兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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十三 考え込む人々

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「調査か。・・・・・・すると、この俺は、ゴロデリア王国に仇なす大悪人という事にでもなっているのかな?」
 ハンベエは薄笑いを浮かべながら言った。汚い真似をしたベルガンの敵討ちにゴロデリア王国が乗り出して来るというなら、相手になってやるぜ。という口振りである。
「いや、今回の事件は決闘に端を発したものだから、罪に問われる事はないと思う。ベルガンが卑怯な振る舞いをした事も明らかにする方向にするよう、上の方に進言している。ただし、俺は証言者にはなれないがね。」
 ボーンは心配は無用という風に言った。
「むしろ、ベルガンの身内は気の毒な事になるかもな。」
「身内?・・・・・・あの悪党野郎にも身内が居たわけだ。」
「身内って誰なのお?」
「若い奥方と幼い男の子が二人、三才と一才かな。今度の事件をきっかけにベルガンの職務執行実績が洗いざらい調査される事になるはずだ。そうなれば、財産没収にまで進展する可能性が高い。で、残されたベルガンの遺族は路頭に迷うって事になるかもな。」
「路頭に・・・・・・。」
「ま、気にしてもしょうがないだろう。今のご時世、今日も大勢の人間が行く当てもなく暮らしているのだからな。」
「何だかちょっと可哀想だね。」
 ロキが何気なく言った。
「でも、悪いのはベルガンの方だからねえ。」
「そうだな。それにこの俺だって正義の味方で、世界を救おうとしているわけじゃない。気にしても始まらないな。」
 ハンベエはベルガンの身内に対し、多少心を痛めた様子であったが、気を取り直したように言った。
「ボーンさんの話はおしまい?」
 ロキがボーンに尋ねた。
「一応、終わりだが・・・・・・何か?」
「実はね、ハンベエが風呂に入りたいって言うから、それなら、ゲッソリナ名物のラシャレー大浴場に行こうって話になってたんだ。」
 ラシャレー大浴場・・・・・・これこそ、ゴロデリア王国宰相ラシャレーが、多大な政治的情熱を傾けて作り上げた一大施設であった。
 収容人員一千人。ラシャレーの方針により、最低身分の者も低料金で入れるようになっている。
 この時代、風呂はさほど普及していない。というより、入浴という習慣さえ、一部の好事家の間に流行り始めているだけで、大概は行水で事を済ましている。人々は困った事に存外不潔であった。
 ハンベエは入浴の習慣があった。理由は、師のフデンが風呂好きであったからである。フデンは自家用の風呂を手作りで作り、その風呂を沸かして準備するのがハンベエの毎日の仕事だったのだ。で、師の入った後は、その風呂はハンベエが使う事になっていた。
 フデンは、どこでその習慣を身につけたものか、大の風呂好きであったのである。結果として、ハンベエも風呂好きであった。
 山を降りて、風呂の事はすっかり忘れていたが、今日、フナジマ広場の近くの小川で体を洗っていた時に、風呂の事を突然、思い出したのである。
 ボーンにも異存はなく、三人でラシャレー大浴場に行く事になった。

