158 / 483
其の百五十八 青葉の頃
しおりを挟む十五の頃、熱心に道場に通っていた近藤左馬之助。早くも頭角をあらわし、若輩ながら周囲から一目置かれる存在となっていた。
そのかいあって今度催される田沼邸での御前試合の末席に加わる栄誉を得た。
田沼意次は幕閣にあって世を牽引する時の権力者。つねから文武両道を掲げており、武芸を奨励している。
しかし太平の世で重宝されるのは学問ゆえに、剣一本で身を立てるのはなかなか厳しいのが実情。
けれども江戸中の名立たる道場から名乗りを上げた猛者たちが集う、この御前試合で活躍すれば剣名がおおいに高まるだけでなく、もしも田沼意次のお眼鏡にかなえば栄達の道をも開けるやもしれぬ。
この千載一隅の好機に目の色を変えて臨む参加者たち。
もちろん近藤左馬之助もそのうちのひとり。
とはいえ意気軒昂な若者が望んだのは立身出世ではなくて「強い相手と戦いたい」「そんな相手に勝ちたい」「もっと強くなりたい」といった渇望を満たすことであった。
◇
どんっ!
試合開始の合図となる太鼓が鳴るたびに、ぴりりと周囲の空気が張り詰める。
そして「それまで!」と立ち合い人の声で、ふっと空気が弛緩するも、それは次の試合が始まるまでの、ほんのわずかな間だけ。
静かな熱を帯びたまま、粛々と試合は続いていく。
試合は陣幕の内で行われ、参加者らは自分の名を呼ばれるまでは外で待機。大きな道場の高弟やすでに名の通った剣客、大身の縁者らは屋敷内に控えの間を用意されてあるが、それ以外の者らは屋外で出番を待つ。
けれどもそこは田沼意次主宰の御前試合、筵一枚で寒空の下に放置なんてことはなく、床几に番傘に茶の湯など、れっきとした茶席のような趣きのある場を用意してくれており、過不足なく待てるようにとの配慮がなされている。
近藤左馬之助の所属する一門は外組であった。
おもいおもいに過ごしている外組の者たち。
床几に腰をおろしどっしり構えている者もいれば、あえて立ったままで目を閉じ精神集中している者、落ち着きなくうろうろしている者、同門らとの軽口にて気を紛らわせている者などなど。
左馬之助は周囲をこっそり観察しては「あいつは駄目だ」「こいつは強そうだな」なんぞと内心で勝手な人物評をしては時間を潰していたのだが、そんな中で妙に気になる存在を発見する。
ひょろりとした長身痩躯にてやや猫背。歳の頃は自分と同じぐらいの若者。そんな人物が隅で黙々と体をほぐしている。
にしても随分と体が柔らかい。まるで柳の枝のよう。手足が長い。それすなわち懐深く、間合い広く、ひと息に距離を詰められるということ。頼りなさげな見た目。だが剣を手にした姿を想像し左馬之助は「むむむ」と唸るも、彼が持つ得物に首を傾げることになる。短い。小太刀を模した物であろうが、あんな物で試合をするのであろうか。そんな若者だが付近に連れらしき姿はない。ひとりのようだ。
気になることが多々。でも左馬之助がこの若者を気にした一番の理由は、彼が明らかに周囲から浮いていたから。今日という晴れがましい舞台に臨むにあたって、みんな大なり小なり意気込んでいる。いかに平静を装うとも隠しきれない覇気が滲み出ているもの。それは左馬之助も同じこと。己が内にある猛る心、はやる気持ちを押さえるのがひと苦労。
それがまるでない。
むしろひょうひょうとしている。
いざ大一番を迎えるにあたって、否が応でも高まる緊張感。見えない闘気がせめぎ合う控えの空間にあって、その男のところだけぽっかり穴が開いているかのよう。
この場にあって彼だけが異質であった。
いつしか左馬之助は若者から目が離せなくなっていた。どうにも気になってしようがない。そこでいっそ意を決して声をかけようとするも、その時のことであった。
「伯天流、九坂藤士郎殿」
係の者に名前を呼ばれて長身痩躯の若者が「あっ、はい」と気の抜けた返事にて席を立つ。猫背をいっそう丸めてそそくさと立ち去る姿が、どうにも情けなくおもわず周辺から零れたのは失笑。かくいう左馬之助もちょっと笑ってしまった。彼には悪いが、これによって場が少し和んだのはたしか。
けれどもそれはすぐに緊迫にとって変わられる。
若者が姿を消してからほどなくして陣幕の内から漏れ伝わってきたのは、どよめき。
試合で何かあったらしいと左馬之助が察したところで、外組の控えの場に駆け込んできたのは、こっそり試合を覗きに行っていたどこぞの門弟。
「た、たいへんだ! 士学館の飯島平太郎が負けた」
士学館の飯島平太郎といえば当代隆盛が際立つ新興の流派、鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)の高弟にしてすでに江戸でも名の知れた剣客、本日の御前試合でも注目株であった。
それが無名の若者に敗れたとあって、居合わせた者らはその報せにざわつき浮足立つ。
1
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
大和型重装甲空母
ypaaaaaaa
歴史・時代
1937年10月にアメリカ海軍は日本海軍が”60000トンを超す巨大戦艦”を”4隻”建造しているという情報を掴んだ。海軍はすぐに対抗策を講じてサウスダコタ級戦艦に続いてアイオワ級戦艦を4隻建造することとした。そして1941年12月。日米は戦端を開いたが戦列に加わっていたのは巨大戦艦ではなく、”巨大空母”であった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる