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生殺与奪4
しおりを挟む新兵衛は、既に町まで帰ってきていた。
記憶を頼りに、先を急ぐ。
道の両側には、地面に茣蓙を敷いた農民たちが、朝市を開いていた。
土のついた大根や白菜が並べられ、朝市が賑わい始めた頃だった。
行き交う人を避け、彼は目的の場所に到着した。
そこは、二階建ての商家だった。
新兵衛が暖簾を掻き分けて店内に入ると、ちょうど三島茂清が板の間に座っていた。
どうやら、差料の検分を終えたところであるらしかった。
まだ新兵衛には気づいていない様子である。
そうしていると、店の奥から下男が出てきた。
「……困ります、御客さん」
嫌な気配を感じ取ったのだろう。
下男は新兵衛を追い払おうとした。こういう刀剣商では、食い詰め武士が己の刀を高値で売りにくることも珍しくない。
しかし、顔を上げた三島が、下男を手で制し、無言で店の奥に下がらせた。
「この人は、綾女さんの知り合いだよ。……あんた、新兵衛さん――――だったかね」
静かに刀を桐の箱へ仕舞い込み、三島は新兵衛の姿を見た。
「それにしても、ひどい格好じゃあないか。髪は荒れ狂い、着物は擦り切れて、まるで野生児みたいな姿だね。しかし」
その眼はどうしたことだい、と言葉を付け加えた。
「それが本当の荒木新兵衛、ということなんだろうねぇ。私も長年、刀を鑑定し続けてきた男だ。よく切れる刀、頑丈な刀、他にも沢山見てきた。その点、人ってのも同じでね。色んな人間がいるもんさ。同じ刀なんてのは一つもない。それでも――――それでも、あんたみたいな眼は初めてだ。そんな、渇いた眼は」
新兵衛は何も言わず、ただ三島の目を見返した。
しばらくして、三島が溜息を吐く。
「で、何の用事だい。こっちは刀剣商だからね。刀しか用立てるものはないよ」
「では、刀を必要とする人間のことをよくご存知でしょう。この辺りで有力な侍を教えていただきたいのですが」
「侍? まあ、ご贔屓にしてくださる御武家様もいないではないけどね。こう言っちゃあ何だが、目立って大きな御武家様もいないね」
「構いません。三島さんがご存知の中で、一番大きな武家の名を教えてください」
「へぇ、一番大きな御武家様かね。……まあ、この辺じゃ、真木様のところが大きいと言えば大きいよ。この領内から出るための関所を任されているから、それなりに守護様の覚えもあるだろうしね」
守護様、という言葉を聞いた新兵衛は、少しだけ表情を歪めた。
守護様とはつまり、日出国八州の一つを司る守護大名であり、銀姫の父親のことだからだ。
「どうしたんだい?」
いぶかしむ三島であったが、新兵衛は頭を横に振って誤魔化した。
そして、銀姫のお傍仕えだったときの記憶を掘り起こす。ある程度の武家の知識は、常識として叩き込まれていたのである。
「いえ。関所守の真木といえば、確か真木直近様でしたね」
「ほう、流石は元侍だ。武家の名前には強いんだね。でも、それは少し前までの話さ。今は直近様の御子息である、忠宗様が跡目を継いだって話だよ」
新兵衛は短く息を出してから、言った。
「その真木忠宗様の屋敷はどちらにありますか」
三島が眉を顰め、値踏みをするように新兵衛を見た。
「聞いてどうするつもりだね。仕官の仕事でも探すつもりかい? 確かにあんたは腕も達者そうだし礼儀も知ってそうだが、その格好じゃあねぇ」
その後に言葉は続かなかったが、言外に、仕官は無理だ、と言っているようなものだった。
「ああ、そうだった」
三島はいきなり何かを思い出したように、手を叩いた。
次には、先ほどまで検分していた差料を桐の箱から取り出し、刀袋を解いた。
「この刀、綾女さんが持ってきた物でね。何でも、あんたのために打った刀って話じゃないか」
黒い漆塗りの無骨な鞘。実用性重視の、飾り気のない鍔。見た目には味気のない拵えと言える刀だった。
しかし、他の刀とはまるで存在感が違っていた。
三島屋の店先に並ぶ刀剣の中には、幾らか業物も含まれているが、それすら霞むほどの迫力だった。
「この出来栄えなら、四つ胴裁断の大業物にだって引けは取らないよ。この刀が来てからというもの、うちの刀は皆喰われたように大人しくなっちまった。それだけの刀だってのに、銘が切られてない。無銘なんだよ、信じられるかい? 綾女さんが銘を切らないって言うんだよ、まったく。銘を切って売りに出せば、二百両は超えるだろうに……」
そこで我に返った三島は、苦笑いを浮かべた。
「話の腰を折って済まないね。職業柄、名刀に出会うと興奮するんだ。……で、この刀はあんたのものだろう? 仕官するときに、忠宗様に献上したらどうだい。これなら仕官も夢じゃないよ。献上用の仕度はうちでやらせてもらうし、金は出世払いでいい。出立は明日にしな。そうすれば、あんたのその格好も面倒見させてもらう――――」
三島の言葉を断ち切るように、新兵衛は口を開いた。
「かたじけない。が、拙者には無用。二君に仕えるつもりは御座らん」
口を開いたまま止まっていた三島は、呆然とした表情を見せたあとで、溜息を吐いた。
「ああ、そうかい。合点がいったよ。あんたはまだ、仕えているんだな」
肯定も否定もしない新兵衛の態度が、逆にすべてを物語っていた。
「元侍だと言って済まなかったよ」
そう言って頭を下げた三島は、まるで献上するように両手で刀を差し出した。
綾女の打った刀を受け取った新兵衛は、そのまま腰帯に差した。
動きを確かめるように刀の位置を整えた後で、三島を見た。
三島が頷く。
「わかってるよ。これからあんたが何をするかは聞かない。それと、真木忠宗様の屋敷は、ここから東に行ったところにあるよ。観音峠を目指せば迷うことはないさ」
「……観音峠?」
「そうさ。ちょうど関所がある場所でね。遠目からその峠を眺めると、合掌してるような形に見えるんだよ。だから、観音峠と呼ばれてるんだ」
聞き終わると新兵衛は会釈し、店を出ようとした。
その背中に声が掛けられる。
「綾女さんに、会ってやってから行くことは出来ないのかい?」
「――――」
一瞬、立ち止まった新兵衛だったが、結局、何も言わずに暖簾を潜り、店の外へ出たのだった。
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