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其の百九十五 魚心
しおりを挟む焙烙玉の爆風にあおられ転がる藤士郎と総髪の男。
埃まみれにて顔をあげれば、さきほどまでいた住戸の中がくちゃくちゃになっており、あちこちにて小火が生じてた。
あわてて火を消そうとする藤士郎であったが、総髪の男が「無駄だ。あちこちに飛び火しているうえに、すぐに燃え広がるぞ」とそれを止めた。
総髪の男は「やれやれ」とぼやきながら、吹き飛ばされた住戸へと戻ると入り口土間の上がり框(かまち)の板を蹴飛ばしはずす。そして床下奥から旅装一式を取り出した。
いざというときのために隠してあったらしいのだが、妙に手慣れている。そういえばこんな目にあったわりには、さして動揺している風でもなし。
「えーと……。ひょっとして、これまでにも何度も襲われている、とか?」
「まぁな、しかし連中もしつこいな。いい加減に放っておけばいいものを、十年以上も昔のことをねちねちねち」
この総髪の男こそが藤士郎の目当ての人物である魚心(ぎょしん)であった。
そして襲ってきたのはおそらく柳生の手の者であろうとのこと。
絵の道を志すと言って、なにもかもうっちゃって出奔した魚心、方々に迷惑をかけたことの落とし前をつけさせようとの魂胆。
話を聞いて、さもありなんとうなづく藤士郎であったが途中で「うん?」と首をかしげる。引っかかったのは魚心が口にした言葉の「おそらく」という箇所。
「ちょっと待って! 『おそらく』ってことは、他にも身に覚えがあるんですか?」
「あー、主家筋もあるし、あとは親族連中もかなぁ」
魚心がやらかしたせいで、妻子は故郷から逃げるようにして江戸に出た。
では残された親族らはどうかというと、身内からそんな阿呆が出たせいで、もの凄く肩身が狭い思いをするはめになった。当然ながら出世やら仕官の道にもおおいに響き、ずっとついてまわる悪評に悩まされることになった。
主家にいたっては目をかけていた指南役に逃げられたせいで、とんだ赤っ恥。ただでさえ武士は体面を重んじるというのに、これは屈辱以外のなにものでもない。可愛さあまって憎さが募り、風の噂では当時の殿様が病で死去する間際に「おのれ、佐々木織部! この恨み、はらさでおくべきか」との深い遺恨を残したとか。これにより藩からすっかり目の仇にされてしまった。
ちなみに佐々木織部(ささきおりべ)というのが、魚心の本名である。
このような仕儀により、方々から恨まれている魚心。
いろんな筋からつけ狙われ、ちょくちょく襲われていたもので、いまではすっかり馴れたもの。だからこそわざわざこんな寂れた打ち壊し寸前のぼろ長屋に仮住まいしていたのである。作風とかまったく関係なかった!
でもって、これすなわち行く先々で、いまのような騒動を起こしているということ!
「よくもまぁ、いままで無事でいられたもんだ。……にしても、なんてはた迷惑な」
藤士郎は感心するやら呆れるやら。
なのに当人はまるで気にしちゃいない。ふつうはこんな荒んだ暮らしを続けていたら、もっと陰気になるものなのに。
ひょっとしたらこの魚心……じつはすごい大物なのかもしれない。
◇
ぼろ長屋から逃げ出した藤士郎たち。
そのついでに町火消しの屯所に寄って、小火のことを報せる。
さすがにほったらかしで江戸が大火とかになったら目も当てられないので。
ふたりして向かったのは九坂家……。
ではなくて、その近所のあばら家。
さすがに魚心のような危険人物を自宅に置きたくない。というか、彼は妖怪や怪異を描く絵師にて、九坂家はいろいろと秘密を抱えている。ばれて下手に居つかれたら迷惑千万である。
くらやみ坂をのぼった先にある藤士郎の自宅近くは寂れており、近隣には誰も住んでいない。人の出入りは稀にて身を隠すのにはもってこい。
そうしてあばら家の一軒に腰を落ち着けたところで、ようやく芝増上寺の幽海から預かった手紙を渡すことができた藤士郎。
さっそく文に目を通した魚心、読み終わるなり「はぁ」と嘆息。さすがに生き別れたというか、自分が半ば捨てたような妻子を困惑させ、迷惑をかけているとわかってしゅんと肩を落とす。
藤士郎としてはすぐにでも妖怪骨牌を作った経緯や、版元のことなどを訊き出したかったのだが、とても聞けるような雰囲気ではないので、しばらくそっとしておくことにした。
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