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其の百六十六 小谷村
しおりを挟む旅装の九坂藤士郎と巌然和尚は奥州街道を下野国方面へと。
途中、街道をそれて山中に分け入ること、江戸から三日ほどの距離にある小谷村(おだにむら)。ただしそれはこのふたりの健脚と強行軍があったればこそ。目的地が近づくほどに道は荒れ傾斜が生じるので、並みの足では倍以上もかかるであろう。それを押してまで急いだのは、狂骨なる怪異がそれだけ危険であるから。
夕暮れ迫る頃、峠にて足を止めたふたり。勢いにまかせて現地入りをしたとて、ろくに戦えない。だから焦りをぐっと堪えて、あえて手前で立ち止まり気構えと体勢を整える。
ここからであれば小谷村を一望できる。
目にしたのは暗雲垂れ込め、異様な陰気に覆われた景色。
そこは左右を崖のごとき山に挟まれた谷間(たにあい)の集落にて、赤茶けた土が目につく土地。
村を縦断している川に水はほとんど流れていない。
石だらけの水無川(みずなしがわ)。
これは増水時には水が流れるものの、それ以外の時には水は地下に潜ってしまいほとんど姿を見せないというもの。
そんな場所を吹くのは空っ風。山の向こうから来る乾いた冷たい風は、雨雲を呼び寄せることはなく、容赦なくこの地に住まう者を痛めつけるばかり。
米はまず育つまい。稗、粟、蕎麦などで糊口をしのぐしかないだろうが、それとてもどれほど採れることか。
貧しい村である。
それを見下ろし藤士郎は首を傾げる。
「わざわざここに住む意味がわからない」
人がいくら手をかけたとて、どうにもならない土地はある。人の営みを拒絶する場所というものは、たしかに存在している。
ここ小谷村はあまりにも悪条件が重なり過ぎている。
正直言ってやるだけ無駄だ。しかも狂骨なる怪異の猛威まであらわれた。
いっそこの土地を捨てて、村ぐるみで他所に移った方がいい。
そんな意見を藤士郎がつらつらと口にすると、巌然がぽつり。
「……ここはかつて流刑の地であったのだ」
小谷村には罪人の血が流れている。
先祖たちがいかなる罪を犯したのかはわからない。
だが当時の施政者によって、悪意を持ってこの地に押し込められたのである。
あえて不毛な地を与えられて、開拓開墾を命じられたのだ。
先の見えない苦役が何代にも渡って延々と続く。
なんと残酷な刑であろうか。
「気づいたか藤士郎。ここにはあれがないことに」
巌然の言葉に一瞬困惑するも、すぐに藤士郎は「あっ!」
小谷村にはお堂らしき姿がどこにも見当たらなかった。
貧しさゆえに建てられない。もしくは建てたくても許可が下りないのか。
どちらにしろこの地には、御仏の慈悲すらも差しのべられてはいないということ。
ではどうしてそんな村の近況を、遠く離れた江戸にいる巌然が知れたのかというと、この状況を憂いている近隣の寺の者が報せてくれたから。
「だからこそわしが赴くしかなかったんじゃ。こういう時、大きいところではいろんなしがらみがあって自由に動けんからな」
寺社と政は密接に結びついている。
かつては激しく反目し、血で血を洗う抗争をくり広げたこともあった。
その果てにどうにかいまの関係に落ちついている以上は、互いの領分を迂闊に侵すことはできない。だがそうして得られた平穏の裏には、ここ小谷村のように取り零され、見捨てれられた者たちが存在している。
「さて、ではそろそろ行くとするか」
歩き始めた巌然、決意を秘めたその大きな背中に藤士郎も続く。
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