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心の火薬庫
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ランチを食べ終えて店に客が現れ始めた頃、電話に出た姉が二階へ上がって洋介に伝言を伝えに来た。洋介はジャケットに着替えて、道具箱も持って出かける準備をしていたが、残念なお知らせを聞く。
「吉川さん。なんか都合が悪くなったみたい。次回、絶対に時間を作るから逢いましょう。だって」
洋介はそう言ってドアを閉めた姉の俯いた表情を見て、守護者も嫌な予感がしたんだと思った。しかし気を取り直して、窓側の机の前に座って道具箱を開く。
「大丈夫。こっちにも策はあるぞ」
机の上には数日前にカラーの女が待って来た三種の花がブルーの細長い硝子花瓶に飾ってあった。それを窓からの陽射しに透かして、洋介はコップの中にミネラルウォーターを注ぎ込んんだ。
『隠された悪意を水に溶かす……』
吉川弓枝は玄関のインターホンを押して現れた男性に懇願されて、仕方なく水樹洋介との約束を断り、城田英人と名乗った男性を中庭の望める離れの和室に通した。
「すいません。突然、勝手なお願いを聞き入れてもらい感謝しています」
「いえ、星川さんが危険だとおっしゃるのなら、何に変えても優先すべきですからね」
弓枝は城田英人に渡された名刺を見て、友人である星川鈴美のパートナーだとすぐに理解した。明日、鈴美が娘の件で水樹洋介に花占いを依頼している事も知っている。
「鈴美さんには事細かく、不思議な花と水の占い師について聞かれ、やり方もご説明したのですよ」
「はい。その事も承知しています」
弓枝は廊下を一緒に歩きながら、この長髪で背の高い男性の美しい横顔を見て、心が押し潰されそうな威圧感と魅惑的なオーラを全身で感じていた。
アルマーニのスーツもイタリア人と見間違う程に着こなしている。貴族の気高さも持ち合わせ、女性を虜にするコロンを匂わせているようだ。
「それで星川さんが心配とは、どうい事なのでしょうか?」
吉川弓枝は洋介を招いた時と同じ位置に座って一枚板のテーブルを挟んで対面したが、今回本を差し出したのは相手の城田英人の方である。(前回は弓枝が『アルジャーノンに花束を』という本のページに桜の押し花を挟んで洋介に渡した。)
「この物語です」
それはゲーテが書いた『若きウェルテルの悩み』という書簡体小説であった。
(青年ウェルテルが婚約者のいる女性シャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望して自殺するまでを描いている。出版当時ヨーロッパ中でベストセラーとなり、主人公ウェルテルを真似て自殺する者が急増するなどの社会現象を巻き起こした。)
「読んだことはありますが、星川さんと何か関係があるのですか?」
「シャルロッテですよ。星川さんの美しい娘はこの物語と同じ境遇にある。水樹洋介は純白の花に恋をして母親を恨んでいる」
城田英人はそう言って、ポケットから黒い革張りの小さなケースを取り出した。蓋を開けると中には赤珊瑚のライターと象牙と火薬の粉が窪みの中に詰められてあった。
「私は黒く燃え上がる邪念を読み取り、炎に映し出す事ができます」
「嘘でしょ?だって、洋介さんはこの前、星川さんと花屋で会ったばかりの筈ですよ」
「ええ、それから彼は星川さんと娘さんの情報を短期間で調べ上げました。吉川さんにも問い合わせがあったのではないですか?」
「言われてみれば、何度かお姉さんから電話があったけど」
「水の錬金術師が白い花を読み取り、シャルロッテに恋をしたのは明白。何しろ、心の美しさまで知ってしまったのですからね。そしてウェルテルは叶わぬ恋に悩み、星川さんを恨み自殺を考えている」
「信じられません」
しかし弓枝はその証拠を見せられた。水の錬金術師を信じていたので、火の錬金術師の演出を素直に受け入れたのも致し方なかった。
