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其の百八十二 炎の抱擁
しおりを挟む藤士郎が丘の下で亡者ども相手に奮戦していた頃。
丘の上では巌然と狂骨が対峙していた。
護摩壇の炎に照らされながら、にらみ合う両者。
左手に持った数珠をかざしつつ、経を唱え続ける巌然。つねに一定の距離を保ち、狂骨が焦れて襲いかかってきたところをひらりとかわし、すれ違いざまに相手の身に血文字で梵字を描く。一瞬の早業、これまでに数えきれないほどに御札を書いてきたおかげで、息をするかのようにして淀みなく動く指先……。
対して狂骨は一文字刻まれるごとに苦悶し、かたかたと骨の身を震わせる。梵字が増えるごとに内から湧いてくる衝動は激しくなるというのに、それをぶつけるべき男にはいいようにあしらわれ、ままならぬ。行き場を失くした衝動が己の中でぐるぐると渦を巻き、より苛立ちを募らせる。
狂骨に攻撃は御法度。法力でも刀剣によるものでも与えたら、すぐさま反動が起きて狂骨が強化される。それに比べれば直接梵字を描く方法での調伏は、その現象を誘発しない。とはいえ数を重ねるほどに、狂骨がより暴れるようになる。
これを制御しつつ、場を支配する巌然はすでに汗だくとなっていた。
その身に描かれた梵字の数が十三となったとき、狂骨が亡者の群れを召喚する。しかしこれは藤士郎が対処してくれている。
梵字の数が二十五となったとき、狂骨の動きに変化が生じる。人のそれから、より獣じみたものへと。身を低くし、ともすれば手をついて四つん這いとなり、オオカミのように跳びかかってくる。より素早くなり狂暴性も増した。
梵字の数が三十二となったとき、いきなり飛んできたのは骨。煩わしい経を唱えながら逃げる巌然に業を煮やした狂骨が、自分の肋骨のひとつを投げつけてきたのである。至近距離での投擲。よもやの行動に巌然は対応できず。結果、前に突き出していた左手の甲にこれを受けてしまい、数珠を取り落とし「あっ」
巌然はすぐに拾おうとするも、させじと突っ込んできた狂骨。掴まるわけにはいかぬので巌然がさがった隙に、狂骨に蹴飛ばされた数珠は護摩壇の炎の中へと。
梵字の数が四十ともなると、巌然に疲労の色がぐっと濃くなった。歩く仁王像との異名を持つ男をしても、精神的疲弊に引きずられて体の動きが鈍くなっていた。それも無理からぬこと。本来であれば十人もの徳高き僧らが集団で行うべき調伏の儀を、たったふたりで行っているのだから。相手を牽制しながら唱える読経、ほんのわずかにでも気を抜けば、たちまち効力を失う。失った数珠のかわりに独鈷杵(とっこしょ)を取り出し、近づいてくる狂骨を「吽」とはね返す。
梵字の数が四十八となった。残りは五文字。合計五十三文字の梵字を刻むことで、狂骨となった英舜を救うことができる。
だがここにきて狂骨の狂暴性がいっきに数段増した。
護摩壇の周囲をじりじりと移動しながら対峙していた巌然と狂骨。突如として身を翻した狂骨。まさかの逃亡?
驚いたのが巌然、ここで逃げられては元の木阿弥。慌てて追いかける。するとさっと護摩壇の陰に隠れるようにして移動した狂骨。一瞬その姿を見失った巌然であったが、次の瞬間には驚愕に目を見張ることになる。
燃え盛る炎の奥から消えた狂骨があらわれたからである。あろうことか炎を突き抜けての襲撃! 骸骨であるその身は炎に焼かれこそすれ、火がつくことはない。にもかかわらずその身が火に包まれていたのは身に着けていたぼろの法衣のせい。
突っ込んできた火だるま。
巌然は避けきれず。ついに狂骨の手が巌然に届く。ばかりか抱き着かれ、組み敷かれたひょうしに燃え移る火。
鍛え上げた頑強な巌然の身が押し倒された。それすなわち狂骨の力が増している証左。掴んだ骨の手、肉に食い込む指先が熱い。じりじりと巌然の肌を焦がす。
どうにか振り払おうとする巌然であるが、しつようにまとわりついてくる狂骨。
そうしているあいだにも巌然の身は炎の浸食を受ける。
このままではまずいと判断した巌然は、狂骨を突き放すのではなくて太い両腕にて抱き寄せるなり、ごろごろと地面を転がった。こうすることで火を消そうとしたのである。その狙いは功を奏し、燃え広がりはじめていた火は小火で済んだ。
この熱い抱擁を嫌ったのは狂骨。一転して逃げ出そうと足掻く。その理由は巌然の懐にあった御札の束。いまの状況、狂骨にしてみれば焼きごてを押しつけられているような格好にて、苦しみもがいていたのである。
そのことに早くも気がついた巌然は、ここぞとばかりに梵字を刻み、いよいよ残り三文字のところにまで漕ぎつけた。このままいっきに! と狙うがそうは問屋が卸さない。
不意に腕の中の存在が頼りなくなったとおもったら、狂骨の身がばらばらに崩れてしまった。
かたかたかたかた……。
笑いながら骨が繋がっていき、ふたたび人の形となる狂骨。
千載一隅の好機を逃し、仕切り直しを余儀なくされた巌然の表情がいつになく険しい。
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