戦人 ~いくさびと~

比呂

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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~

復讐

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 黒鎧城は、久々に賑わっていた。

 それもそのはず、矢五郎側に痛手を負わせたからだ。
 これで戦力的には西倉側の方が優勢となった。

 城内では無礼講の宴が開かれ、今までの緊迫した雰囲気など微塵もない。

 その様子を、葉山は天守閣から眺めていた。
 どこか詰まらなさそうで、惚けているようにも見えた。

 彼の背後に控えている西倉が、心配そうに言う。

「これで……良かったのだろうか。勝利したわけではないというのに」

 葉山は景色を眺めたまま、振り向かなかった。

「いいんだよ。たまには息抜きは必要さ。丈夫な糸だって、張り詰めっぱなしじゃ切れるだろう? それに――――」
「……何だと言うののだろうか」

 西倉は首を傾げながらも、彼の言葉を待った。

「次で勝負をかけるからな」
「……そうか」

 深く頭を下げる西倉であった。
 万感の想いが去来しているのだろう。

 そのとき、すべての様子を見ていた咲夜が、天守閣の入り口から顔を出した。

「お酒、飲まないの?」

 彼女の手には、酒の入った瓢箪と碗が三つあった。

 俺は一応でも指揮官だから、と葉山は首を振った。
 お気遣い無く、と西倉も顔を伏せたままだった。

「……肝のちっさい男どもだな」

 咲夜がその場にどっかと座り込み、自分で酒を注いで飲み始めた。
 最初は一気に碗を呷り、気持ちよく、ぷはぁ、と息を吐いた。

 それを横目で見ていた葉山が、ごくりと咽喉を鳴らす。
 気付いた咲夜は、ふん、と二杯目を注ぎながら言った。

「あげないわよ。飲みたかったら自分で取ってきなさいよ」
「ああ、そうだな……」

 葉山は肩を落とした。
 そして、ようやく窓辺から離れ、天守閣の中心に座る。
 正面に西倉のいる位置だった。
 西倉が決意した表情で顔を上げた。

「いよいよ、か」

 彼がそう呟く。
 二杯目の碗を干した咲夜が、不思議そうに眉を上げた。

「あんまり嬉しそうな顔じゃないわね。……どっちかって言うと、死に場所を見つけた人の顔してるわ」

 彼女は三杯目を注ぐのが面倒くさくなって、ついに瓢箪に直接口をつけて飲みはじめた。

「人身売買に良心が痛んで反乱を起こす人間には、どうしても見えないわね。そういう人間ってさ、もっと熱の入った、というか、狂った、というか。まあ、良くも悪くも前向きな人間だと思うけど」
「そうだな」

 西倉が簡単に認めた。
 葉山が、おい、と止めるように声を出す。

「いいんだ、葉山殿。……確かに俺は、そんな上等な人間じゃない。俺がやりたかったのは、復讐だよ。あんたは、あの矢五郎の通り名を知ってるか」

 咲夜は首を振った。
 西倉が、自虐するように言う。

「『達磨の矢五郎』だ」
「達磨って、あの赤いダルマのこと? それって見た目の体型でそう言われてるとか?」
「ああ。それもあるが、一番の原因は奴の処刑方法だ。達磨ってのは、手足が無いだろう?」

 ふん、と咲夜は嫌そうな顔をした。

「切り落とすってことね」
「そうだ。……矢五郎は俺の女房に惚れていた。好色な男だったからな。嫌な噂くらいは俺でも耳にしていたから、遠ざけるようににはしていたんだ。だがついに、あいつは女房に手を出そうとした。城に呼び出したんだよ。しかし女房は上手く逃げたんだ」

 西倉は泣き笑いのような表情になった。

「そのすぐ後に、女房は『城主から宝を奪った盗人』の汚名を着せられた。誰もが嘘だと分かる濡れ衣だが、逆らえる者は誰もいない。俺には何も知らされなかった。……それから、女房は帰ってこなかった。俺も八方尽くして探したが見つからなくてね。後日、矢五郎から『新しい女をやる』と言われたときに、ようやく気付いたんだ」

