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第一章
4.王は民のために在れ、王権は民のために使え
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「トリスタン……」
シェリルは驚いて弟を見つめた。そんな姉の視線を受けてもトリスタンの表情は変わらず、ただ静かに病床の父に視線を注いでいる。
「何を、いうか……トリスタン」
「父上がどれほど手を尽くそうと、あいつらは俺たちを追い落とそうとするでしょう。クラリッサ様やヴァレンティナ様がどれほど守ってくれようと、です。あいつらにとってクラリッサ様とヴァレンティナ様の立場は自分たちと同じに過ぎないのですから」
トリスタンがあげたのはダミアンの妃のうち二人の名だ。クラリッサとヴァレンティナ。二人ともシェリルたち兄妹に好意的で、彼女たちの子も同様だ。
だが、トリスタンが「あいつら」と呼ぶ他の妃――先ほどシェリルたちに悪意をぶつけてきたセシルの母・エリオノーラともう一人の妃・マルセラと、彼女たちが産んだ子供たちはもう何年もネチネチトゲトゲと悪意をぶつけてきている。シャナが亡くなった遠因ともいえると正直シェリルは思っていた。
「それなら、あいつらが手出しできないようにすればいい。俺が王になれば、俺のほうが立場は上です」
「……トリスタンよ。お前は……権力を以て、エリオノーラたちを追うつもりか……?」
「まさか」
ダミアンの問いに、トリスタンは薄く笑った。
「ただ追うだけでは飽き足りませんよ」
「トリスタン!」
見かねてシェリルは声を荒げた。姉のただならぬ声音に、フェミルがびくっと身体を震わせる。
「何を言っているの?エリオノーラ様やマルセラ様を追い落とすために王になるっていうの?」
その問いに、トリスタンは否定も肯定もしなかった。それがむしろ「是」を指しているように思えてシェリルはたまらなかった。
「……グランを呼べ」
シェリルたちが退室した後、ダミアンは静かな声でそう命じた。すぐさま部屋に控えていた侍従が動き、三十分ほどですらりとした体躯の男性が入ってくる。
「兄上。お呼びと伺いましたが……体調はいかがでしょうか」
「よさそうに、見えるか?」
「まさか。社交辞令にすぎぬことも兄上ならご承知でしょう」
「……はは……違いない」
国王であるダミアンとこんな風に軽口を叩ける人間など、国内には片手で数えるほどしかいない。そのうちの一人がこの男性――グラン=ルーヴェリア。ダミアンのたった一人の弟である。
ダミアンとグランの母――エイル=ルーヴェリアは数代ぶりの女王であった。やや男尊女卑の傾向のあるこの国で、何人もいる兄弟姉妹を退け王に選出されるほどの女傑で、死後十数年経った現在でも賢王として讃えられるほどの名君である。ところが、彼女はグランを産んだ際に身体を損ない、二度と子を望めなくなってしまったのだ。加えて、生まれてきたグランは身体が弱かった。すべてにおいて凡庸だったダミアンと比べてはるかに聡明な王子であっても、「病弱」というハンデは『選王選挙』で選ばれるにはあまりにも大きすぎたのだ。そのため、王になれるのはダミアンしかいない、という風潮が貴族たちの間で流れた。最終的にエイルの死後ダミアンは選ばれ国王として即位したのである。
そんな経緯があっても、ダミアンとグランの兄弟仲は非常に良好だった。母の死後即位した兄をグランは献身的に支えてきたし、ダミアンも聡明な弟に嫉妬することなく心から信頼してきた。それは母・エイルが息子たちにずっと「争い合わず支え合いなさい」と教えてきた影響もあるだろうが、二人の心根の良さも非常に大きい。
「それで?私を呼んだということは、何かあったのですね」
「……話が、早くて助かる」
ダミアンはかすれた息とともに乾いた笑いをこぼした。しかしすぐにその笑みを消す。
「グランよ……トリスタンが、王に選ばれぬよう……裏で、動いてほしい。あれは……危険だ」
兄の言葉に、グランは驚愕にその目を見開いた。
シャナが産んだ三人の子を、ダミアンは十一人もいる我が子の中で群を抜いて愛していた。シェリルもトリスタンもフェミルも、ダミアンにとっては何よりも愛おしい子のはずだ。それなのに、いきなりそんなことを言う意図が読めなかった。兄の物言い的に、トリスタンを選挙から廃すのは父としての愛情によるものだとは思えない。むしろ、この国の王として、危険分子を排除するような――そんな言い方だった。
「兄上……なぜそのようなことを?」
「トリスタンは……王になるには、あまりに、危険すぎる。王権は……己の欲望のために、使うものではない。この国のために……この国に生きるすべての者に、平等に……使うべきものだ」
王は民のために在れ、王権は民のために使え。それは、亡き母・エイルが息子たちに常日頃から説いてきた言葉だった。
「トリスタンは……シェリルとフェミルのために、王になりたいと言っていた。シェリルとフェミルの立場を、守るためなら……まだ、良い。だが、トリスタンは……二人を苦しめる者を……王となり、追うつもりだ」
「……それは……」
それはあまりにも危ういとグランも思った。大事な者を守るためではなく、害になる者を廃すために王権を用いようと考える人間が、王として相応しいはずがないのだ。
「トリスタンが、王になるのは……国のためにも、避けたい。それに……トリスタンが王となり、邪魔な者を排しても……シェリルも、フェミルも……何より、トリスタン自身が幸せにはなれぬ。そんなことになっては……俺は、シャナに、顔向けができぬ……」
ダミアンの言葉に、グランはぐっと胸が詰まった。兄はずっと、シャナを心から愛しているのだ。彼女が亡くなって数年経つ今でも、ずっと。国のためにも、シャナのためにも、シャナが遺した子供たち自身のためにも、トリスタンを王にはしてはいけないのだ。
「……分かりました、兄上」
グランは寝台の傍らに膝をつき、痩せて骨ばった兄の手をしっかりと包み込んだ。
「兄上のご意思、承りました。必ず守ります……ですから、兄上は、シャナ様と……」
それ以上言葉が出なかった。病弱な影響もあって子を成すのが難しく、妻帯していないグランにとって、兄はたった一人の家族だった。そんな兄との別れがもう近いと思うと、涙が滲むのをこらえきれなかった。
「……お前には、感謝している。あとは頼んだぞ、グラン……」
ダミアンは微笑む。頷いたグランの目尻から、こらえきれなかった涙が一粒だけ落ちた。
――国王・ダミアン=ルーヴェリアが崩御したのは、それから三日後のことだった。
シェリルは驚いて弟を見つめた。そんな姉の視線を受けてもトリスタンの表情は変わらず、ただ静かに病床の父に視線を注いでいる。
「何を、いうか……トリスタン」
「父上がどれほど手を尽くそうと、あいつらは俺たちを追い落とそうとするでしょう。クラリッサ様やヴァレンティナ様がどれほど守ってくれようと、です。あいつらにとってクラリッサ様とヴァレンティナ様の立場は自分たちと同じに過ぎないのですから」
トリスタンがあげたのはダミアンの妃のうち二人の名だ。クラリッサとヴァレンティナ。二人ともシェリルたち兄妹に好意的で、彼女たちの子も同様だ。
だが、トリスタンが「あいつら」と呼ぶ他の妃――先ほどシェリルたちに悪意をぶつけてきたセシルの母・エリオノーラともう一人の妃・マルセラと、彼女たちが産んだ子供たちはもう何年もネチネチトゲトゲと悪意をぶつけてきている。シャナが亡くなった遠因ともいえると正直シェリルは思っていた。
「それなら、あいつらが手出しできないようにすればいい。俺が王になれば、俺のほうが立場は上です」
「……トリスタンよ。お前は……権力を以て、エリオノーラたちを追うつもりか……?」
「まさか」
ダミアンの問いに、トリスタンは薄く笑った。
「ただ追うだけでは飽き足りませんよ」
「トリスタン!」
見かねてシェリルは声を荒げた。姉のただならぬ声音に、フェミルがびくっと身体を震わせる。
「何を言っているの?エリオノーラ様やマルセラ様を追い落とすために王になるっていうの?」
その問いに、トリスタンは否定も肯定もしなかった。それがむしろ「是」を指しているように思えてシェリルはたまらなかった。
「……グランを呼べ」
シェリルたちが退室した後、ダミアンは静かな声でそう命じた。すぐさま部屋に控えていた侍従が動き、三十分ほどですらりとした体躯の男性が入ってくる。
「兄上。お呼びと伺いましたが……体調はいかがでしょうか」
「よさそうに、見えるか?」
「まさか。社交辞令にすぎぬことも兄上ならご承知でしょう」
「……はは……違いない」
国王であるダミアンとこんな風に軽口を叩ける人間など、国内には片手で数えるほどしかいない。そのうちの一人がこの男性――グラン=ルーヴェリア。ダミアンのたった一人の弟である。
ダミアンとグランの母――エイル=ルーヴェリアは数代ぶりの女王であった。やや男尊女卑の傾向のあるこの国で、何人もいる兄弟姉妹を退け王に選出されるほどの女傑で、死後十数年経った現在でも賢王として讃えられるほどの名君である。ところが、彼女はグランを産んだ際に身体を損ない、二度と子を望めなくなってしまったのだ。加えて、生まれてきたグランは身体が弱かった。すべてにおいて凡庸だったダミアンと比べてはるかに聡明な王子であっても、「病弱」というハンデは『選王選挙』で選ばれるにはあまりにも大きすぎたのだ。そのため、王になれるのはダミアンしかいない、という風潮が貴族たちの間で流れた。最終的にエイルの死後ダミアンは選ばれ国王として即位したのである。
そんな経緯があっても、ダミアンとグランの兄弟仲は非常に良好だった。母の死後即位した兄をグランは献身的に支えてきたし、ダミアンも聡明な弟に嫉妬することなく心から信頼してきた。それは母・エイルが息子たちにずっと「争い合わず支え合いなさい」と教えてきた影響もあるだろうが、二人の心根の良さも非常に大きい。
「それで?私を呼んだということは、何かあったのですね」
「……話が、早くて助かる」
ダミアンはかすれた息とともに乾いた笑いをこぼした。しかしすぐにその笑みを消す。
「グランよ……トリスタンが、王に選ばれぬよう……裏で、動いてほしい。あれは……危険だ」
兄の言葉に、グランは驚愕にその目を見開いた。
シャナが産んだ三人の子を、ダミアンは十一人もいる我が子の中で群を抜いて愛していた。シェリルもトリスタンもフェミルも、ダミアンにとっては何よりも愛おしい子のはずだ。それなのに、いきなりそんなことを言う意図が読めなかった。兄の物言い的に、トリスタンを選挙から廃すのは父としての愛情によるものだとは思えない。むしろ、この国の王として、危険分子を排除するような――そんな言い方だった。
「兄上……なぜそのようなことを?」
「トリスタンは……王になるには、あまりに、危険すぎる。王権は……己の欲望のために、使うものではない。この国のために……この国に生きるすべての者に、平等に……使うべきものだ」
王は民のために在れ、王権は民のために使え。それは、亡き母・エイルが息子たちに常日頃から説いてきた言葉だった。
「トリスタンは……シェリルとフェミルのために、王になりたいと言っていた。シェリルとフェミルの立場を、守るためなら……まだ、良い。だが、トリスタンは……二人を苦しめる者を……王となり、追うつもりだ」
「……それは……」
それはあまりにも危ういとグランも思った。大事な者を守るためではなく、害になる者を廃すために王権を用いようと考える人間が、王として相応しいはずがないのだ。
「トリスタンが、王になるのは……国のためにも、避けたい。それに……トリスタンが王となり、邪魔な者を排しても……シェリルも、フェミルも……何より、トリスタン自身が幸せにはなれぬ。そんなことになっては……俺は、シャナに、顔向けができぬ……」
ダミアンの言葉に、グランはぐっと胸が詰まった。兄はずっと、シャナを心から愛しているのだ。彼女が亡くなって数年経つ今でも、ずっと。国のためにも、シャナのためにも、シャナが遺した子供たち自身のためにも、トリスタンを王にはしてはいけないのだ。
「……分かりました、兄上」
グランは寝台の傍らに膝をつき、痩せて骨ばった兄の手をしっかりと包み込んだ。
「兄上のご意思、承りました。必ず守ります……ですから、兄上は、シャナ様と……」
それ以上言葉が出なかった。病弱な影響もあって子を成すのが難しく、妻帯していないグランにとって、兄はたった一人の家族だった。そんな兄との別れがもう近いと思うと、涙が滲むのをこらえきれなかった。
「……お前には、感謝している。あとは頼んだぞ、グラン……」
ダミアンは微笑む。頷いたグランの目尻から、こらえきれなかった涙が一粒だけ落ちた。
――国王・ダミアン=ルーヴェリアが崩御したのは、それから三日後のことだった。
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