 意外や、ラシャレーという嫌われ者の政治家はこんな物を作っていたのだ。
 何故?・・・・・・理由は古代ローマ人にでも聞いてくれ。

「で、ハンベエ達は大浴場へ行ったのか?」
「そういう事ですな。」
 例によって、ラシャレーは早朝の執務室で『声』の報告を受けていた。
「あの大浴場に入るには武装解除されるはずだぞ。」
「そうですな。別に気にもせず、武具一式、係の者に預けたようですな。」
「ふむ、意外に解らん男だの、そのハンベエという男。」
「そうですな。無用心というか。しかし、ベルガン一派があっさりやられてしまうとは、驚きですな。」
「・・・・・・そちは、期待していた風ではなかったか?」
「はあ、しかし三十七人ですからな。予想外ですな。」
「ふむ、化け物じみた奴じゃわい。」
「話は外れますが、大浴場に入ったハンベエは、あれを作ったのがラシャレー閣下と知って、エラク宰相の事を誉めてたそうですな。」
「ほう・・・・・・そのハンベエという化け物に下手に手出しして、これ以上被害者を出すのも考えものという事になってきたな。」
 誉められて悪い気のする人間はいない。昨日まではハンベエが片付けられるのを待っていた風情のラシャレーの言葉付きが変わっていた。
「そうですな。しかし、王女に届けられた手紙の一件は進展しませんでしたな。ここのところ、キナ臭い風評が飛びかっているので、気になるところですな。」
「それを探るのが、そちの仕事ではないか。」
「まことに職務怠慢な話で申し訳のない事ですな。」
「バンケルクとエレナ王女は師弟関係だからな。ただの手紙とも思えんが・・・・・・。」
「後、妙な話が一つ有りますな。イザベラという女占い師がハンベエを『ボンボン酒場』に相い引きに誘ったらしいですな。」
「『ボンボン酒場』?」
「繁華街にある、宿泊用の部屋も兼備された酒場ですよ。個人で売春婦をしている輩が客を見繕うのに良く使っている、いかがわしい店ですよ。まあ、我々も情報収集活動も含めて活用していますな。」
「ふん、いかがわしい店か・・・・・・それに売春婦・・・・・・」
 ラシャレーは不快気に顔を歪めた。
「繁栄とは、ある程度いかがわしい物も含めて成立するものですな。ゲッソリナが大都市になったので、そういうナリワイも成り立っているのですな。それに売春婦は人類最古の商売とも言われますからな。」
「解っておる。わしを誰だと思っておるのだ。そこらの聖人面した道徳教師や上辺を取り繕った戒律僧のような青臭い事は言わん。けしからんが、取り締まれとは言わぬわ。人間は悪徳と共にこそ生きておるのだ。必要な事はその悪徳をどの程度に制御するかじゃ。何もかも、悪じゃと決めつけて、取り締まったすると、徹底追放だの、一掃だのと騒ぐ狂信者じみた連中が幅を利かす世の中になるからのう。」
「ほう、そういう世の中はお嫌いで・・・・・・。」
「当たり前じゃ、人間はどこまで行っても人間じゃ。生きている事は汚い物、不潔な物と共存する事ぞ。それをわきまえず、清潔な物のみを求める事になれば、ただただ不正直な人間が増えるだけの、どうしようもない世の中になるわ。」
「おやおや、閣下から、政治信条のような話を聞くとは珍しい事ですな。」
「ふむ、そうであったな、そちとこんな話をしても始まらん。ところで、そのイザベラとは何者だ?」
「いや、それも最近、ゲッソリナに流れ込んできた者としか分かっておりませんな。」
「やれやれ、得体の知れない者が増えるのう。」
「それはそうと、ベルガンの事はいかがなりますかな。」
「突然居なくなったわけだから、当然、執務状態の監査となるであろうな。しかも、今回の失態は王国の尊厳を極めて傷つけたものであるからのう。・・・・・・ま、財産没収、遺族への見舞いも無しという事になろうかの。立派な奴では無かったらしいからのう。」
「・・・・・・。」
「ただし、ベルガンの未亡人はイクバクかの財産を隠そうとするであろうから、そこはそれ、見逃してやるよう・・・・・・まあ、さじ加減じゃな。」
「引き続き、ハンベエと王女の動きを見張っておきますなあ。」

 一方、ハンベエは朝の鍛練を終えて、ロキと朝食を取っていた。
「昨日は、随分とラシャレーを誉めてたね。」
「うん?・・・・・・あんな施設を造ったんだ。誉めてもいいだろう?。」
「でも、王女様の敵だよ。それにオイラ達を襲った奴らの親玉かも知れないんだよ。いいや、ボーンさんが『三日の間に四十二人も』って言ってたから、王宮からの帰り道に襲ってきた奴らはラシャレーの手下に間違いないよお。」
「いいところに目を付けるな。間違いないだろうな。・・・・・・でも、ボーンはとりあえず殺さないんだろう?」
「え?・・・・・・殺さない方がいい気が・・・・・・だって、悪い人には思えないし。でも、オイラは断然、王女様の味方だからね。」
「王女様・・・・・・か。・・・・・・ロキは、どこまで、王女に入れ込む気なのかな?」
「とことんだよ。ハンベエは王女様が嫌いみたいだけどね。」
「ふっ、別に嫌いというわけじゃない。ロキが王女の味方なら、俺も王女の味方って事にしとくさ。」
「本当に?・・・・・・オイラ、ハンベエの心が良く分からないよ。」
「俺も良く解らん。・・・・・・まあ、仲良く行こうぜ。俺とロキが争う理由は何処にもない。」

 朝食を終えたら、いつものように武具の手入れだ。
(しかし、どうしたものかな。このまま、キチン亭にずっと居るわけにも行くまい。と言って、まだロキから離れるわけにもいかぬ。ロキと俺を襲ったのはラシャレーの手下と見て、間違いないが・・・・・・)
 いっそ、ラシャレーを斬るか・・・・・・だが、ラシャレーを斬って事が収まるとは限らない。むしろ、ロキとハンベエはゴロデリア王国全てを敵に回して逃げ回るハメになりそうである。
「ロキ、手紙を王女に渡した後の予定はどうなっていたんだ。バンケルク将軍に報告する事とかになっていないのか?」
 ハンベエは今さらながら尋ねた。
「ううん、特に後の指示は無かったよお。とにかく、一刻も早く手紙を届けてくれという話だったから。・・・・・・それに王女様に殺し屋が差し向けられているのだから、報告する事になっていても、オイラは王女様の側にいて、力になってあげたいなあ。」
 殺し屋か・・・・・・王女への手紙の内容は本当にそんなものだったのだろうか。・・・・・・。
 ハンベエの胸中に疑念が大きく渦を捲きはじめていた。
 『ヨシミツ』の刃をコクウに擬して、ハンベエは思案を重ねた。
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