平凡な自分から、特別な君へ

暇神

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俺達、遠出する。

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 様々な事が最終的になり果てる、『日常』というのは恐ろしい物だ。

 誕生日にプレゼントを貰う。最初は喜ぶ。よく使ったり、それで遊んだりする。だが、次第に飽き、使わなくなる。輝いていた筈の何かが、突如としてその光を失う。衝撃こそ無いものの、その変化は大きな物である。
 最初は目新しかったプレゼントも、たった数か月で当たり前の物になる。それがある『非日常』が、次第に『日常』になる。
 人間、いや生物の、『慣れ』、『順応』には度々驚かされる。環境の変化に適応し、気候、高度が違う場所でも、その環境に適応した体へと変化し、その地域で生きる術を身に着ける。
 人類の歴史の中で、人間はどれだけ変化しただろうか。木の棒から石器、石器から鉄器、火薬、サイバー攻撃といった風に、他者へ害を成す手段だけ取っても、人間の変化の度合いが分かる。個人間での関わりの複雑化や、産業の発展なども考えれば、キリが無い。
 だが、果たしてそれは、『人類の進化』と呼べるのだろうか。
 太古の昔より、人間は争いを続けてきた。民族、文化、意見の相違。自身が納得する為、より豊かになる為に、人は争う。これは現代でも同じ事が起こっている。国同士の戦争に限らず、グループや個人間での諍いでさえ、減るどころか増えている。
 確かに、人類は技術を身に着け、豊かな生活を手に入れた。しかし、これでは何も変わっていない。争い、奪い、一時的に満足し、また争う。人間の本質は、この地球に人類が誕生した時から、何一つとして変化の兆しを見せていない。世界平和という目的を持って行動したとして、このループは果たして無くなるだろうか。
 ならばどうするか。変化する世の中で、変化しない人間の生を楽しむには、一体どうするべきなのか。答えは一つ。たった一つのシンプルな行動。
 毎日に、違う刺激を与え続ける事だ。

 毎日毎日、終わりが見えないような、同じような事を繰り返した人間は、やがて精神を病んでしまうという。俺の日常に救いがあるとするならば、この生活が、一応にも刺激的である事に他ならない。
「おはようございます亮太さん!」「明日空いてます?」「今日はここに行きますよ!」
 繰り返すような毎日。しかし、目的地は毎回違うし、偶に七海さんが話しかけて来ない日もある。そういう日は、決まって陽太さんと話す。昨日見たテレビの話、バイト先であった嫌な事の話、特に意味の無い、悪ふざけのような話。そうしていると、結構楽しい。
 しかしその日は、七海さんも話しかけて来ない、陽太さんも用事で居ない、俺に話しかけて来る人も、俺が勝手に仲良しだと思ってる人も居ない、平和で静かな日だった。他者との関わりが存在しない日というのは、大きな変化も無い代わりに、大きなストレスも無い。俺は今日一日を、少しでも心を休める日にしようと誓った。
 なぜ体ではなく心なのか。心の不調は体の不調。人間の精神は、その人間の肉体にも影響する。精神と肉体の関係は、見かけは細い糸に見えるが、その糸はワイヤーのような物である。
 心を休めるにはどうするか。全力を出す。全力で、何かをやる。正直、ここでやる物は何でも良い。ここでは、『楽しむ』事が重要である。その為に一番手っ取り早いのが、何かに全力で打ち込む事である。やけ酒、やけ食い、買い物。世のストレスを発散させる手段の共通点というのは、気軽に近所で楽しめる物である事だ。
 全力で何かをやると、当然疲れる。だが、それは肉体の話だ。肉体の疲れなど、たった数日休むだけでどうとでもなる。あくまでも、目的は『心を充実』させる事だ。充実した心は、結構休まり易くなる。これが目標だ。
 やりたい事が決まった次に、何をすれば良いか。それは、この後の『行動』を決める。
 予定は、可能な限り曖昧な方が良い。勉強や仕事となればその限りではないだろうが、日常的に行う『趣味』の範疇であれば、不足の事態、都合の変化、別にやりたい事ができた時などに対応できるよう、予定は曖昧にしておくのだ。
 俺は今、金欠な大学生の身だ。やれる事は限られる。あまり金を使うような遊びや、高い物を買ったり食べたりはできない。ならばどうするか。腹ペコな男が、全力で楽しむ事と言えば一つ。焼肉だ。
 俺の計画は単純明快。先ず、近所の焼肉屋に行き、『食べ放題』を頼む。他よりも高い金を払う代わりに、どの肉でも食べて良いという、あの食べ放題をだ。
 そして、思う存分食う。肉を焼き、可能な限り大量に。今までつらつらとそれっぽい事を言ったが、俺がこれからやるのは、所謂やけ食いと言う奴だ。
 無論、これだけでは赤字は確定。普通に食わせるよりも利益を上げる為、様々な店は食べ放題やバイキングを謳うのだ。ただ食うだけであれば、単品で頼んだ方が損は少ないだろう。
 しかし、それはただ食う場合に限った時のみの話である。俺はこの千載一遇のチャンスを待ち侘びた。そこそこ用意周到な俺が、何の対策もしていない訳が無い。
 そう、俺はこの日の為に、今日行く予定の焼肉屋で、最も元を取り易い頼み方を調べた。単品で頼んだ時の値段、腹の膨れ具合、タレや米との相性など、ネット上に存在している公式サイトは勿論、レビュアーのレビューなど、参考程度に十個程のサイトで情報をかき集めた。準備万端獅子奮迅焼肉定食。
 しかし、食べ放題の料金というのは、『思い出料』のような部分がある。このメニューを頼む人間にとって重要なのは、『焼肉を食べた』という経験ではなく、『好きなだけ焼肉を食べた』という事実である。元を取るのはあくまで目標。そこを見失ってはいけない。
 大学の講義が終わるのは夕方頃。そして開始時刻は七時。それまで運動でもして、腹を減らしておこう。

 大学の講義も終わり、俺は一旦アパートに戻った。そして、腹筋、背筋、スクワットなど、適当な筋トレをして時間を潰した。普段ならやらないし、運動をしている訳でもないので、結構辛い。しかし、全ては焼肉を全力で楽しむ為。今は耐える時間だ。
 そして六時四十分。決行の時だ。俺は汗をかいた体をさっと流し、さっぱりしてから、件の焼肉屋に向かう。
 暖簾に、手動で開閉させる、スライド式の扉。ネット上に評価を見る限り、古き良き名店と言う奴らしい。見た感じ合ってそう。
 中はそこそこ人が居た。騒がしい店内には、肉が焼ける音と、タレの香りが広がっている。若者がひしめく話題のお店と言うよりかは、根強いリピート客の多い名店と言った雰囲気が醸し出されている。
「いらっしゃいませ。一名様でしょうか」
「はい。一名です」
 店員に案内されるまま、俺は席に着いた。テーブルには、複数のタレや、メニュー表があった。しかし、今日の俺は事前に調べてきた人間。メニューなど必要ない。俺は即座に店員を呼んだ。
「ご注文をお伺いします」
「この『三十分食べ放題コース』をお願いします」
「かしこまりました。最初は何になさいますか」
「じゃあ、モモとランプをお願いします」
 ネット調べの情報によると、この二つの部位は、牛肉の中では油少なめな部類らしい。最初から油が多い奴に行くと、最後の方がきつくなるらしいので、最初はここから。
 店員が運んで来た、その皿に盛りつけられた赤色の物体に、俺は目を光らせる。俺は早速、これらを焼き始めた。
 何も、高い物を食べるのが元の取り方ではない。こういうのには時間制限がある。その限られた時間で、どれだけ長く食べ続けられるかが重要である。その中で、少し高めな物を挟んだりする事で、元を取るというのが、俺の作戦だ。
 焼けた肉を、俺はタレにつけ、早速米と一緒に口に掻き込む。うん。やはり肉には米だ。辛味と甘みが同時に存在しているタレが、肉に絡みついている。こんなの旨いに決まってる。
 俺は肉を食べながら、次の肉を焼く。まだ時間はたっぷりある。楽しもう。
 俺は、肉を焼き、食べ、焼き、足りなくなったら注文し、また焼くという行動を、延々ループし続けた。腹には溜まるが、まだ食える。
 楽しい時間というのは、結構すぐに過ぎ去ってしまう。思う存分肉を堪能し、そろそろ腹も一杯かなとなって来た辺りで、時間切れとなってしまった。
「お客様。そろそろお時間です」
「分かりました。ありがとうございました」
 俺はレジに向かい、会計を済ませる。そこそこ値は張ったし、元が取れたかは定かではないが、これも思い出料。良い時間だった。
 帰り道、俺は満足感で恍惚としていた。思う存分焼肉を食った。そんな事実が、堪らなく嬉しい。
 マンションに戻っても、俺は暫く焼肉の余韻に浸っていた。素晴らしい。こんな楽しい食事、多分人生で初めてだろう。地元では焼肉に連れて行ってもらえた試しが無い。
 そろそろ余韻も冷めて来た辺りで、俺は風呂に入った。温かい風呂が、体の芯まで熱くしてくれる。は~幸せ。
 今日は良い日だった。そう思える経験がたった一つでもあれば、その日は間違いなく、『良い日』なのだ。
 明日が少し楽しみだ。

