戦人 ~いくさびと~

比呂

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欠けない、折れない、曲がらない2

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 木々が生い茂る山道を抜け、もう少しで綾女の鍛冶場が見えるところまでやってきた。

「美味しいですな、この団子」

 新兵衛は、串に刺さった三色の団子を食べた。
 町から出る間際の屋台で買ったものである。
 綾女も餡子の乗った団子を食べていた。代金の出所は、新兵衛の財布からだった。

「……もぐもぐ」

 俯いて団子を食べている綾女は、小さく頷いた。
 そして、新兵衛の顔をちらりと盗み見る。

 それに気付いた新兵衛は、笑いながら言う。

「何ですか?」

 綾女は急いで横を向いた。遠くの空を見上げるような格好になった。
 そのまま二人は、無言でゆっくりと歩いていく。

 静かだが、それほど苦にはならなかった。
 むしろ、気持ちを伝えるのに言葉は必要ないとすら思える雰囲気だった。

 そこで、意を決した綾女が、聞き取れないような小さい声で言った。

「……ありがとうね。助かったよ」

 風で流されて、聞こえるかどうかもわからなかった。
 綾女は、聞こえていなくてもいいと思っていた。

 少しの間が空いてから、新兵衛が綾女を見た。

「こちらこそ、命を助けられました。それに比べれば、礼を言われるようなことではありません」

 そしてまた、会話が止まった。二人の間を、心地よい風が流れていく。
 気分が穏やか過ぎて、時間の流れが遅くなっているのかもしれない、と綾女は思った。

「ねえ」
「はい?」
「新兵衛さんが崖から落ちた理由、聞いてもいい?」

 綾女は、新兵衛に近づこうとした。
 何か少しでも新兵衛のことが知りたくなっていた。

 彼女の家の近くを流れる川に、瀕死の状態で浮かんでいただけの男。
 それが新兵衛だった。
 彼を助けたのは、川に死体があったら気持ち悪いからという理由である。
 加えて、助けたお返しに自分の仕事を手伝ってもらおう、という考えもあった。

 ――――二人で暮らしたら楽しいだろうな。

 そう初めて思ったのは、刀剣商の三島屋に二人で行ったときだった。
 最初から長く一緒に居ようと思っていたわけではない。
 新兵衛にも事情がありそうなことはわかっている。彼が何処かに行ってしまいそうなことも感づいていた。

 それでも、新兵衛に近づかずにはいられなかった。

「お金でも、盗んだの?」
「…………」

 新兵衛は、黙って頭を掻いた。

「心配しなくていいさ。新兵衛さんのことだもん、自分のためじゃないんでしょう。……幾らかなら、用意してあげられるよ」

 綾女が、おずおずと新兵衛の着物の端を掴んだ。
 まるで、はぐれないように父親の後ろを歩く、童女のような格好だった。
 彼女は嬉しそうに、未来を語る。

「そうしたらさぁ、新兵衛さんはあたしに頭が上がらないねぇ。刀鍛冶の仕事だって、手伝ってもらうからね。良い刀が造れたらさ、あの食事処を貸しきって宴会しても楽しそうじゃないか――――」

 そして、唐突に未来は終わった。

「――――申し訳ない」

 新兵衛は苦しそうな顔で、そう言った。見ている綾女の方が辛くなるほどだった。

「……いいんだよ。そうなったらいいな、って思ってただけだから」

 彼女は、摘んでいた着物の端を離した。
 自然と、二人の距離は離れてしまった。
 新兵衛が背中越しで、言う。

「拙者が盗んだのは、お金ではありません。人です」

 綾女は少し笑った。

「それって、口約束で結婚した人?」
「……ええ、まあ。相手が約束を覚えていてさえくれれば、の話ですが」

 気が変わっていたら仕方ありませんが、と言いたげな新兵衛の顔だった。

「大切な、人なんだね?」
「拙者の命よりも大切です」
「それじゃあ、仕方ないね。あたしは新兵衛さんの命は救ったけど、それ以上のことをしてあげてないから」
「そういう意味では……」

 苦い顔をする新兵衛を追い越し、綾女は思い切り彼の肩を叩いてやった。

「わかってるよ。あたしだって、恩着せがましく新兵衛さんを縛り付けたいわけじゃないんだ。……それにしても、惜しかったなぁ」

 やっぱり無理やりにでも寝ておけば良かったかねぇ、と小さく呟く。

「は、はあ?」
「冗談だよ、馬鹿だね」

 得意げに笑って、綾女は先を歩いた。
 家までの距離はもう少しだった。砂利を踏みしめて、先を歩いた。
 新兵衛も背中の籠を背負いなおし、顔を上げた。

「ん?」

 そこで、家の近くに人影が二つあるのを見つけた。
 目を細めて見ると、無精髭を生やしていた。どことなく、荒っぽい印象を受ける。

「まぁた、あいつらかね」

 綾女が嫌そうな顔をして、腕を組んだ。

「知り合い、ですか」
「知り合いたくもない連中だよ。山賊だ無法者だと気取っちゃいるけど、やってることはただの泥棒さ。人買いや強盗もやってるって話も聞いたことがあるさね。元はどこかの足軽衆だったらしいけど、職にあぶれて罪人になられちゃ、こっちが迷惑だわ」

 語気を荒くして喋る綾女は、本当に迷惑そうにしていた。
 それに対し、新兵衛が眉根を寄せる。

「そいつらが、綾女さんに何の用事で?」
「刀を造れ、って頼まれてるのさ。どうにも山賊の頭目とやらに気に入られたみたいでね。刀の売り込みに手を貸してやる、とか言われてもいるんだけど」

 あたしはあいつらが嫌いでね、と彼女は横を向いた。
 新兵衛は背中の籠を、地面に下ろした。

 正面を見据えると、二人の山賊がこちらにやってきた。何やら物々しい雰囲気で、腰に刀まで差している。他にも肩に槍を担いでいて、その柄には兜や胴丸を通していた。

 表情を消した新兵衛は、その胴丸に描かれた家紋を見逃さなかった。

「よう、綾女ぇ。この男は誰だ?」

 言うなり、山賊は新兵衛を睨みつけている。もう一人も、面白く無さそうな顔をしていた。

「……関係ないさ。帰ってよ」
「そうはいかねぇ。大磯の頭目から、きっちり言付かって来てんだよ。俺も餓鬼の使いじゃねえんだ。帰れと言われて帰るわけにもいかんだろう」
「だから、刀は造らないって言ってんだろ」
「まあそう言うなって。金ならあるんだ」

 山賊はそう言って、槍を揺すってみせた。通されていた兜や胴丸が擦れ合い、雑多な音を響かせた。

「こいつを売ってくれば、大した金になるぜ。なぁ、相棒」

 山賊の隣にいるもう一人も、笑いを浮かべた。

「……近くで戦でもあったのかい?」

 綾女が疑うような視線を山賊に向けた。
 無論、山賊たちが正規の兵士を襲って武具を手に入れたとは考えられない。あっという間に返り討ちにされるだろう。統率の取れた兵士は、山賊など軽くあしらってしまう。

 そうなれば、武具を手に入れる方法は限られる。
 買うか、拾うか。
 新品の武具を買えるほど金を持っているわけでもない山賊なのだから、答えは一つに行き着く。

 死んでいる兵士から武具を奪うのである。戦があれば、それだけ斃れる兵士が多くいる。つまり、それだけ武具が落ちているということだ。
 山賊は満足げに頷いた。

「応よ。そこの山ぁ超えたところであったみてぇだ。凄ぇもんだったぜ。道が血まみれでよ、仏さんが点々と転がってやがる。五十人は死んでたと思うが、まあ、ばらばらだったんで正確な数じゃねぇ。しかし、どうにも解せねぇことがあったなぁ」

「解せないこと?」綾女が聞き返した。

「ああ。仏さんのどいつも、同じ手勢しかいねぇんだ。あれだけ派手な戦なら、相手の一人くらい討ち取ってるだろうよ。そしたら、死体が混ざるはずなんだがなぁ。……あんまり考えたくねぇが、あそこにゃ誰一人の犠牲もなく五十人を切り倒す化け物がいったてことになる。んなことができるのは物の怪の類か『皇帝覇軍』くらいだろうよ」

 皇帝覇軍ですか、と新兵衛が皮肉そうに笑った。
 その名を知らない者は皆無の軍勢である。
 それは皇帝直属の兵士たちで、忠誠心は誰より高い。武力も折り紙つきで、一人一人が戦人に匹敵するとさえ言われていた。

 それに加え、一度皇帝の勅命があれば、誰一人として残さず皆殺しにする非情の輩だった。故に『虐殺兵士』と揶揄されていた。事実、罪人の巣窟であった一つの街を、地図から消し去ったこともあった。

「……んだぁ、何か文句あんのか手前」

 山賊が新兵衛に迫った。

「いえ、何もありません」
「はん、腰抜けが。手前はすっこんでろ。……つか、手前誰だよ」

 すっこんでろと言ったり誰だと問い返したり忙しい人だ、と新兵衛は思ったが、結局は何も言わないことにした。

「だから帰れってぇのよ。しっしっ」

 新兵衛と山賊の間に割り込んできた綾女が、手の甲を振って山賊を追い払った。

「かはは、そう邪険にしてられんのも今のうちだぜ、綾女よぅ。時代の流れはうちら『大磯衆』に来てんだ。この通り、得物は拾えたしな。何より」

 山賊は笑いながら、再び槍を揺すった。

「――――頭目が、拾った娘を売って三百両も儲けようとしてんだからなぁ。どこの娘を捕まえてたんだか知らねぇが、なんとも豪気な話だぜ」

 そう山賊が話し終えた途端、新兵衛が一歩前に出た。

「何だ手前っ」

 急に前に来られた山賊は、新兵衛に掴みかかろうとした。そして、その手を『何か』に弾き飛ばされた。

「は、あ?」

 唖然とする山賊だった。ゆっくりと山賊が新兵衛に視線をやると、彼は既に、別人のような雰囲気を携えていた。
 山賊は、今まで一度も味わったことのない、肌の粟立つような威圧感に襲われた。

「――――その話、詳しく教えていただきたい」

 城からの追っ手である武装した兵士――総勢五十余名を殺害せしめた荒木新兵衛その人が、そこに立っていた。
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