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第28話 健康な男子ならやってるんでしょ?

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「ただいまー」

 返事はない。いつもなら咲江さんが甘ったるい声で「おかえりなさい」と言ってくれるのだ。今の時間は午後6時46分。通常であれば咲江さんが帰ってきている時間だ。今日は遅いのだろうか?

「ん? ダイニング、電気付いてる? 咲江さんいるんですか?」

 俺はダイニングへ歩いた。ダイニングでは紗希がひとりでコンビニ弁当を食べていた。
 紗希はスマホの画面を見つめたままだ。

「咲江さんは?」
「今日から2週間、新婚旅行だけど。昨日言ってたでしょお母さん。聞いてなかったの?」
「は? 新婚旅行? 2週間?」
「そう。あの二人仕事忙しかったから去年は新婚旅行行ってなかったでしょ? だから、今日から新婚旅行なんだってよ」
「夏に沖縄旅行行ったじゃないか。あれ、新婚旅行じゃなかったの?」
「あれは家族旅行。私も兄さんもいっしょだったし。期間も2泊3日で短かったし」
「……どこに行ったんだよ、二人?」
「知らない。どっか南の島だって。あ、そうそう。これ、兄さんのぶん」

 すっと紗希が封筒を差し出した。

「なんだこれ?」
「2週間分の食費。ひとり2万円。これで晩ご飯食べろって。私のぶんはもう貰ったし、買ってきた。兄さんもなんか買ってきたら?」
「そうだな」
「ところでさ」
「なんだ」
「今日、カフェラテいらないから」

 一瞬、間。

「朝聞いたぞ、それ。LINEで」
「だっけ」
「ああ」
「だったね。ま、そーゆことだから」
「おう。わかった」

 限りなく感情を抑えて俺は言った。紗希がゆっくり俺を見た。

「明日もいらない。明後日もいらない。……ずーっといらないし」
「そういう訳にはいかないだろ。サキュバスにとってカフェラテは必須なんじゃないか?」
「大丈夫。使用済みティッシュ、勝手に貰っとくから。するでしょ? これ」

 紗希が右手を上下にシュッシュッと動かす。

「……なんだそれ?」
「え? わかんない? 健康な男子ならやってるんでしょ? ぴゅぴゅーってやつ」

 紗希が意地悪く笑う。俺はムッとして「いや、しないし」と返事した。紗希が鼻で笑う。

「嘘。するよ」
「しないったら」
「恥ずかしがらなくていいよ。私、ティッシュ貰ってたって言ったよね? ほぼ毎日回収できてたよ?」

 きゃは、と笑いながら、紗希は「ぴゅって出るの?」「気持ちいいの?」等ぶしつけな発言を繰り返した。母親が母親なら娘も娘。どっちも直球。恥じらいとかないのか、サキュバスには?

「飯買いに行ってくるわ」

 俺は封筒の中から2万円を抜き取る。

「ついでにえっちな本も買ったら、兄さん。そういうの、いるんじゃない? ぴゅ、ぴゅ、のためにはさ」
「いらねーし」

 紗希は返事しなかった。

 俺はコンビニへ向かった。なんなんだ、紗希。なんなんだ、あの言い方。

 確かに昨日は俺の言い方が悪かった。だが、その原因は紗希にあるだろ? 昨日の夜。お前と咲江さんはどんな風に喋っていたよ? 美味しくするには何を食べさせたらいいかとか、あまり搾り取ったら薄くなるだの……俺は乳牛か!? 極めつけはお前の態度だ。何度も俺のマシンを指差して「兄さん」と言ってたじゃないか? あれが本心なんだろ、紗希?

 サキュバスは精霊でも妖精でもない。化け物だ。

 決めた。今日から出さない。我慢してやる。紗希のやつめ、ゴミ箱にティッシュがないのを見て慌てるだろうな。だって、命に関わるんだろ? 週に1回は摂取する必要があるんだろ?
 こっちは全然大丈夫だ。一週間どころか一ヶ月だって我慢できる。やったことないけど。命どころか健康にも影響がないんだからな。この勝負、絶対俺が勝つ。

 紗希はそのうち泣きついてくるに違いない。土下座して「濃ゆいの飲ませて兄さん」と言ってくるに違いない。そうなったら、考えてやろう。俺だって鬼じゃない。サキュバスは飲まないと死ぬわけだから、ちゃんとカフェラテ飲ませてやるさ。

 でも、その際、ちょっと意地悪してやろう。なかなか出ないから、とかいって、色々要求しよう。カフェラテの対価としては文句ないだろ? 減るもんじゃないし。

「ふう」

 深呼吸してコンビニに入る。陽気なチャイムがお出迎えだ。弁当コーナーで適当なのをチョイス。レジへ行こうとして気がついた。なんか見覚えのある顔がこっちを見ている。人間ではなかった。コミックス表紙の人物が俺を見ていた。

「これか……」

 萌夢ちゃんのエロマンガ——じゃなかった、BLマンガの元ネタ最新刊があった。アニメ化、映画化もされた大人気少年マンガだ。表紙を見て俺は苦笑いする。

「これの主人公であんなエロマンガねぇ……。萌夢ちゃん、あんな顔してエロいなあ」

 萌夢ちゃんか。そういえば……萌夢ちゃん、弟と風呂に入っているって言ってたな。すげー。

 コンビニを出て家に着くと、もうダイニングに紗希はいなかった。風呂場の方で音がする。入浴中のようだ。一瞬、紗希の裸体を想像した。頭を振ってそれを追い払う。

 俺はコンビニ弁当を食べ、紗希のいなくなった風呂に入り、寝た。
 紗希はカフェラテしに来なかった。
 そしてもちろん。俺もアレを我慢した。

♡ ♡ ♡

 翌日の木曜日も、金曜日も、そして土日も紗希はカフェラテを要求しなかった。
 さすがに日曜日は我慢が出来なかったらしく、深夜、俺の部屋に来てゴミ箱をあさっていた。だが丸まったティッシュは一つもない。なぜなら、俺は我慢中。ゴミ箱にあるのはただのゴミ。

 紗希はがっくり肩を落として自室に戻っていった。
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