戦人 ~いくさびと~

比呂

文字の大きさ
33 / 36
戦人外伝 ~木ノ下家の事情~

勝負

しおりを挟む

「負けるのは嫌なんですよね」

 惣鳴は腕を組んだまま、後ろを歩く紗枝にそう言った。
 目的地までの道中で、彼は嫁のことを考えていた。

 聞き流せばそれまでだった呟きを、紗枝が問うた。

「それは、誰でもそうではありませんか?」

 返事が無くてもいいと思っていた惣鳴が、照れ隠しのように横を向いた。

「……まあ、負けない人はいませんからね。どういう形であれ人は負ける。けれど、それを許したままでいられるかどうかが問題なわけでして」
「はあ、許すも何も、負けたのだから仕方ないのではありませんか」

 彼女が首を傾げた。
 それは全くの道理であった。
 ただし、惣鳴の好む道理では無かった。

 彼は、それで当然、と頷いた。
 そして、紗枝に向き直る。

「例えば、ここで僕と紗枝さんが『じゃんけん』をして僕が負けたとしましょう。ほんの些細なことです。でも、僕は恐らく自分を許せないでしょう」
「まあ。私は何もしませんよ」
「ええ、わかってます。自分が許せないだけで、我慢がきかないわけではありませんから。しかしね、僕の心の中に住む僕は、いつまでも負けを覚え続けてる。一生、僕を責め続けるでしょう」
「それでは、私は一生、惣鳴様と『じゃんけん』は致しません」
「言葉のあやですよ。『じゃんけん』くらい、してもいいでしょう」

 惣鳴は、少しだけ笑った。
 目的地だった馬屋を見て、立ち止まった。

 紗枝もつられて、その場で足を止める。
 この街を取り囲む森の、境界線にある家だ。
 先日、黒鎧城』の兵士から襲われた場所でもある。

「ほぅ」

 彼が納得するように呟いた。
 襲われたにしては、さほど荒れていない。

 大抵は略奪が起きるものだが、その痕跡はなかった。
 それだけで、統率の良さが分かる。

 全焼した馬屋はともかく、他に火をかけられた家屋は精々のところ数件だった。
 しかもその数件は、廃屋寸前の誰もいない家ばかりだった。

 廃屋を燃やして誤魔化してはいるものの、これでは馬を狙ったとしか思えない。
 籠城する相手が、馬を怖がるだろうか。
 あるいは、こちらが逃げ出さないように、、、、、、、、、先手を打ったか――――。

「惣鳴様」

 紗枝の声が聞こえた。
 どうやら、矢五郎に言って頼んであった案内人がやってきたらしい。

 物思いから我に返った惣鳴は、何事も無かったかのように出迎える。

 その人物はやはり狩人のようだった。
 よくみれば、惣鳴を捕らえた男の一人であった。

「ああ、この間はどうも」
「その、失礼しやした。『戦人』とは存じ上げませんで……」

 狩人はひたすら低頭していた。
 これは名前が独り歩きしすぎだな、と思う惣鳴だが、まあいいか、とすぐに忘れた。

「少し聞きたいことがあるんですけどね」
「へい、あっしに分かることなら何でもお答えしやすが」

 惣鳴は、城がある麓の森の一帯を指差した。

「この辺りは、馬でも通り抜けられる森なんですか」
「はあ、あっしは試したことが無いですがね。それくらいの道ならごろごろありますぜ。ただ、道は真っ直ぐでも平らでもないんで、馬を走らせることは無理じゃあないですかねぇ」
「……それで、黒塗りの鎧ですか」

 苦肉の策とはいえ、効果的ではあるな、と惣鳴は思った。
 闇の中で黒いものは見分けがつかない。

「他には何かありやすかい」

 狩人が言った。
 どうにかして役に立ちたいと、手もみをしているようだった。
 惣鳴も、それでは遠慮なく、と続ける。

「それでは、ここらの燃やされた家で、人が住んでいたところはありますか」
「へ? ……ええと、無いと思いやすがねぇ。この辺は、俺の親の代まで狩人の住処だったんですわ。でも、街で人買いの商売が儲かるでしょう? そしたら、雇われ仕事でもそっちの方が儲かるようになりますわ。そしたら皆、仕事を鞍替えしやがってね。今じゃ元狩人は、逃げ出した『商品』を探す番犬みたいなもんです。それにまあ、この仕事ならではの役得もありますしねぇ」

 狩人は嫌らしそうに笑った。
 視線は紗枝を見ている。
 見られた彼女は、耐えられないように横を向いた。

 次の質問です、と言って、惣鳴は煙管を咥えた。
 手馴れた動作で火をつけた。

「では、西倉という人について心当たりは?」
「そいつぁ、矢五郎様に逆らう敵の総大将ですやね。それくらい、あっしにもわかりやす」
「いや。僕が知りたいのは、裏切る前の人となりとか、噂とかが聞きたいんですけど」
「特に、ありやせんが。さほど有名なお方でもなかった――――いや、西倉の噂じゃないですが、その嫁の噂ならありやすぜ。たいそうな美人で、矢五郎様の目にとまるくらいの器量良しだったみたいですわ。そいつがまぁ、蓋を開けてみりゃ手癖の悪い女だったらしくてね。城内で盗みやらかしたってんだから、性質が悪い。その後に捕まったような話までは聞きやしたが、それからは音沙汰がないみたいですわ」
「なるほどねぇ」

 惣鳴は森を見ながら、煙を吐く。
 そして何か思い立ったように、狩人の顔を見つめた。

「……は。あっしに、何か?」
「いえね、名前と住所を教えてもらおうと思いまして。今日のお礼を届けさせるには必要でしょう」
「あ、いやいやいや、ありがてぇですねぇ」

 お礼、の言葉を聞いて、目の色が変わる狩人だった。
 自分の名前と住所を言うと、さも大金持ちになったような態度になった。

「もういいですよ、助かりました」
「へい、また何かありやしたら遠慮なく言ってくだせぇ」

 狩人は、やはり低頭のまま帰っていった。
 そこでようやく無愛想な顔をした惣鳴だった。

「……負けるのは、やっぱり嫌だな」
「何か、仰られましたか」

 今まで控えていた紗枝が、おずおずと訪ねてきた。
 惣鳴の顔を見て、わずかに驚いていた。

「僕は、見ての通りの体格です。殴り合いの喧嘩で勝ったことなど、一度もありませんが」

 ――――相手を許したことも無いんですよ。

 そう彼は呟いて、妖魔のように煙を吐き出した。

 夕日が、空を焼き尽くすように染め上げる。
 沈んでゆく太陽は、惣鳴の表情を隠してしまうのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...