8 / 483
其の八 鞘とがめ
しおりを挟む毎月二十八日には、あちらこちらの寺社にて月納めの縁日が開かれている。
それはここ知念寺でも同じこと。
ちょっとしたお祭り騒ぎにて、これを目当てに集まる参拝客らで賑わう門前通り。
江戸でも指折りの名所である浅草寺界隈にはまるで及ばないが、あれほどの人混みを好まない者らにとっては、これぐらいがちょうどいい。ゆえにそれなりに繁盛している。
和気あいあい、行き交う人々の顔には笑顔。
だというのにそんなせっかくの雰囲気に水を差したのは、降って湧いた男たちの怒号。
いざこざは茶屋の店先にて起きていた。
◇
茶屋をべつべつに訪れた牢人者たち。
たまさか軒下の縁台にて並んで座ることになったふたり。
ともに団子をたらふく喰らい、茶をぐびぐび呑み干し、そろそろお勘定を。
という段になって、突如として言い争いを始める。
諍いの理由は、どちらかの刀の鞘が相手のものにコツンと触れたとかなんとか。
いわゆる「鞘とがめ」あるいは「鞘当て」というやつである。
とかく武士は体面を重んじる。
それは諸事情によって牢人に身をやつしても同じこと。町人とはやや異なる価値観の中で生きている。やっかいなのが自分たちの価値観を、さも当然とばかり市井にまで持ち込むこと。ことあるごとに「おのれ、それがしを愚弄するのか!」とわめき散らすもので、町人らはすっかり辟易している。
今回もまたしかり。
さっさとどちらかが折れてちょいと謝ればすむものを、それが出来ないのが武士。
「その方がぶつかってきたのだから、まずはそちらが頭を下げるのが筋であろう」
「いいや、先にぶつかってきたのはその方だ。なのにひとのせいにしての言い逃れとは、なんとも呆れたやつ。かりにも武士たるもの、潔く己が非を認めるがよかろう」
「なにおぅ、きさま!」
「なんだっ!」
売り言葉に買い言葉。
互いに相手を射殺さんばかりに、はっしとにらむ。
よせばいいのにそれを煽るのが喧嘩好きの江戸っ子ども。やんやと火に油を注ぐ。
周囲が盛りあがるほどに、ますます引っ込みがつかなくなった牢人者たち。
ついには双方が自身の刀に手をかけた。
これに真っ青となったのが茶屋の老店主と看板娘。
「ちょ、ちょっと! 店先で刃傷沙汰なんて冗談じゃありませんよ! かんべんしてください」
「後生ですから、やるならどこか他所でやって!」
懇願するも、すっかり頭に血がのぼっているらしく、牢人たちはまるで聞く耳を持たず。とりつくしまもない。
◇
囃し立てる見物人ども。
その声に後押しされるようにして、いよいよ牢人どもが剣を抜こうとしたところで。
「ほいほいほい、ちょいとごめんよ。通しておくれ」
野次馬をかきわけ姿をあらわしたのは、ひょろりとした長身痩躯の男。
くたびれた藍染めの着流し姿。腰には小太刀のみをさしている。顔は狐面にて肌は青っ白いが、見る者がちゃんと見れば「おや?」と気に留めるであろう、なかなかに整った男ぶり。にもかかわらず、それを台無しにしているのが丸めた背中。およそ武士らしくない。なにやら夜道の寂しい垂れ柳を連想させて、どうにも頼りない。
そんな青瓢箪(あおびょうたん)が、いままさに白刃を抜き放とうとしている牢人らの間に、ふらりと割って入ったものだから、周囲の者たちは「あっ!」
誰もが、長身の男が巻き込まれて斬られるとおもった。
けれどもそうはならない。
ちぃん。
かすかな音がした。
牢人者らはそろってきょとん、不思議そうに己の手元を見つめている。
音の正体は牢人たちが持っていた腰の物。
半ば抜きかけであった刀。あとは鞘走りにて閃くばかりであったというのに、それが鞘へときれいに収まってる。しっかり柄を握っていたのにもかかわらず、一瞬で押し戻されたのだ。