 ――――もう女房はどこにもいないんだ、ってな。

 ひどく現実味が無いような言葉だった。

「俺はね、矢五郎をこの手で殺せるなら、何だってしてやるさ。もう俺にはそれしかないんだ。例えこの蜂起が失敗しても、あいつだけは殺してやる」

 西倉の振り上げた拳が、床板を叩いた。
 その衝撃がなくなった頃に、葉山が呟く。

「失敗はしない」

 彼が、嗜虐的な笑みを浮かべた。

「そのために、『戦人』である葉山隠架を雇ったんじゃないのか。舐めてもらっては困るね。これくらいの戦、それほど難しいものでもないよ」

 では作戦を説明しよう、と葉山が城周辺の地図を懐から取り出して広げた。

「まず、城は捨てる」
「し、城を?」

 西倉は驚愕した。
 城とは戦うためのものだ。
 それを最初から捨てると言い切った『戦人』に、疑念が湧くのも無理は無い。

「ふぅん」

 ただし、咲夜は眼を細めただけだった。
 それを見て、葉山が西倉だけに視線を合わせた。

「……守っていては勝てない。援軍の無い篭城は、死を待っているだけに過ぎないんだよ。それによく考えてみろ、城の兵士は定員の半分だ。残りは矢五郎に持っていかれてる。この『黒鎧城』を守りきるのは最初から不可能なんだ」

 そこで葉山が、地図の一点に指を置いた。
 指先は黒鎧城の真正面にある、比較的大きな道を示している。

「攻撃は最大の防御なり、ってね。まずは足のある兵で、敵正面に真っ向勝負をかける。ある程度戦ったら、また城に戻るんだ」
「……逃げるのか。戦力的には、こちらが有利だ。そのまま押し切ってしまえばいいだろう」

 西倉が難しい表情を浮かべた。
 苦笑いを見せる葉山だった。

「俺達の兵数で、この規模の街を制圧するのは無理だ。街を襲って商人達が大騒ぎでもしてみろ、いずれ手に負えなくなる。将軍の耳に反乱の知らせが入っても負けだ。……さらに、その騒ぎに乗じて矢五郎が逃げ出すかもしれない。そうなって困るのは君だろう?」
「ああ、わかっている」
「ひとつ例えるとだね、これは『釣り』なんだよ」
「釣り?」

 西倉が首をひねった。
 うんうん、と頷く葉山が言う。

「戦で最も戦果を得られるのは撤退戦だ。逃げる敵を殺すのがもっとも効果が高い。劣勢に追い込まれてる矢五郎は、食いついてくるさ。嫌でもな。何らかの成果を出さなけりゃ、人買い商人どもも黙っちゃいないだろうさ」

 ふん、と面白くなさそうに酒を煽る咲夜だった。
 彼女に気を使いながら、西倉が問う。

「それで、どうなるんだ?」
「逃げる兵を追いかけてきた所に、残りの全兵力を道の側面にある森に待ち伏せさせておいて包囲殲滅だよ」

 今まで何も言わなかった咲夜が手を挙げた。

「矢五郎が食いついてこなかったら?」
「うん、それは問題だ。確か、矢五郎側は『戦人』を一人雇ったらしいからなぁ。前の陽動と騎馬突撃を見破られてたみたいだし、手強そうな相手ではある」

 戦人って、と咲夜は考えた。
 そして唐突にある人物を思い出して顔を隠した。

「……そっか」
「どうした」

 葉山が訊ねる。
 否、もっと正確に言うならば、訪ねずにはいられないくらい咲夜の顔が狂気に満ち溢れていた。

「いや、ちょっとね」
「……理由くらい教えてくれてもいいじゃないか」
「――――血が騒いできただけよ」

 手で隠された咲夜の表情は、くくくっ、と嬉しそうに笑っていた。
 
 あの男、、、が、偶然とはいえ敵側にいる。
 こんなところで再戦ができるとは思っても見なかった。

 無論、彼女としては夫を愛していることに変わり無い。
 出会う場所が戦場でなければ、咲夜は惣鳴のために万難を排す女だった。

 しかし、敵味方に分かれた戦場では『戦人』と『戦人』だ。
 喰らい合う獣でしかない。

 ――――試してみたい。
 
 次は勝てるのではないか、という想いが彼女の身体を駆け巡る。
 勝つのだ、という欲望が、心の底から生まれ出た。

「咽喉が――――渇いたわね」

 そう言って、咲夜は残りの酒を飲み干した。
 『戦人』とは、多大なる戦力のために『何か』を犠牲にした者たちと言えた。

 その『戦人』である葉山も、咲夜の様子を横目で見ながら少し笑った。

「頼もしいな。まあ俺だって、『釣り』が失敗したときのことも考えてあるさ。そのための木ノ下咲夜だ。君には正面から突っ込む役をやってもらう」
「私?」

 咲夜は自分を指差した。
 得意そうに笑う葉山だった。

「そうだ。それだと、矢五郎の兵が追いかけてこなくても、奴らの手駒を確実に減らせるからな。そのまま矢五郎を捕まえてもいいし、敵の『戦人』を打ち取ってもいい。敵が強かったら逃げれば『釣り』になる。何をしても、損はしない勘定だ」

 葉山が図をそのままにして立ち上がり、また窓の外を眺めた。
 戦場を思い描くにしては、彼の表情は穏やかだった。
 
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