戦人 ~いくさびと~

比呂

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女の花道2

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「うぉ、お」

 紅の部屋に入ってきた徳海和尚は、目の前の少女に見蕩れて動けなくなっていた。

「はじめまして、お坊様」

 彼女の着る打掛は、部屋の色に映える黒色。その生地には金の刺繍で牡丹が描かれていた。帯もまた艶やかな山吹色の格子柄だった。

 絢爛な打掛の内側からは、白、緑、紅と、鮮やかな三枚重ねの中着が見えていた。襟元から覗かせる緋色の襦袢などは、艶かしいほどに色気があった。

「立っているのも何でしょう。さ、お座りください」

 微笑む彼女に逆らえる者は、この場にはいない。
 流石に堂の入った出迎えをする銀姫であった。一つ一つの所作が丁寧で、滑らかに徳海を座布団へ誘導する。座布団に座らせる前に、袴の皺を伸ばす銀姫だった。

 相手にわからせないようにする心配りが、逆に相手の気持ちを打つことになった。
 二人が向かい合って座ったところで、銀姫は悪戯をするような顔をして言った。

「さて、お坊様は、今日はどのようなご用件でこられたのですか」
「う、うむ。まあ、あんたに会いに来たと言っておこうか」

 鼻の下を伸ばす徳海の視線は、遠慮なく銀姫に注がれた。
 正面から顔、首元、胸、と視線を下げて行き、腰や股を通って、また顔に戻った。

「それにしても、美しい顔をしておるわ」
「嬉しいことを言ってくださいますこと。あなた様に惚れてしまいそうです」

 顔を背けて、着物の袖で口元を隠す銀姫だった。

「くははは、本当のことを言ったまでだ。照れなくても良い。それに、大磯が今まで連れてきた女子の中では一番だ。まったく、どこから連れてきたのやら」

 徳海がそこまで言うと、銀姫の表情が始めて曇った。
 何かを諦めたような、心細そうな顔だった。

「それはお聞きにならないで下さい。私は誰かのものになる身の上で御座います。過去のことは、決して思い出してはならぬこと」

 その姿を見て、徳海はごくり、と唾を飲んだ。
 自分のものにしたい、という欲求が時を経るにつれて湧き上がってきた。
 そして、この娘を布団の上でよがらせて見たい、という情欲も腹の底で溜まっている。

「な、なに、気にしなくて良い。拙僧は仏に仕える身だ。すべての者を赦すのが仕事と言えよう」
「もったいないお言葉です」

 泣き笑うような銀姫に対し、徳海は慌てて周囲を見回した。思わず、このまま銀姫を抱きかかえて逃げようと思ってしまったのである。

「う、ああ、ごほっ」

 咳払いをして気を落ち着けた徳海は、部屋を見回したときに見つけた三味線を手で示した。

「あ、あんた、三味線は弾けるのか」
「はい。あまり褒められたものではないですが、手慰み程度には弾けます」
「なら、聞かせてもらってもいいかな」
「お耳汚しにならなければよろしいのですが」

 また微笑する銀姫だった。どんなに三味線を弾くのが下手でも、つい許してしまいそうな気分にさせられる。

 銀姫は立ち上がり、掛けてあった三味線と撥を手に取ると、元の位置に戻った。
 音を確かめるように、ニ、三度ほど弦を弾いた。

 次に、深く緩やかな音階が流れ始めた。
 歌声は無かったが、それ故に三味線の技量が問われる。
 物悲しげな旋律に、心を締め付けられるような気分にさせられた徳海であった。
 彼女の操る象牙の撥が動きを止めると、音も静かに消えていった。

「どうでしたか」

 銀姫が小首を傾げて感想を聞くと、惚けたような顔をしていた徳海は我に帰って頷いた。

「幾らだ」
「え?」
「あんたの値段は、幾らだ。大磯からは、はっきりした値段を聞いていないからな」

 徳海は大真面目な顔をして立ち上がった。

「この後に競売などする必要は無い。拙僧があんたを救おう」
「でも、それは」
「それ以上は言わなくても良い。まかせておきなさい。それで、どうなんだ」

 銀姫は一度俯いた後に、申し訳無さそうに言った。

「三百両に御座います」
「さ、三百ぅ? ……ぬぅ、三百両か、いや、しかし」
「ご迷惑でしょう、お坊様。私のことは忘れて――――」

 そう銀姫が呟くと、徳海は威勢良く彼女の言葉を遮った。

「否っ! まかせろ!」

 顔を引きつらせるようにして、無理やり笑顔になった徳海は、足音を荒くして部屋から出て行った。
 三味線を抱えたまま一人になった銀姫は、首を回した。

「……ふむ。やはり肩がこるのぅ。しかし、三味線を弾いたのも何年ぶりじゃったか」

 そう言って、べべん、と三弦を掻き鳴らすのであった。
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