私は立場がアレだ。そのためか、皆、私の前では気を張ってしまって、なかなか本音も言わない」
「もしかして、私既に不敬なことしましたか?」
「そう、それだ。そういうことでさえ、普通に口にしてくれる者はいない」
この世にこの身分で生まれ落ちた時から定められていたこととは言え、エアロスの周りには軽口を叩けるような者といえばリングぐらいしか言えない。そんなリングも、エアロスを王子としてか見ることはなく、それ以外を求めてくることは一度たりともなかった。
眉を下げて小さなため息をつくエアロス。彼なりに、自分の最大の弱みをスピカに見せたつもりだった。
(確かボルクは、感謝の気持ちと弱みを見せることが最大の武器だと言っていた。この手が効かなかったらどうしたら良いのだろう)
実はボルク、エアロスの頼りなさがさらに露呈し、スピカにフラれてしまえという思惑だった。だが、男女の恋愛は時に思わぬ方向へ転がっていく。
スピカは、きゅんっとしていた。
(王子って、やっぱり孤独なんだ。見ていたらいろんな責任負わされるみたいだし、張りつめた表情していることも多いし……。でも、今、私には素顔を見せてくれたってことだよね? そうだよね?)
スピカは心の中で自問自答を繰り返す。
(これって、もしかして、この王子は私に頼ってくれてるってことなのかな? まるで……年上扱いみたいじゃないの!)
スピカはルーナルーナの実の兄弟の中では一番下。いつも小さいのだから、まだ若いのだからと言われて不遇だと感じてきた。それが今、この国の王子に頼られている。これは栄誉なことであり、大いにスピカの自尊心をくすぐるものであったのだ。
(この王子、可愛いところもあるじゃない?)
そう思った瞬間、スピカの中で吹っ切れるものがあった。
「ねぇ、こっちのお酒も飲んでみて。美味しいよ」
スピカがエアロスに差し出したのは、彼女の飲み差しのカクテル。それは炭酸入りの桃色をしていて、この店では『ピンクドリーム』と呼ばれている甘めの酒だ。慣例的に、このカクテルを男に渡すということは、『あなたに気があります。これぐらいスイートな夢を見させてほしい』という意味になる。
(きっと王子様のこの人は、こんな遠回りな返事なんて気が付かないだろうけどね)
スピカはクスリを笑う。エアロスは、スピカから手渡されたグラスを見つめた。フルーティーな香りが鼻をかすめる。窓辺で嗅いだ白い花の香りと少し似ている。そして、ボルクの特訓メニューは知識面でも充実したものだったのだ。さらに言えば、エアロスは一応王子。勉学に関しては頭が良いのだ。つまり。
「これ、本当に受け取っていいんだな?」
今度はスピカが驚く番だった。
(もしかして、これの意味知ってるの?!)
しかし、もう後には引けない。しかも、ニヤリと笑ったエアロスはピンクドリームを一気に飲み干してしまった。もう、契約は成立してしまった。
エアロスは、硬直してしまったスピカの手をそっと握る。
「じゃ、二階行く?」
この店の二階は所謂連れ込み宿だ。酒場で良い感じになった男女が雪崩れ込む場所。茹で蛸のようになったスピカは慌てて首を横に振った。
「じゃ、って、さすがに誘うの早くない? 何なの? 欲求不満なの?」
「信頼できる女なんて、なかなかいないんだ。スピカぐらいなんだよ」
「何よ、それ。つまり私が初めてってこと? それ、可愛すぎるじゃない」
「いや、あの」
「でもせめて、後二、三杯飲んでからにしてよ。正気のままじゃ、侍女の分際でそんなこと。それに私、本当は軽い女じゃないんだからね? 今まで誰とも付き合ったこととかないんだからね?」
ここまでくると、取り乱しているのはスピカの方だった。王城勤めをしていると、夜の事情について耳年増になってしまう。この後起こるだろうことを想像すると、とても落ち着いてなんていられない。
「いいよ。今夜じゃなくていい。それにできればこんなところじゃなくて、もう少し静かな場所の方が良い。だから、いつか王城の私の寝室でね」
「え」
「約束だよ?」
次の瞬間、エアロスの無駄に良いイケメンスマイルが炸裂し、スピカのハートにクリティカルヒットをかました。
「はい」
気付けば、スピカは返事をしてしまっていた。これは、エアロスの手に堕ちた瞬間でもあった。
だが、スピカにも打算があった。
元々、姉のルーナルーナ大好き人間だったスピカ。王城に侍女として入ったのも、少しでも姉に繋る伝手が欲しいと思ってのことだった。もしこのまま流されて結婚してしまうと、おそらくスピカは王妃になってしまう。田舎育ちの彼女には荷が重すぎる立場になるが、そうなれば再びルーナルーナと会える確率も高まるのだ。スピカからすれば『何これ、案外おいしすぎる!』という話である。
その後、二人は一年間の交際期間を経て、さらに一年間の結婚準備期間を過ごした。準備期間中は、ミルキーナからルーナルーナの代わりとばかりに溺愛され、王妃教育を直々に受けて心身をすり減らすことになる。しかし、盛大な結婚式にはルーナルーナもキプルジャムを使って参列したので、スピカはそれだけでもエアロスと結婚して良かったと思えたのである。
結婚後は、庶民出身の妃とは思えない程、順調な結婚生活を送った。というのも、スピカが第二王子とも意気投合したのだ。これは浮気ではない。第二王子がスピカを師と仰ぐようになったのだ。というのも、スピカの隠れた特技が起こした奇跡と関係している。
きっかけは、毎年秋で行われる王家主催の猟のイベントだった。故郷では貧しい暮らしをしていたスピカは、幼い頃からほぼ自給自足を強いられていたため、弓で獣や食べられる魔物を倒すことができた。その弓の腕前がかなりのもので、弓を苦手とする第二王子から尊敬されるようになってしまったという経緯だ。
これまで性格について危険視されていた第二王子がスピカに懐いたということ。これは王家内のピリピリした空気を良くしたばかりか、世継ぎ争いの種が減ったこととも同義であった。スピカが師匠権限をふりかざし、第二王子にエアロスへ一生尽くすよう騎士としての宣誓をさせた日は、城の内外でそれはそれは大きな騒ぎとなった。こうして、第一王子派と第二王子派に分かれていた国内はスピカを中心に結束を強めるという、誰も予想だにしなかった未来が実現したのだった。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
素敵な作品で1話目から一気に読ませて頂きました…(*' ꒳ ' *)/
胸がキュンキュンしてもう最高です。
これからも素敵な作品楽しみにしてます(⊃*´ω`*⊂)
そると様、お読みくださいまして、どうもありがとうございました。
一気読みしてくださったのですね!
二人の間には様々な壁がありましたが、努力や、互いを思う愛情で何とか乗り越えることができました。
お楽しみいただけで良かったです★