「恋に狂う者は炎の中に夢を見るのです」
城田英人はそう言って、本を開いて手品のようにライターと二種類の粉を指で摘んで本の上で火をつけて燃え上がらせた。
「洋介さん。まさか……貴方が?」
その赤い炎の中に、妖しく揺れる草花と一緒に水樹洋介が『毒モデルめ』と睨んでいる姿が映し出された。しかも目の前に立つ星川鈴美へ『殺してやる』と憎悪のこもった声で呟くのが聴こえる。
「心の声ですよ。私は恋に狂う者の声を火に映し出す事ができる。彼を上回る火の錬金術師なのです」
火のスクリーンに映された映像はカラーの女が花屋に訪れた時のものであるが、部分的に加工されたフェイクだった。城田英人は洋介が依頼者が持って来たスズランの花束を見て、毒モデルが現れたと敵意を剥き出しにする事を読んでいたのである。
城田英人は人の心を操る天才的な詐欺師であった。情報をコントロールし、悪意と疑惑を生み出して人間の感情を燃え上がらせて操る。
『人間の心は火薬庫。マッチ一本で燃え上がり、恋に焦がれて灰となる』
その呪文のような呟きで吉川弓枝は火の幻影に魅せられ、衝撃で心が揺れて乱れた。冷静に考えれば時間系列も変だし、小説の引用も信憑性はない。
しかし最後に洋介が白いワンピースを着た若く美しい女性を抱きしめてキスをしている幻影を見せられ、心のロウソクに嫉妬の火が灯った。
「洋介さん。な、何故なのですか?」
恋する女は騙しやすい。吉川弓枝が洋介に密かな想いを抱いていると城田英人は見抜いていた。星川鈴美に水の錬金術師への依頼を勧めたのは彼を自慢したかったからである。
「彼のことが好きなのですよね」
弓枝は炎に頬を紅くし、慕情の涙を瞳に潤ませて頷いた。催眠術にかかったように虚な表情で火の錬金術師を崇めている。
「この件は私にお任せください。彼が間違いを犯さないよう、明日止めてみせますから、吉川さまは彼に何も言わずに見守っているのです」
「わかりました。宜しくお願いします」
その返事を受けて城田英人が手のひらで本の上の炎を掻き消すと、吉川弓枝は現実の世界に舞い戻り、普段の表情に戻って苦笑いした。
「嫌だ。何か夢でも見てたみたい。私、何か変なこと言ってなかったですか?」
「いえ、同じ物語が共有できました。私が指示するまで秘密にしてくださいね」
「吉川さん。なんか都合が悪くなったみたい。次回、絶対に時間を作るから逢いましょう。だって」
洋介はそう言ってドアを閉めた姉の俯いた表情を見て、守護者も嫌な予感がしたんだと思った。しかし気を取り直して、窓側の机の前に座って道具箱を開く。
「大丈夫。こっちにも策はあるぞ」
机の上には数日前にカラーの女が待って来た三種の花がブルーの細長い硝子花瓶に飾ってあった。それを窓からの陽射しに透かして、洋介はコップの中にミネラルウォーターを注ぎ込んんだ。
『隠された悪意を水に溶かす……』
吉川弓枝は玄関のインターホンを押して現れた男性に懇願されて、仕方なく水樹洋介との約束を断り、城田英人と名乗った男性を中庭の望める離れの和室に通した。
「すいません。突然、勝手なお願いを聞き入れてもらい感謝しています」
「いえ、星川さんが危険だとおっしゃるのなら、何に変えても優先すべきですからね」
弓枝は城田英人に渡された名刺を見て、友人である星川鈴美のパートナーだとすぐに理解した。明日、鈴美が娘の件で水樹洋介に花占いを依頼している事も知っている。
「鈴美さんには事細かく、不思議な花と水の占い師について聞かれ、やり方もご説明したのですよ」
「はい。その事も承知しています」
弓枝は廊下を一緒に歩きながら、この長髪で背の高い男性の美しい横顔を見て、心が押し潰されそうな威圧感と魅惑的なオーラを全身で感じていた。
アルマーニのスーツもイタリア人と見間違う程に着こなしている。貴族の気高さも持ち合わせ、女性を虜にするコロンを匂わせているようだ。
「それで星川さんが心配とは、どうい事なのでしょうか?」
吉川弓枝は洋介を招いた時と同じ位置に座って一枚板のテーブルを挟んで対面したが、今回本を差し出したのは相手の城田英人の方である。(前回は弓枝が『アルジャーノンに花束を』という本のページに桜の押し花を挟んで洋介に渡した。)
「この物語です」
それはゲーテが書いた『若きウェルテルの悩み』という書簡体小説であった。
(青年ウェルテルが婚約者のいる女性シャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望して自殺するまでを描いている。出版当時ヨーロッパ中でベストセラーとなり、主人公ウェルテルを真似て自殺する者が急増するなどの社会現象を巻き起こした。)
「読んだことはありますが、星川さんと何か関係があるのですか?」
「シャルロッテですよ。星川さんの美しい娘はこの物語と同じ境遇にある。水樹洋介は純白の花に恋をして母親を恨んでいる」
城田英人はそう言って、ポケットから黒い革張りの小さなケースを取り出した。蓋を開けると中には赤珊瑚のライターと象牙と火薬の粉が窪みの中に詰められてあった。
「私は黒く燃え上がる邪念を読み取り、炎に映し出す事ができます」
「嘘でしょ?だって、洋介さんはこの前、星川さんと花屋で会ったばかりの筈ですよ」
「ええ、それから彼は星川さんと娘さんの情報を短期間で調べ上げました。吉川さんにも問い合わせがあったのではないですか?」
「言われてみれば、何度かお姉さんから電話があったけど」
「水の錬金術師が白い花を読み取り、シャルロッテに恋をしたのは明白。何しろ、心の美しさまで知ってしまったのですからね。そしてウェルテルは叶わぬ恋に悩み、星川さんを恨み自殺を考えている」
「信じられません」
しかし弓枝はその証拠を見せられた。水の錬金術師を信じていたので、火の錬金術師の演出を素直に受け入れたのも致し方なかった。
「恋に狂う者は炎の中に夢を見るのです」
城田英人はそう言って、本を開いて手品のようにライターと二種類の粉を指で摘んで本の上で火をつけて燃え上がらせた。
「洋介さん。まさか……貴方が?」
その赤い炎の中に、妖しく揺れる草花と一緒に水樹洋介が『毒モデルめ』と睨んでいる姿が映し出された。しかも目の前に立つ星川鈴美へ『殺してやる』と憎悪のこもった声で呟くのが聴こえる。
「心の声ですよ。私は恋に狂う者の声を火に映し出す事ができる。彼を上回る火の錬金術師なのです」
火のスクリーンに映された映像はカラーの女が花屋に訪れた時のものであるが、部分的に加工されたフェイクだった。城田英人は洋介が依頼者が持って来たスズランの花束を見て、毒モデルが現れたと敵意を剥き出しにする事を読んでいたのである。
城田英人は人の心を操る天才的な詐欺師であった。情報をコントロールし、悪意と疑惑を生み出して人間の感情を燃え上がらせて操る。
『人間の心は火薬庫。マッチ一本で燃え上がり、恋に焦がれて灰となる』
その呪文のような呟きで吉川弓枝は火の幻影に魅せられ、衝撃で心が揺れて乱れた。冷静に考えれば時間系列も変だし、小説の引用も信憑性はない。
しかし最後に洋介が白いワンピースを着た若く美しい女性を抱きしめてキスをしている幻影を見せられ、心のロウソクに嫉妬の火が灯った。
「洋介さん。な、何故なのですか?」
恋する女は騙しやすい。吉川弓枝が洋介に密かな想いを抱いていると城田英人は見抜いていた。星川鈴美に水の錬金術師への依頼を勧めたのは彼を自慢したかったからである。
「彼のことが好きなのですよね」
弓枝は炎に頬を紅くし、慕情の涙を瞳に潤ませて頷いた。催眠術にかかったように虚な表情で火の錬金術師を崇めている。
「この件は私にお任せください。彼が間違いを犯さないよう、明日止めてみせますから、吉川さまは彼に何も言わずに見守っているのです」
「わかりました。宜しくお願いします」
その返事を受けて城田英人が手のひらで本の上の炎を掻き消すと、吉川弓枝は現実の世界に舞い戻り、普段の表情に戻って苦笑いした。
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