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百十七 不遇な剣鬼
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イザベラが鴉のクーちゃんに託して送ったテッフネールに関する情報がハンベエに届いたのは、ステルポイジャンがテッフネール対策の為に四天王を召集した同じ日の夕刻であった。
「すこぶる危険な人物。」
ハンベエは一人切りの執務室でぽつりと呟いた。
妙なものである。報せを送って来たイザベラからして危険人物である。ハンベエだって危険人物だ。危険人物大集合である。
何度か口にした言葉であるが、『命を狙われるのは俺の得意技』とばかりに、ハンベエはあまり危機感を持たなかった。元来、恐怖心が鈍く出来ているようだ。
通信では、テッフネールがゲッソリナを出たのは昨日の事である。タゴロロームに着くのは早くて三日後だろう。ハンベエはイザベラへの返信を書き上げてから、寝る事とした。なに眠くなどはないのだ。睡眠は昼の内に取って、夜の眠りは浅く、という生活スタイルは崩していない。
「イザベラへ
いつもながら重要情報、深謝。
当方の戦備着々。
引き続き、敵軍の動静を見張られたい。
ハンベエ」
明日の朝、鴉のクーちゃんの足に、この文を結び付けてイザベラに向けて飛ばす事になるだろう。
寝所は執務室とは別の場所に有る。無論、司令部の建物の中である。見張りの兵が二人付く。二交替制で、四人の兵士が日替わりで努めていた。
軍司令官に対するそういう伝統らしい。俺に護衛は不要だぜ、とハンベエは思わないわけでもないが、夜半に緊急事態が発生した場合、こういう直ぐに動ける兵士がいないと指示が出せない。緊急時の伝令要員である。
最初一人で寝所で休んでいたのだが、最近はロキが寝台を運び込んで来て、ちゃっかり居着いてしまった。ハンベエの側が居心地がいいらしい。確かに、タゴロローム守備軍陣地の中では一番安全な場所であろう。
(刺客か。・・・・・・王宮で見たステルポイジャンには似合わぬ手のような気がするが。)
燭台も燈さず、寝台に大の字に身を寛げたハンベエは何気なくそう思った。
やる事がぬるい、敵であるステルポイジャンの動きに対してのハンベエの感想である。
何がステルポイジャンの動きを鈍らせているのだろう? 推戴しているフィルハンドラの母親であるモスカとの敵対状態がそうさせるのか。
(モルフィネスは、国王の死がステルポイジャンの想定とは違った形で起こった為、準備が整っていなかったと推測したが・・・・・・バトリスク一門を叩き潰すのは手際良くやってのけている。)
(元々、ステルポイジャンは何だかんだ言っても、前の国王バブル六世に忠節を尽くしていた。モスカは、その国王を毒殺した張本人。利用価値があるとは云え、信頼できるタマじゃねえ。動きが鈍いのは疑心暗鬼に陥ってるのか? それとも、或いは前国王を毒殺したモスカを手助けする事に逡巡があるのか?・・・・・・)
(前国王死去の直後は突発事態に対応するための興奮状態から大胆な行動に出たが、ある程度事態が自分に有利に進んだ今、逆に行動に逡巡が生じて来たのか? 用心深さは時に臆病に繋がる。あんまり敵を買い被らなくても良いかも知れん。)
ハンベエは思いを巡らせた。この男、こんな風に人の心事を推し量るような人間では無かったような気がする。いつから、そんな事を気にし始めたのだろう。
本来の性分はどうにせよ、ヒョウホウ者の身としては勝つ為の努めを怠るわけにはいかない。ハンベエは注意深く思慮を巡らす事を己に課しながら、それにしてもヒドく疲れると感じていた。
「ハンベエ、明かりも点けないでもう寝ちゃってるのお。」
暗闇の中に、手燭を持ってロキが入って来た。
「眠っちゃいねえ。」
ハンベエは横たわったまま答える。
「じゃあ、明かり点けるよお。」
ロキはそう言って手燭の火を燭台に移した。
「ハンベエ、携帯用保存食をもう少し増やしときたいんで、又金と人員回してくんない。」
「ああ、いいぜ。それより、地図は出来上がったか?」
「うーん、今はパーレルの方の作業が詰まっているんで、待ってるところだよお。」
騎馬兵募集から帰って来たロキにハンベエが依頼したのは、ゲッソリナからタゴロロームにかけての地図の作成であった。この作業はパーレルに手伝わせた。
ロキの得意なのは算術だけでは無かった。元々、ハンベエに出会った時にゴロデリア国内の知っている範囲に関し、自前の地図を作った事もあるロキであり、裏道も含めて驚くほど地理に詳しかった。
更に、地図を作るのに有利になった事は、ロキがモルフィネスから幾何学の講義を受けた事である。それにより、ロキは自分の頭の中にある地理情報をより正確に再現する事ができるようになったのである。
この作業にはモルフィネスも参加させたいところであったが、パーレルとロキを組ませたので、因縁のあるモルフィネスを加えるのは憚られた。もっとも、モルフィネスは弓兵養成に忙しかったので、因縁が無くても手が回ったかどうか。
「でもハンベエ、地図作ってる間に敵が攻め寄せて来るんじゃないのお?」
ロキは少し心配そうに言った。
「どうかなあ。しかし、ロキは俺の軍師なんだろう。地図を作るという作業は戦略的情報の整理再検討を促す。無駄にはならないと思うぜ。まあ、向こうは俺に殺し屋を送ったらしいんで、直ぐに攻めては来ないようだ。」
「殺し屋。」
「そうだ、だが、まあ・・・・・・。」
「命を狙われるのは俺の得意技。」
ハンベエのセリフをロキが先回りして言った。
ふっ、とハンベエは苦笑いした。
「流石相棒、良く分かってくれている。巻き添えにならないよう気をつけてくれ。」
「了解だよお。」
心配等これっぽっちもしてないよお、と言わんばかりの口調でロキは答える。
ステルポイジャン側の人間がテッフネールの敗北を夢にだに想像しなかったのと好一対であった。
一夜明け、鴉のクーちゃんをイザベラに向けて放ったハンベエはそのまま司令部の屋上で三時間ほど『ヨシミツ』の素振りを行った後、汗を洗ってモルフィネスを呼び出した。
先日の会話でモルフィネスの口からテッフネールの名が出たので、更に話を聞こうというのである。
「テッフネールが刺客として放たれた。・・・・・・」
ハンベエから話を聞き、モルフィネスは眉間に縦皺を刻んだ。同時に何処からその情報を、と聞き掛けてこらえた。味方とは云え、己の情報網を簡単に教えはすまいと思ったのだ。
「やはり、まだ健在だったか。しかし、テッフネールがやって来るとなると、コトだな。対策を立てなければ。」
「対策?・・・・・・いや、そいつの狙いは俺だろうから、俺が斬る。俺はただそいつの事で知ってる事が有ったら、教えて欲しいだけだ。」
「何と、ハンベエ。テッフネールと斬り合うつもりか。ハンベエはタゴロローム軍の大将、総司令官なんだぞ。貴公が死んだら、我が軍はどうなる。命は大事にしてもらわないと困る。」
「・・・・・・しかし、大将が命を惜しんでたら、下の者は付いて来ないぜ。背負ってるつもりはないが、我が軍の兵士が俺に付いて来るのは俺が強いからだろう。」
「確かにそういう一面は有る。・・・・・・しかし、危険過ぎる相手だ。ハンベエ、何か確かな勝算でも有るのか?」
「勝算! そんなもん、見た事も会った事も、まして太刀を交えた事も無い相手に有るわきゃねえだろう。」
「だとすれば、無謀というものだろう。運良く勝てば良いが、斬られたらどうするつもりだ。」
「斬られたら、死んでるから、どうもこうも無いさ。俺も不死身ってわけでもないだろうからな。」
ハンベエは皮肉めいた薄ら笑いを浮かべて言った。
「貴公が死んだら、我が軍はどうなる。」
「そん時ゃあ、残った連中で、考えてもらうしかねえな。」
「無責任だろう。」
「ああ、無責任さ。だが、闘いってのは常にそう云うもんだろうが。言ってみりゃあ、剥き出しの心臓をぶち当て合う、イノチミョウガの競い合いだ。あんまり、命ばかり惜しんでたんじゃ、何にもできねえぜ。」
「・・・・・・。」
モルフィネスは黙った。ハンベエの言う事にも一理有る。難しい問題だと思った。
兵法書孫子の中に次のように言われている。
「必生は虜とされ、必死は殺される」
己の命ばかりを大事にする者は虜とされるような目に遭うし、命を惜しまぬ奴は簡単に殺される危険がある、と云うのだ。
『どうすりゃいいのよ、この私。』・・・・・・と云うところである。
「モルフィネス、御託はいいんで。テッフネールについて、知ってる事を教えてくれ。」
「・・・・・・私も直接知っているわけではないが・・・・・・何せ、私が軍役に就いた時には、テッフネールという男は既に軍を去っていたのだからな。」
それでも、モルフィネスは、聞いた話だ、と断った上で喋り出した。
テッフネールの名が売れ始めたのは、モルフィネスの生まれる前、今から三十年も前の事だ。
丁度その頃には、伝説の武将と呼ばれたフデンがワクランバの戦いで一躍武名を上げたところだった。
テッフネールの出発点は一兵卒からであった。
すぐに武名は上がったが、士官には登用されなかった。テッフネールは文盲であり、字の読み書きができなかったのである。そのため、何度と無く小隊長への推薦を受けながら、上層部の反対に遭って班長止まりの日を過ごした。
テッフネールが小隊長に昇進したのは、漸くそれから五年後の事であった。その間、至る所で手柄を立てている。又、五年の間には軍隊内に関する文書についてなら、不自由する事のないほどの筆記能力も身に着けていた。世間は遅い昇進だと気の毒がった。
小隊長に昇進してからの、テッフネールの活躍は凄まじいものであったと伝えられている。
常に先駆けしんがりに有って、激戦地に身を置いたようだ。
だが、幾ら活躍してもテッフネールは小隊長から中々昇進できなかった。まるでゴロデリア王国軍がこぞって嫌がらせでもしていたかのようであった。
更にこの人物にとって不幸であった事は、率いた小隊がほとんどいつも全滅してしまった事である。
軍の先頭に立って勇敢に活躍をするのはいつもの事。しかし、目覚ましい手柄を立てながら、生きて帰って来るのはほとんどテッフネール一人だったのである。
いつしかテッフネールは、『冥府の水先案内人』と呼ばれ、味方すら脅えさせる存在として扱われる始末であった。
と言って、テッフネールに従う者が臆病風に吹かれたわけではない。それどころか、真っ先駆けて敵に突き進むテッフネールに魅入られたように付き従い、分不相応な勇猛心を奮って死力を尽くした。そして、生きて帰って来なかったのである。
小隊長になってから十三年後、漸くテッフネールは中隊長に昇進した。この頃、ステルポイジャンがタゴゴローム王国の全権を握り、多くの手柄を立てながら全く昇進に与れなかったテッフネールの事を知って、有無を言わさず中隊長に任官させたのであった。
更にその一年後、テッフネールは大隊長に昇進した。三段跳びの大出世であるが、元々目覚ましい手柄を立てて来たテッフネールである。何の不思議もない、むしろ、連隊長への昇進もそう遠くないのでは、と世間は思ったようだ。
だが、その一年後、テッフネールは忽然と軍籍を去ったのであった。理由は不明であった。
それから、十年。最近まで彼の消息は絶えて聞いた事が無かった。
「知っている事は、これで全部だ。」
喋り終わって、モルフィネスが結んだ。
「テッフネールという奴、家族はいるのか?」
話を聞き終えたハンベエが問いを一つ出した。
「知らん、テッフネールの身内の話は小耳に挟んだ事も無い。天涯孤独の身ではないか?」
「そうか。・・・・・・存外手強い相手に思えて来たぜ。」
とハンベエは呟いた。だが、普段に似ぬ少しばかり弱気そうな呟きとは裏腹に、ハンベエの口元が何やら楽しげに緩んでいるようにモルフィネスには見えて仕方ない。
