「水に溶ける恋」花と読み解く物語

田丸哲二

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ひとひらの汚れた花びら

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 そしてある雨の日、学校で事件が起こった。最近息子の様子が変だと幸哉くんの母親が担任教師に相談しに来て、登校した筈の息子が欠席していると知り、教員室で騒ぎ出したのである。

 もし息子がイジメられて生徒から危害を加えられているのなら、警察に連絡して学校を訴えてやると喚き散らし、慌てた校長が教師に指示して手分けして校舎を隈なく探したが見つからず、授業を中断して担任教師がイジメの実態を調査し始めた。

 教室が不穏な空気で静まり返り、俯いている生徒の席にイジメについてのアンケート用紙が配られている中、優花が帰る用意をして突然立ち上がった。

「先生、わたしがユキヤくんを絶対に見つけます。イジメの調査なんて意味ないから」

 優花はそう言って、教室を出ると教師と生徒に注目されながら廊下を走って玄関へ向かった。スマホには幸哉くんからLINEの書き込みがあり、友だちを守らねばとそれだけを心に誓う。

[助けて、優花。]


[どこにいるの?]

 優花は再開されたLINEにそうコメントして、玄関で靴を履き替えながら師匠に電話した。すると洋介は詳しい事情も聞かずに、すぐに車で迎えに行くと即答してくれた。

「待ってろ、すぐに着くから」

 黄色い傘をさして真っ直ぐに校庭を行く優花を校舎の一階の教室の窓から奈々子が目を細めて眺め、「眩しいよ。優花……」と呟き、アンケート用紙に視線を落とす生徒たちの心に雨音を響かせた。

 そして学校の門を出た通りで優花が待っていると、店の軽ワゴン車を洋介が運転して助手席に母を乗せ、水飛沫を上げて走って来て目の前に止めた。
 
「優花、早く乗りな」

 母が外に出て後部席のドアを開けて優花を招き入れ、助手席に戻ると洋介が行き先も聞かずに車を発進させた。

「早かったね。お母さんも来てくれたんだ」

 潤んだ瞳を輝かせて優花が嬉しそうに言うと、母が助手席から振り返って雨滴の流れる顔で微笑んだ。

「もちろんだよ。友だちを守れって言ったのは私だからね。それに洋介が朝から雨雲を見て心配してたからさ」

「連絡はあったか?」

「うん、助けてとだけ。どこ行ったんだろ?」

「朝からだと、遠出してるかもな」

 洋介は姉に幸哉くんが学校でイジメられていると聞き、あの萎れた薔薇の花の想いを聞いた時を検証し、一つ見落としていた事に気付いた。引っ越して来た家族の中に父親の存在が希薄きはくだった。


「父親について、何か聞いてないか?」

「えっ、なんで?」

「前回占った時、匂いというか、存在感がなかった」

「そういえば、花を何度か届けたけど、一度も見てないわね」

 優花は母からもそう言われ、LINEのコメントを見直して首を傾げながら答えた。週末には帰って来ると書いてあるが、もしかして嘘なのだろうか。

「両親の事で悩んでたのは確かだけど、関係あるかな?」

 洋介は車を走らせて薄紫色の弁慶藤で有名な白旗神社を通り過ぎ、江ノ電の藤沢駅前を徐行して窓を全開にした。そして薄目で雨のカーテンに右手を差し出して指で爪弾く。

「ここに来て、電車に乗った……」

 指先で雨を感じ、数時間前に青紫色の傘をさしてリュックを背負って歩く幸哉くんの幻影を水の流れるサイドミラーに映し出す。

[助けて、優花。]

[どこにいるの?]

 その時、LINEのコメントの返信が書き込まれ、優花がスマホを握り締めて悲しそうな声で読み上げた。

[大好きな紫色の中。僕の心は二つに千切れた。ごめんね。優花……]



「紫色?だったら紫陽花あじさいだね」

 姉が並木道を濡らす雨を見てそう呟き、洋介は頷いてアクセルを踏み込んでスピードを上げた。さっき白旗神社を通り過ぎた時に湧き上がった藤の薄紫色の花のイメージがいざないのサイン?

「神社か、お寺……。幸哉くんは江ノ電に乗って鎌倉へ向かった」

「鎌倉で紫陽花と言ったら、明月院か長谷寺、それか東慶寺かな?」

「そういえば幸哉くん。まだ大仏観てないって言ってた」

 高徳院大仏から長谷寺は観光コースになっている。優花が慌ててLINEに[長谷寺にいるの?]と書き込み、電話もしたが繋がらない。

「姉貴、長谷寺に電話してくれ。少年が行方不明になり探している。目印は青紫の傘とリュック。これからそっちへ向かうが、探して欲しいと」

 洋介がそう言って、フロントガラスを叩く激しい雨を睨んで車を疾走させた。後部席には道具箱が置いてあり、ふと優花がそれに視線を落として呟いた。

「大丈夫だよね?」

『僕の心は二つに千切れた』とは何を意味するのか?洋介はなんとなく想像できたが、口に出す気にはかれなかった。車内には姉が長谷寺に問い合わせする声だけが響いている。


 数十分後、洋介たちは長谷寺に着いて係員と一緒に「あじさい路」と呼ばれる眺望散策路を捜索し、紫陽花が咲き乱れる幻想的な花雲の下に倒れている少年を発見した。

 顔に殴られた痣があり、唇が切れて泥水で汚れた身体が落ち葉に埋もれている。

 すぐに救急車が呼ばれ、雨に凍えて擦り傷だらけの少年が担架で運ばれて行く。優花はそれを追って声をかけたが、幸哉は気を失ったまま何も答えられなかった。

「幸哉くん……」

 そして優花は幸哉くんのずぶ濡れの服に付着した、ひとひらの汚れた花びらを手に取り、茫然と雨に打たれながら涙を流して立ち尽くした。

 長谷寺の前には観光客が集まり、タクシーで駆け付けた母親がその間を駆け抜け、優花を追い越して救急車へ乗り込むと走り去った。

「優花。行くぞ」

 駐車場から車を出した洋介が運転席からそう呼ぶと、優花が涙を流しながら振り向き、走り寄って傘を差し出した母の胸に飛び込み、由香里は娘の肩を抱き締めて車へ向かう。

 病院の場所は聞いてあったので、洋介は姉と優花が乗り込むと悲しみの降り続く雨の中へ車を走らせた。
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