狐侍こんこんちき

月芝

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其の百九十六 大魔鏡

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 近所のあばら家に魚心を残し、ひとり自宅に戻った藤士郎。母志乃に頼んで彼が隠棲するのに必要な品を物色していたら、そこに顔を出したのはでっぷり猫の銅鑼。へちゃむくれの鼻をくんくんさせるなり、顔をくしゃり。

「火薬のにおいなんぞさせやがって。またぞろ厄介事に巻き込まれやがったな、藤士郎」
「巻き込まれたというか、行き当たったというか」
「あんな女にかかわるからそんな目にあうんだ。だからやめておけって言ったのに」

 銅鑼はあの世で官吏をしている父平蔵から、女貧乏神のご機嫌伺いを頼まれたことを知るなり、顔をしかめて「けっ、おれは行かんぞ」と同行を拒否した。
 ただでさえ遊郭にはいろんな情念が満ち充ちて渦を巻いており、因業が深すぎてややこしい場所なのに、女貧乏神が居座っていることがそれに拍車をかけている。
 そのことを銅鑼は前々から知っていたらしい。これまで互いに干渉しなかったのは、とくに接点がなく、うまいこと住み分けがなされていたから。

「荼枳尼(だきに)のやつもたいがいだが、貴祢太夫もろくなもんじゃねえ。とかく人の運を転がす連中とは距離を置くがいい」

 荼枳尼とは茶袋という妖のこと。
 かつて刀の付喪神の兄弟を巡る仇討ち騒動のおりに、藤士郎はかかわることになったのだが、とにかく神出鬼没にて、たまさか巡り会った者の願いを叶えてくれるという妖。
 それだけ聞けば幸運の使者のようにおもえるかもしれないが、さにあらず。
 なにせ茶袋には人の善や悪、人倫、孝忠、規範なんていう線引きがまるでない。ただ相手が望むことを額面通りに受け止めて叶えてやるだけ。
 鳥が空を飛ぶように、馬が地を駆けるように、魚が水の中を泳ぐように。
 ただ己はそういう妖として生まれたのだから、そうするだけのこと。
 その影響や後先のことなんて考えない。相手が望むままに、機会や知恵を授けるだけ。
 それがどれだけ無責任で、怖いことか。
 銅鑼は貴祢太夫も荼枳尼と同類だと断じ、嫌悪感もあらわ。
 だがしかし……。

「にしても、おれや饕餮(とうてつ)がのっている妖怪骨牌ねえ。たしかに妙だな。こういっちゃあなんだが、こっちにきてからはさして暴れた覚えがないぞ」

 きの絵札に描かれた有翼の大虎である窮奇(きゅうき)。
 との絵札に割り振られている饕餮(とうてつ)。
 四凶と呼ばれる大妖たちではあるが、さりとて勇名を馳せたのは古代の大陸でのこと。
 日ノ本にも妖や怪異はたくさんいる。
 頭文字にきがつくのならば、狐火、鬼女、旧鼠、清姫、馬魔(ぎば)など。
 とであれば、豆腐小僧、泥田坊、髑髏の怪、百々目鬼(どどめき)など。
 多種多様さは大陸をもしのぐほどである。
 なのにわざわざ四凶のうちの二角のみを骨牌の絵札に選んでいる。

「そういえばその饕餮なんだけど、絵札が空白なんだよね。いったいどんな姿をしているの?」

 饕餮の絵札には何も描かれていない。
 同じ四凶ならば面識があるのではと考えた藤士郎。

「何もかかれていない、か。ある意味、それが正解なんだがなぁ」
「?」

 饕餮は知識、財、この世のあらゆるものをひたすら貪り食らう、貪欲を象徴する魔物。
 その正体は心を映す大魔鏡、見る者の心に秘めた願望や揺らぎによって、姿がころころと変わる。ゆえによほど物事の本質を冷静に見極める目を持たねば、まずその正体には気がつけない。たやすく惑わされてしまう。
 十人十色どころか万人万色。
 何者でもあり、何者でもない……それが饕餮。

「あれもどちらかといえば茶袋とかに近い性質だ。気まぐれに水面に小石を放り込んでは波紋を起こし、その経過をじっと眺めているようなやつだ。下手に興味を惹いたら、死ぬまでおもちゃにされかねんぞ」

 まるで興味本位で蟻を踏み潰したり、虫の羽をむしりとる子どものよう。
 だがその無邪気さが恐ろしい。藤士郎は銅鑼の話に顔を引きつらせる。
 けれどものんびりお喋りができたのはここまで。
 不意に明後日の方を向いた銅鑼の目元が厳しいものとなる。

「うん? なにやら妙な気配がしているな。だが道場破りにしては、やや剣呑だな」

 その言葉にはっとする藤士郎。
 銅鑼がにらんでいた方角には、魚心を残してきたあばら家がある。
 はや追手がかかったか! ひょっとしたらつけられたのかもしれない。
 藤士郎は用意していた荷を放り出して、駆け出した。


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