「水に溶ける恋」花と読み解く物語

田丸哲二

文字の大きさ
7 / 43

不二桜

しおりを挟む
 白い浮雲の空の下に五重の塔があり、水の錬金術師・水樹洋介は京都の東寺の境内に咲き誇る八重紅しだれ桜、高さ13m、枝張り10mという巨大な桜の木の前に茫然と立っていた。

 斜め前に立札があり、[花が八重咲きになる八重紅しだれ桜は弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と名前が付けられた。]と書いてある。

「不二」は唯一無二を意味し、空海の求めた絶対的な仏法で、『大毘盧遮那成仏神変加持経(毘盧遮那経または大日経)』の教えに見出した。

『二人であれど、ひとつに成れる。つまり、不二であると言う事か?』

 そしてこの付近の高校を卒業した男女が二人、その満開の桜の樹の下である約束を結んでいるシーンが映し出された。

「別々の道を歩むのですね?」

「そうだよ。二人の恋は永遠に秘密にしよう。君が夢を追いかけるのを僕は見守り、命をかけて応援するから」

「永遠とは、命尽きるまで?」

「うん。この桜の押し花だけが、僕らの恋を知っている。年に一度だけ、桜の季節に逢えたら嬉しいな」

 身分の違いで親から交際を猛反対されただけでなく、映画のオーディションに受かった彼女は恋を禁じられ、彼氏は身を引く事を決意してこの提案をした。

 二人はこの春から別々の道を歩み、過去も未来も秘密の恋として、この時に約束の契りを交わしたのである。

 そして若い男女の恋のゲームは年老いてからも続き、永遠の秘密として不二桜の押し花に封印された。

 二人とも結婚はせず、春の季節に一度だけ濃密な愛を交わす。それは許されなかった悲運の恋への当て付けでもあったが、子供を授かったことで愛情へと変わり、男はひっそりと娘の成長を桜の木のように見守り続けた。

 桜の押し花は毎年贈られたが、本に挟まれた押し花は二人が約束を交わした封印の証であり、男の方が持っていたが、TVのニュースで昭和を代表する女優が病気になり死期が近いと知った庭師は本に挟んだまま雇い主に渡した。

 晩年は庭師として春に訪れるだけで、殆ど言葉を交わす事もなくなっていたのである。

 ページが土で少し汚れていたのは父親として存在した事の自分への証明。

 洋介はそこまで隠し通す必要があったのだろうかと不思議に思ったが、押し花の封印が強過ぎたのかと推測し、これだけ鮮明に過去が再現されたのも強くて深い念が込められていたのだと納得した。

『その想い、受け取りました……』

 洋介はそう心の中で呟き、桜の押し花の想いを聞き終えて現実に戻った。暫し、残り香で意識が朦朧としていたが、テーブルのコップから成長した桜の木の幻影は消え視界は明瞭である。

 依頼主の吉川弓枝は波紋で揺れていたコップの水が止まり、洋介の瞑想が終わったと気付いた。穏やかな表情で微笑みかけて、不安と期待を感じながら話しかけた。

「わかったのですね?」

「ええ、こんなに長い回想シーンを観たのは初めての経験です」

 瞑想していたのは2~3分だったが、洋介は哀しい恋愛映画を早送りで一気に鑑賞した気分だった。しかし疲れを見せずに手短に説明し、後は二人に任せようと決めていた。

「お母さまは若い頃に恋をし、貴方は唯一無二の存在として育てられた。その桜の押し花は京都の東寺の八重紅しだれ桜、不二桜の押し花です」

「不二桜?」

「はい。詳しくは毎年雇っている京都の庭師に直接聞いてみてはどうですか?すべてはその人が知っています」

「確かに母が京都の有名な庭師だと言ってた気がします。でも、その人は私に話してくれるのでしょうか?」

 依頼主は洋介を困惑の瞳で見つめている。母が亡くなっても名乗る事もしなかった人が、長い間秘密にしていた事を打ち明けるのだろうか?

「学生時代に恋に落ちた純粋な二人は、それを永遠の恋として桜の押し花に封じ込めた。しかしもう押し花は水に溶けて、結界は解かれたのです。水の錬金術師がそう言っていたと伝えてください」

 洋介はそれだけ言って帰る準備を始めた。父親が誰なのかは本人が告白すべき案件であり、
最期まで秘密を守った二人への洋介なりの敬意であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...