 今日も、七海さんは俺に話しかけて来た。まあ、いつもの事だ。もう日常に溶け込んでしまっている。
 だが正直、七海さんと話していると、若干楽しく感じる。七海さんにも慣れて来たという事だろう。まあ悪くはない事だ。慣れるという事は、少しストレスが減るという事でもある。そう考えた方が気が楽だ。
「亮太さん、今度の休み、出掛けませんか?」
「君がそう言うって事は、今度の休日、俺は予定が無いという事だ。お付き合いさせてもらうよ」
 この数か月で、俺は七海さんについて学んだ事がある。その中の一つが、これだ。
 七海さんが「出掛けませんか」と聞いて来る時、俺は逃げられない。どんな嘘を使ったとしても、七海さんは決定的な証拠を以て、それを否定する。反対に、俺に予定がある時、七海さんは絶対にこう言わない。七海さんは、その異常な情報力を使って、俺の週末の予定を知る。それに基づいた行動を取るから、七海さんは凄い人だ。
 そして七海さんは、一緒に出掛けている時以外は、大学の外で干渉してこない。プライベートの尊重はしようと思っているのか、そうでもないのかが分からない。
 七海さんがこういう誘いをしてくるのは、決まって大学の講義中だ。他の時間で話す事はあっても、こういう誘いはしてこない。何のポリシーなのか、何か憧れでもあるのかは知らないが、七海さんはこういうよく分からない事をする人だ。
「で、次に行く場所は?」
「そうですね~。どこか遠出でもします?」
「分かった。どの辺りまで行くんだい?」
 遠出となった時、俺には一つ問題が残るのだ。金である。どこまで行くのか、どんな所に行くのかで、俺への負担が変わる。
 七海さんは心配要らない。彼女の預金通帳には、とても俺と同じ年齢の大学生とは思えない額が存在している。基本、七海さんが遠出すると言い出しても、七海さんにとっての致命傷には成り得ない。すげえ。
 七海さんは少し考え込んだ後、俺に今回の目的地を話した。
「仙台とかどうです?牛タン美味しそうです」
「仙台か……頑張ろ。泊まり?」
「流石に日帰りはキツイですしね~」
 仙台とは、結構遠い所をチョイスして来たな。そうなれば、俺は頑張らなければならない。生活費用を節約しよう。日雇いでも考えてみようか。
 兎に角、俺は七海さんに合わせよう。そうしているのが一番楽だし、七海さんには結構良い店を教えてもらった。文句を言うのは何か違う気がする。
「じゃ、決まりですね。朝五時、あの喫茶店でお願いします」
「はいはい分かりましたよ~」
 暫くは極貧生活かねえ。ま、それもこれも、七海さんとの繋がりを持ち続ける為だ。頑張ろう。

「マスタ~、給料上げてくれませんか」
 仙台への遠出となれば、それ相応の軍資金が必要である。移動、宿、飯。旅行は金が掛かる。それだけの金を使った後、なるべく財布に負担を掛けない為、俺はマスターに、交渉と言う名の無駄話をしていた。
「君も結構豪胆になって来たねえ。ま、皿洗いとか、偶に来るお客の対応とか、色々頑張ってくれたら考えるよ」
 前言撤回。存外無駄でもなかったようだ。俄然やる気が出て来た。頑張ってみよう。
 それからも、俺は色々やった。他のバイト先で頑張ったり、日雇いで金を稼いだりした。食事にも気を使った。なるべく、賞味期限が近くなって安くなった品物で料理したり、あの喫茶店での余り物や廃棄する物を貰ったりして、節約する。焼け石に水と言う者も居るだろう。しかし、零と一の差は一ではない。やるだけやってやろう。
「は~久々の肉らしい肉うめえ」
「何仙人みてえな食事してんだ亮太」
 この日、俺は陽太の家に遊びに行った。誘って来たのは向こうで、「暇だから付き合え」との事だった。
「仙人とは失礼な。俺は霞を食らう程困窮していないぞ」
「もしそうだったら本気で心配したわ」
 食事は俺が作った。お邪魔しておいて何もしないでは、俺の良心が痛む。せめて家事の手伝い位はやりたい。
 食事も終わり、俺は皿洗いをしてから、陽太と少し駄弁った。最近あった嫌な事や、良かった事、結構どうでも良い事を話し、笑った。友人と過ごす時間は、間違い無く一人で居る時間よりも充実していると断言できる。
 夜も更けて来た頃、俺は少し、七海さんについての話をした。結構行動がパターン化できて面白いだとか言って、少し笑った。しかし、明日一緒に仙台に行くという事を話すと、陽太は少し意外そうな顔をした。
「お前、あの人とそんな関係にまで……」
「おい待て。多分お前は誤解をしている」
「誤魔化さなくて良いんだぜ……俺も今度彼女とデートだからよ」
 おいそれは初耳だぞどうなっていやがる。
「だがなあ、未だ一つ屋根の下での寝食も叶っていないんだぞ……羨ましいだろおが……」
「いや俺としては彼女が居るのが羨ましいんだが」
「だとしてもだよ!一人暮らしで初めて自分の部屋に呼んだのが男友達な俺の気持ち、お前に分かるか?」
 おおうそう言われると少し哀れに思えてきた。ていうか悪かったな俺が男で。
 しかし、なんでコイツこんなできあがった面してやがるんだ。まるで酒でも飲んだような……
 そう考えている俺に、一つの決定的な物体が見えた。何と、空になった缶ビールである。そうこの男、木村陽太十九歳は、飲酒が許された年齢でないにも関わらず、酒を飲んでいやがるのです!
 しかし、俺も鬼ではない。ここで見聞きした事については、何も言うまい。俺は何も見ていない。
「あ?これか?お前も飲む?」
 どうして陽太ってこう人の気持ちが察せれない一面があるのかなあ。まあそこが面白い所でもある訳だが。
「いや。俺そろそろ帰るわ。明日はええし」
「そうか~お前も彼女と初デートか~頑張れよ~」
 この酔っ払いがよお。
 俺は「じゃあな。程々にしとけよ」とだけ言い残して、さっさとアパートに戻った。
 あの場から去る為の言い訳ではあったが、明日が早いのも事実。荷物の確認だけして、今日はさっさと寝よう。

 さあ、明日が楽しみになってきた。

 翌日、時間通りに七海さんは来た。若干早めに来ていた俺を見て、「お待たせしました~!」と言いながら走って来た。
「いや、時間通り。流石ですね」
「ありがとうございます」
 しかし、ここまで時間通りというのも凄い話だ。一分の誤差も無く来たぞ。
「朝どうします?」
「そうですねえ……マスター!起きてますー!?」
 七海さんは大声を出しながら、喫茶店の扉を叩いた。すると、中から物音がした後に、扉を開けマスターが出て来た。少し身形が崩れている。朝のルーティーンの真っ最中だったのだろうか。少し悪い事をしたな。
「どうしたのお二人さん?こんな朝早くから」
「朝食を頂きに来ました」
「そういう事です。ささ、早く中に入れてください」
 マスターは「君らねえ……」とぼやきながらも、俺達を店に通してくれた。
「僕の朝ご飯のついでだから、大した物出ないよ」
「良いですよ」
「むしろそれ目当てもあります」
 あの七海さん。俺それ聞いてませんよ。
 そうして暫く待っていると、マスターが椅子と三つのプレートを持って来た。どうやら、一緒に食べる気らしい。まあ良いか。飯は複数人で食べた方が美味い。
 もそもそとサンドウィッチを食べていると、不意にマスターが話しかけて来た。
「で、どうしてお二人はこんな朝に?」
「今日は遠出なので、早めに来たんです」
「どこまで?」
「仙台です。マスターも結構早いんすね」
「健康には早寝早起きが一番さ。亮太君はそこんとこ大丈夫かい?」
「体は資本ですからね。大丈夫ですよ」
 そんな話をしていると、やはり飯は早く無くなる。俺達は電車の時間もあるので、さっさと店を出る事にした。
 去り際、マスターは俺に向かって、小声で話しかけた。
「頑張ってね」
 俺はその意味を聞こうとしたが、七海さんに急かされて、聞く事ができなかった。何を頑張れと言うのだろう。これはただの『お礼』であり、その過程で遠出するというだけの話である。一体何を気負う事があろうか。
 休日の電車も、この時間ではいつもより空いているように感じる。座る空きは無いが、そう感じる程度の余裕がある。
 電車で新宿駅まで行った俺達は、すぐさま新幹線のホームに向かった。時間がギリギリという訳ではないが、まあ早く行くに越した事は無いだろう。
 案の定まだ来ていない新幹線を待つ間、俺達は暇潰しに持って来た小説を読んだ。俺は乱読するタイプだが、七海さんは名作や一つのシリーズを、何度か繰り返し読むタイプの人らしい。分かり合えないとは言わないが、まあ違うタイプの人間だ。
 そうしていると、俺達が乗る新幹線が見えた。もうすぐ電車が入る旨のアナウンスと共に、その車両は駅のホームに入って来た。やはり鉄道は男のロマン。鉄オタという程でもないが、こういうのは少し胸が躍る。
 俺達はこの駅に降りる人を待ってから、車両に乗り込んだ。この駅で大分降りたらしく、中はそこそこ空いていた。俺は、窓際に七海さん、通路側に俺という感じの配置で座った。
「いや~亮太さん。いよいよ仙台に行くって感じしてきましたよ」
「まだ二時間あるんですから、今の内に仮眠とっときましょう」
 俺はそう言って、背もたれにもたれかかって、仮眠をとる体制に入った。七海さんは「え~つまんないの」と言っているが、そんなの大した問題ではない。今の内に、英気を養っておくのだ。

 そして約二時間半。俺達は目的地、仙台に到着した。
「やって来ました!仙台~!」
「イッテQに怒られていまえ」
 始めて来たらしい仙台にはしゃぐ七海さんと対照的に、俺はけっこうぐったりしている。七海さんはそんな俺を心配しているらしい。
「亮太さん、大丈夫ですか?」
「誰のせいだ誰の」
 俺が疲れている理由は簡単。行きの途中、眠ろうとした俺は、横に座った七海さんにずっと話しかけられ、眠るに眠れなかったのだ。ただでさえ、昨日は睡眠時間が短く、長時間の移動は体に負担が掛かるというのに、これでは疲れるだけだ。
 結局、俺は疲労を残したまま、仙台観光へと繰り出したのだった。
「大丈夫ですか?」
「その内慣れる。睡眠不足はこれが初めてでもないしな」
 まあ、ここでうだうだ言っても仕方が無い。ここは眠気を押し殺して、仙台観光を楽しもう。
「さあさあ亮太さん!私のこの、『ネットで調べた仙台名所ノート』に任せてください!」
「おいそれ本当に信用できるんだろうな」
 それからという物、俺はしっかり七海さんに振り回された。
 ネット調べの悪い所は、基本的にメジャーな場所しか紹介されない事にある。なので行き先の殆どには、大勢の人々や、目を見張るような長蛇の列が。その度、俺達はどうでも良い話をしたり、一言も話さず小説を読んだりして、時間を潰す羽目になった。まあ、これはこれで楽しいし、これで良い。待つ時間も、外出の立派な楽しみの一つだ。
 ネット調べの良い所は、基本的に外れが無い事である。俺達は七海さんがネットで拾った情報を頼りに、秋保大滝という場所に向かった。
 高い場所から流れ落ちる水は大迫力で、水しぶきに日の光が当たり、どこか幻想的だ。有名になるのも頷けるような場所だった。ネットすげえ。
「亮太さん!ここがかの有名な、秋保大滝ですよ!」
「ガイドのマネは良いよ。それにしても凄いなこれ」
 駅近くの名所を選んだらしいが、それでも行きだけで一、二時間程掛かる。しかし、観光名所なんてそんな物なのだろう。この景色を目に焼き付けよう。
 昼も近くなり、腹も減った俺達は、仙台名物牛タンを頂く事にした。
 牛タンは牛の舌の事で、牛タン一つから、四つの部位に分けられるらしい。
 焼肉について多少調べた事はあったが、牛タンが四つに分けられる事を知らなかった俺は、どれが美味いのかが分からず、取り敢えず焼肉の『タン中』という部位を頼んだ。七海さんも同じ奴だった。
 出て来た『タン中』は、結構普通の焼肉だった。肉なのだから当然だが、舌と言われると、何故か少しグロテスクなイメージがあった。理由は多分無い。
「やっぱり美味しいですね~」
「最初は食べる物が無くて、嫌々食べ始めた部位だったらしい。それが定着して、今に至るそうだ」
「こんな美味しいのに勿体無い」
「ま、馴染みが無い物に手を出すのは、勇気が要るという事だな」
 ネットに出て来るような店というだけあって、中はお洒落な物で飾られている。若者も多く、とても賑わっている。やはりネットマーケティングは偉大。
 食べ終わり、少し余韻を楽しんでいると、七海さんが次の予定について話し始めた。
「この次どうします?食べ物でも、観光でも良いですよ」
「ん~仙台名物の食べ物とかが良いかな。折角だし文化を感じたい」
「了解。ここから近いのだと~……あ、ばくらいとかどうです?」
「なにその爆発しそうな名前の物」
「珍味らしいですよ~」
 ほほう。それは胸が躍る。

 その日は一日移動を繰り返し、夕方には両者結構ぐったりしていた。それだけ疲れたし、楽しんだ。
「疲れましたね~」
「あ~足が辛い!楽しかったなあ!」
「それは何より」
 そして俺達は、今夜泊まる宿に向かった。まあ、学生の思いつきから、立派なホテルが出て来たらビックリだ。俺達はネットカフェで、一夜を過ごす事になった。
「へ~ネカフェって料理とか出るんだ」
「結構そういう所多いですよ。折角ですし、漫画でも読み漁ります?」
「良いねえ」
 一日食べ歩きのような事をしていたので、腹は案外減っていない。軽めにしとこう。
 俺達は料理を頼んでから、一階にある漫画を取りに行った。不朽の名作から今話題に人気作まで、色々な漫画があった。流石はネカフェ。すげえ。
 俺達は自分が気になった漫画を数冊持って、自分達が借りた部屋に戻った。
「ほほうその作品を選ぶとは、七海さんも中々のオタクですな」
「そちらも素晴らしいチョイスですな。まあ、楽しみましょう」
 漫画を読みながら待っていると、頼んでいた料理が来た。そこそこ豪華っぽく盛りつけられた食べ物は、結構見栄えが良い。
 俺達はそれを食べ、もう一度漫画に没頭した。漫画は読み易いから、誰でも気軽に手に取れるのが魅力だな。
 十時になった辺りで、もう七海さんは眠くなってしまったらしく、読んでいた漫画を閉じて、それを持って部屋の外に行った。どうやら漫画を棚に戻して来るらしい。マメだな。
 戻って来ると、七海さんは部屋にあった毛布に包まれた。結構眠そうな目をしている。無理してまで起きて漫画読んでる必要も無いのに。
「おやすみなさい亮太さん。襲わないでくださいね」
「寝言は寝て言え。良い夢を」
 部屋の照明を落とし、俺はスマホのライトを使って、漫画を読み続けた。うん、やっぱ暗い。
 面倒だし、俺もそろそろ寝てしまおうか。今日は疲れたし、まだ眠くないつもりでも、体の方は睡眠を必要としている筈だ。俺も漫画を仕舞って、毛布を被って寝てしまおう。
 今日は楽しかったな。七海さんに連れ回されるのは、疲れるが楽しい。こういうのも悪くないと思える。明日で終わりなのが、少しばかり名残惜しい。
 まあ、明日も楽しめるだけ楽しもう。人生を楽しむのは、一日を楽しむ事の積み重ねだ。

 翌日、多少の仙台観光と食べ物巡りをやった俺達は、満足感を持ってお開きとなった。
「いや~楽しかったですね!」
「疲れたのと同じ位の満足感がある……素晴らしい」
「結構お金出してくれるんですね」
「お金出したと言っても半々程度だし、気にするなよ」
 俺達は帰りの切符を買い、新幹線に乗り込む。行きと同じように、俺は寝る体制に入ったが、一つ違いを挙げるとするならば、行きは煩かった七海さんまで、寝る姿勢になった事である。それだけ疲れたのだろう。
 七海さんと関わらなければ、仙台までわざわざ観光に行く事なんて無かっただろう。それに、ここまで楽しい事も無かったかも知れない。少し気恥ずかしくて口には出せないが、七海さんには感謝している。ありがとう。
 二時間半かけて帰った東京は相変わらず賑やかだったが、今日はあまり気にならなかった。最寄り駅に着いた俺は、彼女と別れを告げる。
「では、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。七海さんのおかげで楽しい二日間だった」
 そう言うと、七海さんは少し照れくさそうに笑った。
「じゃ、また明日」
「はい。また明日」
 今日は楽しかった。そう思えるだけの体験を、俺はできた。この感覚だけは、『日常』にならないでほしい。
 そんな事を考えながら、俺は七海さんが乗った電車を見送った。少しばかり、寂しいが、『明日』がある。「また明日」。なんて素晴らしい言葉だろう。明日また会えると、そう安心させてくれる言葉だ。
「さあ、明日も頑張ろう。楽しみになってきた」

 俺はそう呟き、駅を出た。
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