成したのは長身の男の放った掌底。
目にも止まらぬ早業にてぽんぽん。双方の刀の柄頭を打ち据えたのである。
この場に居合わせた者らで、長身の男が何をしたのかをちゃんと理解できた者がはたしてどれだけいたことか。
それでもじかに掌底を放たれた牢人者たちだけは、受けた衝撃からおぼろげながらも、何をされたのかには気がついた。
「まあまあ、ご両人、もうこのへんでおよしなさいよ」
乱入してきた長身の男。猫背をいっそう丸めてにへら。
なんとも気の抜けた声に、この態度。
すっかり毒気を抜かれる牢人者ら。
それでも目の前の男になにやら得体の知れないものを感じたのか、じりじりと後ずさり。
かとおもえば互いに目配せをし、いきなりきびすを返す。
各々が反対の方へと一目散に駆け出し、あっという間に人混みにまぎれて姿を消した。
あまりにも見事な逃げっぷり。
残された一同は呆然とこれを見送るばかり。
◇
なんとも尻切れとんぼな結末。
集まった野次馬たちは口々に「ちぇっ、なんでえ」「つまんねえの」「ったく、興ざめだよ」「あのさんぴんども、びびりやがったな」「これだから近頃の二本差しはいけねえ」なんぞと好き勝手にぶつくさ。
ぼやきつつ解散する人々を尻目に、長身の男へと小走りで駆け寄ってきたのは茶屋の看板娘のおみつ。
「藤士郎さま、ありがとうございました」
「なあに、たまさか通りがかったものだから。おみつさんや親父さんもとんだ災難だったね。おっと、そうだ、忘れる前にこいつを」
藤士郎が袖より取り出したのは縞模様の巾着袋。
これは財布。ただし藤士郎のものではない。牢人者らのうちのひとりから、どさくさまぎれに拝借したもの。
そんな巾着袋を渡され困惑するおみつに藤士郎はにこり。
「軽いから中身はたいして入っちゃいなさそうだが、喰い逃げされたのと迷惑をかけられた分ぐらいはまかなえるだろうさ」
言われておみつは「あっ! そういえば」と気がついた。「あの人たちから団子のお金、もらってない」
あのふたりの牢人者らは、ぐる。
わざと騒ぎを起こし、代金をうやむやに。ばかりか店先で声を張りあげて、大袈裟に立ち回ることで、あわよくば茶屋からいくばくかの銭をせしめる魂胆であったのだ。
ごねて袖の下を要求する。二本差しによる性質の悪いゆすりたかりの一種。
「情けない。わたし、すっかり動転してしまって……。ちっとも気がつきませんでした」
まんまと一杯喰わされるところであったとわかって、しゅんと肩を落すおみつ。
そんな看板娘を「なあに、あんまり気にすることはないよ」と慰める藤士郎。
「連中、ずいぶんと慣れた様子だったからね。きっとあちこちで似たようなことをくり返していたのだろう。だからあれは騙されてもしようがないよ。それに剣の構えもなかなか堂に入っていたしね。しかしもったいないよねえ、あのふたり。なまじ腕がいいからなのか、いっそのこと刀を捨てて役者にでもなればいいのに」
10
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
大和型重装甲空母
ypaaaaaaa
歴史・時代
1937年10月にアメリカ海軍は日本海軍が”60000トンを超す巨大戦艦”を”4隻”建造しているという情報を掴んだ。海軍はすぐに対抗策を講じてサウスダコタ級戦艦に続いてアイオワ級戦艦を4隻建造することとした。そして1941年12月。日米は戦端を開いたが戦列に加わっていたのは巨大戦艦ではなく、”巨大空母”であった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる