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戦人外伝 ~木ノ下家の事情~
勝負
しおりを挟む「負けるのは嫌なんですよね」
惣鳴は腕を組んだまま、後ろを歩く紗枝にそう言った。
目的地までの道中で、彼は嫁のことを考えていた。
聞き流せばそれまでだった呟きを、紗枝が問うた。
「それは、誰でもそうではありませんか?」
返事が無くてもいいと思っていた惣鳴が、照れ隠しのように横を向いた。
「……まあ、負けない人はいませんからね。どういう形であれ人は負ける。けれど、それを許したままでいられるかどうかが問題なわけでして」
「はあ、許すも何も、負けたのだから仕方ないのではありませんか」
彼女が首を傾げた。
それは全くの道理であった。
ただし、惣鳴の好む道理では無かった。
彼は、それで当然、と頷いた。
そして、紗枝に向き直る。
「例えば、ここで僕と紗枝さんが『じゃんけん』をして僕が負けたとしましょう。ほんの些細なことです。でも、僕は恐らく自分を許せないでしょう」
「まあ。私は何もしませんよ」
「ええ、わかってます。自分が許せないだけで、我慢がきかないわけではありませんから。しかしね、僕の心の中に住む僕は、いつまでも負けを覚え続けてる。一生、僕を責め続けるでしょう」
「それでは、私は一生、惣鳴様と『じゃんけん』は致しません」
「言葉のあやですよ。『じゃんけん』くらい、してもいいでしょう」
惣鳴は、少しだけ笑った。
目的地だった馬屋を見て、立ち止まった。
紗枝もつられて、その場で足を止める。
この街を取り囲む森の、境界線にある家だ。
先日、黒鎧城』の兵士から襲われた場所でもある。
「ほぅ」
彼が納得するように呟いた。
襲われたにしては、さほど荒れていない。
大抵は略奪が起きるものだが、その痕跡はなかった。
それだけで、統率の良さが分かる。
全焼した馬屋はともかく、他に火をかけられた家屋は精々のところ数件だった。
しかもその数件は、廃屋寸前の誰もいない家ばかりだった。
廃屋を燃やして誤魔化してはいるものの、これでは馬を狙ったとしか思えない。
籠城する相手が、馬を怖がるだろうか。
あるいは、こちらが逃げ出さないように先手を打ったか――――。
「惣鳴様」
紗枝の声が聞こえた。
どうやら、矢五郎に言って頼んであった案内人がやってきたらしい。
物思いから我に返った惣鳴は、何事も無かったかのように出迎える。
その人物はやはり狩人のようだった。
よくみれば、惣鳴を捕らえた男の一人であった。
「ああ、この間はどうも」
「その、失礼しやした。『戦人』とは存じ上げませんで……」
狩人はひたすら低頭していた。
これは名前が独り歩きしすぎだな、と思う惣鳴だが、まあいいか、とすぐに忘れた。
「少し聞きたいことがあるんですけどね」
「へい、あっしに分かることなら何でもお答えしやすが」
惣鳴は、城がある麓の森の一帯を指差した。
「この辺りは、馬でも通り抜けられる森なんですか」
「はあ、あっしは試したことが無いですがね。それくらいの道ならごろごろありますぜ。ただ、道は真っ直ぐでも平らでもないんで、馬を走らせることは無理じゃあないですかねぇ」
「……それで、黒塗りの鎧ですか」
苦肉の策とはいえ、効果的ではあるな、と惣鳴は思った。
闇の中で黒いものは見分けがつかない。
「他には何かありやすかい」
狩人が言った。
どうにかして役に立ちたいと、手もみをしているようだった。
惣鳴も、それでは遠慮なく、と続ける。
「それでは、ここらの燃やされた家で、人が住んでいたところはありますか」
「へ? ……ええと、無いと思いやすがねぇ。この辺は、俺の親の代まで狩人の住処だったんですわ。でも、街で人買いの商売が儲かるでしょう? そしたら、雇われ仕事でもそっちの方が儲かるようになりますわ。そしたら皆、仕事を鞍替えしやがってね。今じゃ元狩人は、逃げ出した『商品』を探す番犬みたいなもんです。それにまあ、この仕事ならではの役得もありますしねぇ」
狩人は嫌らしそうに笑った。
視線は紗枝を見ている。
見られた彼女は、耐えられないように横を向いた。
次の質問です、と言って、惣鳴は煙管を咥えた。
手馴れた動作で火をつけた。
「では、西倉という人について心当たりは?」
「そいつぁ、矢五郎様に逆らう敵の総大将ですやね。それくらい、あっしにもわかりやす」
「いや。僕が知りたいのは、裏切る前の人となりとか、噂とかが聞きたいんですけど」
「特に、ありやせんが。さほど有名なお方でもなかった――――いや、西倉の噂じゃないですが、その嫁の噂ならありやすぜ。たいそうな美人で、矢五郎様の目にとまるくらいの器量良しだったみたいですわ。そいつがまぁ、蓋を開けてみりゃ手癖の悪い女だったらしくてね。城内で盗みやらかしたってんだから、性質が悪い。その後に捕まったような話までは聞きやしたが、それからは音沙汰がないみたいですわ」
「なるほどねぇ」
惣鳴は森を見ながら、煙を吐く。
そして何か思い立ったように、狩人の顔を見つめた。
「……は。あっしに、何か?」
「いえね、名前と住所を教えてもらおうと思いまして。今日のお礼を届けさせるには必要でしょう」
「あ、いやいやいや、ありがてぇですねぇ」
お礼、の言葉を聞いて、目の色が変わる狩人だった。
自分の名前と住所を言うと、さも大金持ちになったような態度になった。
「もういいですよ、助かりました」
「へい、また何かありやしたら遠慮なく言ってくだせぇ」
狩人は、やはり低頭のまま帰っていった。
そこでようやく無愛想な顔をした惣鳴だった。
「……負けるのは、やっぱり嫌だな」
「何か、仰られましたか」
今まで控えていた紗枝が、おずおずと訪ねてきた。
惣鳴の顔を見て、わずかに驚いていた。
「僕は、見ての通りの体格です。殴り合いの喧嘩で勝ったことなど、一度もありませんが」
――――相手を許したことも無いんですよ。
そう彼は呟いて、妖魔のように煙を吐き出した。
夕日が、空を焼き尽くすように染め上げる。
沈んでゆく太陽は、惣鳴の表情を隠してしまうのだった。
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