(ハンベエに闘いを避けるように言っても、無駄以外の何物でもないか。)
モルフィネスは諦め顔で、些か投げやりに首を振った。
「すこぶる危険な人物。」
ハンベエは一人切りの執務室でぽつりと呟いた。
妙なものである。報せを送って来たイザベラからして危険人物である。ハンベエだって危険人物だ。危険人物大集合である。
何度か口にした言葉であるが、『命を狙われるのは俺の得意技』とばかりに、ハンベエはあまり危機感を持たなかった。元来、恐怖心が鈍く出来ているようだ。
通信では、テッフネールがゲッソリナを出たのは昨日の事である。タゴロロームに着くのは早くて三日後だろう。ハンベエはイザベラへの返信を書き上げてから、寝る事とした。なに眠くなどはないのだ。睡眠は昼の内に取って、夜の眠りは浅く、という生活スタイルは崩していない。
「イザベラへ
いつもながら重要情報、深謝。
当方の戦備着々。
引き続き、敵軍の動静を見張られたい。
ハンベエ」
明日の朝、鴉のクーちゃんの足に、この文を結び付けてイザベラに向けて飛ばす事になるだろう。
寝所は執務室とは別の場所に有る。無論、司令部の建物の中である。見張りの兵が二人付く。二交替制で、四人の兵士が日替わりで努めていた。
軍司令官に対するそういう伝統らしい。俺に護衛は不要だぜ、とハンベエは思わないわけでもないが、夜半に緊急事態が発生した場合、こういう直ぐに動ける兵士がいないと指示が出せない。緊急時の伝令要員である。
最初一人で寝所で休んでいたのだが、最近はロキが寝台を運び込んで来て、ちゃっかり居着いてしまった。ハンベエの側が居心地がいいらしい。確かに、タゴロローム守備軍陣地の中では一番安全な場所であろう。
(刺客か。・・・・・・王宮で見たステルポイジャンには似合わぬ手のような気がするが。)
燭台も燈さず、寝台に大の字に身を寛げたハンベエは何気なくそう思った。
やる事がぬるい、敵であるステルポイジャンの動きに対してのハンベエの感想である。
何がステルポイジャンの動きを鈍らせているのだろう? 推戴しているフィルハンドラの母親であるモスカとの敵対状態がそうさせるのか。
(モルフィネスは、国王の死がステルポイジャンの想定とは違った形で起こった為、準備が整っていなかったと推測したが・・・・・・バトリスク一門を叩き潰すのは手際良くやってのけている。)
(元々、ステルポイジャンは何だかんだ言っても、前の国王バブル六世に忠節を尽くしていた。モスカは、その国王を毒殺した張本人。利用価値があるとは云え、信頼できるタマじゃねえ。動きが鈍いのは疑心暗鬼に陥ってるのか? それとも、或いは前国王を毒殺したモスカを手助けする事に逡巡があるのか?・・・・・・)
(前国王死去の直後は突発事態に対応するための興奮状態から大胆な行動に出たが、ある程度事態が自分に有利に進んだ今、逆に行動に逡巡が生じて来たのか? 用心深さは時に臆病に繋がる。あんまり敵を買い被らなくても良いかも知れん。)
ハンベエは思いを巡らせた。この男、こんな風に人の心事を推し量るような人間では無かったような気がする。いつから、そんな事を気にし始めたのだろう。
本来の性分はどうにせよ、ヒョウホウ者の身としては勝つ為の努めを怠るわけにはいかない。ハンベエは注意深く思慮を巡らす事を己に課しながら、それにしてもヒドく疲れると感じていた。
「ハンベエ、明かりも点けないでもう寝ちゃってるのお。」
暗闇の中に、手燭を持ってロキが入って来た。
「眠っちゃいねえ。」
ハンベエは横たわったまま答える。
「じゃあ、明かり点けるよお。」
ロキはそう言って手燭の火を燭台に移した。
「ハンベエ、携帯用保存食をもう少し増やしときたいんで、又金と人員回してくんない。」
「ああ、いいぜ。それより、地図は出来上がったか?」
「うーん、今はパーレルの方の作業が詰まっているんで、待ってるところだよお。」
騎馬兵募集から帰って来たロキにハンベエが依頼したのは、ゲッソリナからタゴロロームにかけての地図の作成であった。この作業はパーレルに手伝わせた。
ロキの得意なのは算術だけでは無かった。元々、ハンベエに出会った時にゴロデリア国内の知っている範囲に関し、自前の地図を作った事もあるロキであり、裏道も含めて驚くほど地理に詳しかった。
更に、地図を作るのに有利になった事は、ロキがモルフィネスから幾何学の講義を受けた事である。それにより、ロキは自分の頭の中にある地理情報をより正確に再現する事ができるようになったのである。
この作業にはモルフィネスも参加させたいところであったが、パーレルとロキを組ませたので、因縁のあるモルフィネスを加えるのは憚られた。もっとも、モルフィネスは弓兵養成に忙しかったので、因縁が無くても手が回ったかどうか。
「でもハンベエ、地図作ってる間に敵が攻め寄せて来るんじゃないのお?」
ロキは少し心配そうに言った。
「どうかなあ。しかし、ロキは俺の軍師なんだろう。地図を作るという作業は戦略的情報の整理再検討を促す。無駄にはならないと思うぜ。まあ、向こうは俺に殺し屋を送ったらしいんで、直ぐに攻めては来ないようだ。」
「殺し屋。」
「そうだ、だが、まあ・・・・・・。」
「命を狙われるのは俺の得意技。」
ハンベエのセリフをロキが先回りして言った。
ふっ、とハンベエは苦笑いした。
「流石相棒、良く分かってくれている。巻き添えにならないよう気をつけてくれ。」
「了解だよお。」
心配等これっぽっちもしてないよお、と言わんばかりの口調でロキは答える。
ステルポイジャン側の人間がテッフネールの敗北を夢にだに想像しなかったのと好一対であった。
一夜明け、鴉のクーちゃんをイザベラに向けて放ったハンベエはそのまま司令部の屋上で三時間ほど『ヨシミツ』の素振りを行った後、汗を洗ってモルフィネスを呼び出した。
先日の会話でモルフィネスの口からテッフネールの名が出たので、更に話を聞こうというのである。
「テッフネールが刺客として放たれた。・・・・・・」
ハンベエから話を聞き、モルフィネスは眉間に縦皺を刻んだ。同時に何処からその情報を、と聞き掛けてこらえた。味方とは云え、己の情報網を簡単に教えはすまいと思ったのだ。
「やはり、まだ健在だったか。しかし、テッフネールがやって来るとなると、コトだな。対策を立てなければ。」
「対策?・・・・・・いや、そいつの狙いは俺だろうから、俺が斬る。俺はただそいつの事で知ってる事が有ったら、教えて欲しいだけだ。」
「何と、ハンベエ。テッフネールと斬り合うつもりか。ハンベエはタゴロローム軍の大将、総司令官なんだぞ。貴公が死んだら、我が軍はどうなる。命は大事にしてもらわないと困る。」
「・・・・・・しかし、大将が命を惜しんでたら、下の者は付いて来ないぜ。背負ってるつもりはないが、我が軍の兵士が俺に付いて来るのは俺が強いからだろう。」
「確かにそういう一面は有る。・・・・・・しかし、危険過ぎる相手だ。ハンベエ、何か確かな勝算でも有るのか?」
「勝算! そんなもん、見た事も会った事も、まして太刀を交えた事も無い相手に有るわきゃねえだろう。」
「だとすれば、無謀というものだろう。運良く勝てば良いが、斬られたらどうするつもりだ。」
「斬られたら、死んでるから、どうもこうも無いさ。俺も不死身ってわけでもないだろうからな。」
ハンベエは皮肉めいた薄ら笑いを浮かべて言った。
「貴公が死んだら、我が軍はどうなる。」
「そん時ゃあ、残った連中で、考えてもらうしかねえな。」
「無責任だろう。」
「ああ、無責任さ。だが、闘いってのは常にそう云うもんだろうが。言ってみりゃあ、剥き出しの心臓をぶち当て合う、イノチミョウガの競い合いだ。あんまり、命ばかり惜しんでたんじゃ、何にもできねえぜ。」
「・・・・・・。」
モルフィネスは黙った。ハンベエの言う事にも一理有る。難しい問題だと思った。
