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其の二百四十四 うどん
しおりを挟むわしゃわしゃわしゃわしゃ。
「うんにゃあぁーっ!」
幼女に揉みくちゃにされて、悲鳴をあげているのはでっぷり猫だ。
泣く子と地頭には勝てぬとはよく云ったもの。さしもの銅鑼も相手が子どもでは無体もできず、観念してされるがままであった。
「んにゃぁあぁぁっ!」
それをちらりと横目にずるずるずる。
九坂藤士郎は黙々とうどんを啜る。
処は定廻り同心をしている近藤邸である。
分社での大一番が町方の介入によって流れた晩より数えて、三日後のことであった。
左馬之助より「紗枝がうどんを打ったので食いにこい」と誘われた。
紗枝さまは、見た目は菩薩のような女人である。いつもにこにこ、左馬之助を陰に日向にと支える良妻であり、知恵というとても愛らしい娘を持つ賢母でもある。
けれども優しいだけじゃない。
かつて夫の留守の時に押し入ってきた賊たちを、娘を庇いつつ孤軍奮闘、師範級の腕前を誇る薙刀にてばったばったと薙ぎ倒し見事に撃退したことにより、鬼子母神の異名を持つ頼もしくもおっかない女房殿なのだ。
そんな紗枝さま、料理上手なのだがとりわけ麺打ちが得意だったりもする。
だからこうして男やもめの藤士郎にもご相伴の機会がちょいちょい回ってくるのだが……。
「……で、おまえはあんなところでいったい何をしていたんだ?」
左馬之助よりぎろりとにらまれて、藤士郎は「うぐっ」と喉を詰まらせた。
あんなところとは、勝守の分社で開かれた賭場のこと。
混乱のどさくさに紛れて、竜胆と不動らふたりの賭博師たちと連れ立ってまんまと逃げ出すことに成功したものの、内心で藤士郎はびくびくしていた。
なぜなら、あの席にて立会人として堂々と名乗りをあげていたからだ。
ついでに客の中に居合わせた桑名以蔵が、べらべらと伯天流のことや狐侍の武勇伝を語ってくれたもので、もはや言い逃れのしようもない。
いずれは奉行所から呼び出しなり、誰ぞ人を寄越しての詮議なりがあるものと密かに覚悟していた。
なのに、だ。
一日たち、二日経っても音沙汰なし。
「はて?」
首を傾げいるところに、左馬之助からの誘いである。
たまさかにしては頃合いが重なっている。「さては」と藤士郎もそのつもりで足を運んだのだけれども、よもやうどんを啜っているさなかに、いきなり問い詰められるとはおもわなかった。
驚きにてうどんを喉に詰まらせた藤士郎は「んがんぐぐぐ」、どんどんと己の胸を叩く。
呆れ顔にて左馬之助より差し出された湯飲みを引ったくって、中身をひと息に飲み干し、どうにか難を逃れたところで、ぽつぽつとあの夜の出来事について語った。
◇
町田一家と埋地一家の土地の利権を賭けた大一番。
代打ちとして双方が七星に数えられる竜胆と不動を招聘したとあって、江戸賭博界でも注目の的にて、その勝負を見ようと押し寄せた博徒らで、分社境内はごった返していた。
だが、いざ決着の刻、という段になって町方の横槍が入った。
両一家の親分によれば、事前に根回しはすんでいるはずであったのにだ。
どうやら彼らと繋がっている御方よりも、さらに上の御仁が「けしからん」と機嫌を損ねたらしい。
ようは身の丈に合わぬ欲をかいたということ。それでうっかり虎の尾を踏んでしまったのだ。
町方が多勢で「御用だ!」と踏み込んできた。
しかし博徒どもは大人しく縛につくどころか、怒り心頭に発する。
「あとちょっとだったのに。てやんでぃ、べらぼうめ! このすっとこどっこい!」
もとより血気盛んにて鉄火場では喧嘩なんぞは日常茶飯事である。そんな世界に生きる博徒どもが、この無粋な真似に激怒したもので、現場はたちまち大混乱に陥った。
こうなるともう勝負もへったくれもない。
藤士郎は竜胆と不動を連れて、すたこらと退散した。
まんまと包囲の網を抜けて逃げおおせた三人。
落ちついたところで、藤士郎が懐より取り出したのは伝説の賭博師・欣也の鈴である。
手にすれば、ついてついてつきまくって、賭け事ではおよそ負け知らずになるという。
……らしいのだが、いまのところ藤士郎にはその恩恵が微塵も降ってきていない。
むしろ面倒事ばかりが押し寄せてくるから、とんだ厄鈴である。
ゆえにとっとと厄払いしたい藤士郎は、取り決め通りにこの鈴をふたりに託す。
これを受け取った不動が「たしかに預かった。俺たちでちゃんと本社に返納しておくから安心してくれ」と請け負ってくれた。
竜胆もうなづきつつ「これを」といって紙入れを差し出す。
「兄さんにはいろいろと迷惑をかけちまったからね。どうぞ、お納めください」
がっちり角ばった紙入れは男物にて、手にすればずっしり重い。
中を覗いてみれば、小判が十一枚に二分金や五匁銀がちらほら混じっていた。
なかなかの大金だ。今宵の立会人のお礼ということらしい。
ただし、ちょっと気になることがひとつ……。
「ねえ、紙入れの内側に町田の文字が縫いつけられているんだけど。これって、まさか……」
藤士郎が胡乱げな視線を向ければ、竜胆は「ほほほ」と口元を手で隠しながらころころ笑った。
あの混乱のさなか、迷惑料代わりにちょいとくすねてきたらしい。ちゃっかりしている。抜け目ない。
その足で江戸を出るという竜胆と不動を街道筋まで見送り、藤士郎は帰路についた。
◇
ひとしきり藤士郎から事情を聞いた左馬之助は大きく嘆息にて「あとはこっちで適当に片づけておくから、おまえはしばらくおとなしくしていろ」と言った。
そこで藤士郎はついでに、桑名以蔵のこともお願いしておく。
今回はいろいろ助けられたことだし、もしも彼が捕縛されていたらと考えたからなのだが……。
「あいつか? 心配いらん。あれは身内だ」
さらりと隠密である正体を暴露されて、藤士郎は「へ?」と呆け顔にて目をぱちくり。
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