兵法書孫子の中に次のように言われている。
「必生は虜とされ、必死は殺される」
己の命ばかりを大事にする者は虜とされるような目に遭うし、命を惜しまぬ奴は簡単に殺される危険がある、と云うのだ。
『どうすりゃいいのよ、この私。』・・・・・・と云うところである。
「モルフィネス、御託はいいんで。テッフネールについて、知ってる事を教えてくれ。」
「・・・・・・私も直接知っているわけではないが・・・・・・何せ、私が軍役に就いた時には、テッフネールという男は既に軍を去っていたのだからな。」
それでも、モルフィネスは、聞いた話だ、と断った上で喋り出した。
テッフネールの名が売れ始めたのは、モルフィネスの生まれる前、今から三十年も前の事だ。
丁度その頃には、伝説の武将と呼ばれたフデンがワクランバの戦いで一躍武名を上げたところだった。
テッフネールの出発点は一兵卒からであった。
すぐに武名は上がったが、士官には登用されなかった。テッフネールは文盲であり、字の読み書きができなかったのである。そのため、何度と無く小隊長への推薦を受けながら、上層部の反対に遭って班長止まりの日を過ごした。
テッフネールが小隊長に昇進したのは、漸くそれから五年後の事であった。その間、至る所で手柄を立てている。又、五年の間には軍隊内に関する文書についてなら、不自由する事のないほどの筆記能力も身に着けていた。世間は遅い昇進だと気の毒がった。
小隊長に昇進してからの、テッフネールの活躍は凄まじいものであったと伝えられている。
常に先駆けしんがりに有って、激戦地に身を置いたようだ。
だが、幾ら活躍してもテッフネールは小隊長から中々昇進できなかった。まるでゴロデリア王国軍がこぞって嫌がらせでもしていたかのようであった。
更にこの人物にとって不幸であった事は、率いた小隊がほとんどいつも全滅してしまった事である。
軍の先頭に立って勇敢に活躍をするのはいつもの事。しかし、目覚ましい手柄を立てながら、生きて帰って来るのはほとんどテッフネール一人だったのである。
いつしかテッフネールは、『冥府の水先案内人』と呼ばれ、味方すら脅えさせる存在として扱われる始末であった。
と言って、テッフネールに従う者が臆病風に吹かれたわけではない。それどころか、真っ先駆けて敵に突き進むテッフネールに魅入られたように付き従い、分不相応な勇猛心を奮って死力を尽くした。そして、生きて帰って来なかったのである。
小隊長になってから十三年後、漸くテッフネールは中隊長に昇進した。この頃、ステルポイジャンがタゴゴローム王国の全権を握り、多くの手柄を立てながら全く昇進に与れなかったテッフネールの事を知って、有無を言わさず中隊長に任官させたのであった。
更にその一年後、テッフネールは大隊長に昇進した。三段跳びの大出世であるが、元々目覚ましい手柄を立てて来たテッフネールである。何の不思議もない、むしろ、連隊長への昇進もそう遠くないのでは、と世間は思ったようだ。
だが、その一年後、テッフネールは忽然と軍籍を去ったのであった。理由は不明であった。
それから、十年。最近まで彼の消息は絶えて聞いた事が無かった。
「知っている事は、これで全部だ。」
喋り終わって、モルフィネスが結んだ。
「テッフネールという奴、家族はいるのか?」
話を聞き終えたハンベエが問いを一つ出した。
「知らん、テッフネールの身内の話は小耳に挟んだ事も無い。天涯孤独の身ではないか?」
「そうか。・・・・・・存外手強い相手に思えて来たぜ。」
とハンベエは呟いた。だが、普段に似ぬ少しばかり弱気そうな呟きとは裏腹に、ハンベエの口元が何やら楽しげに緩んでいるようにモルフィネスには見えて仕方ない。
(ハンベエに闘いを避けるように言っても、無駄以外の何物でもないか。)
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