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其の三百六十二 屍蝋
しおりを挟む廃村ならば、どれだけ荒れていようとも、無人であってもたいして気にはならない。そういうものだからだ。
でもそれが普通の……それこそ、どこにでもあるような村だと、まるで受ける印象が異なる。
現実味がない。まるで白昼夢の中にでも迷い込んだかのよう。
心がざわつく。のんびりした雰囲気が逆に薄気味悪い。
村から抜け出せない。
進退きわまった藤士郎たちは、手近な家を調べてみることにした。
表戸を開け中へ。
家の中から温もりこそは失せているものの、囲炉裏のまわりには家族で食事をしていたであろう、椀や箸に湯飲みなどがそのまま。そこかしこに生活の痕跡が残されている。
だというのに、肝心の人の姿だけが失せてしまっていた。
「草鞋などの履物もそのままだね」
上がり框に腰かけ土間を見下ろす藤士郎の表情はやや険しい。
なぜなら残された履物の中には、子どもの物が混じっていたからだ。
この集落に何かが起こったとしたら、子どもたちもそれに巻き込まれたことになる。
「竈門の方も火が落ちてますね。中にちっとも熱が篭っていません。この様子からすると、朝のうちに何かあったのかも」
台所の方を調べていた長七郎が戻ってきた。
突発的な何かが起きて、村人たちは身一つで逃げ出したのでは? もしかしたら熊でも出たのかもしれない。
長七郎はそんな考えを口にするも、藤士郎はうなづかない。
蝦夷にいる羆(ひぐま)ならばともかく、本州にいる熊はわりと大人しく臆病だ。山で鉢合わせして驚いて襲いかかってくることはあっても、自分から里へと降りて、なおかつ民家に乱入するとはおもえない。
とはいえ、ここは越後国だ。地理的には蝦夷に近いと言えなくもない。それにごく稀にだが、海を渡ってこちらにやってくる羆がいると聞いたことがある。
だがしかし……
「熊が暴れていたら、さすがに爪跡のひとつでもありそうなものだけど」
それらしい形跡はどこにもなし。
まるで狐につままれたような状況である。藤士郎は困惑するばかり。
すると奥に上がり込んで喰い物を漁っていた銅鑼が不意に顔をあげたとおもったら、血相を変えて表へと飛び出した。
尋常ではない態度、藤士郎と長七郎もすぐさま銅鑼を追って屋外へと。
そして一行が目にしたのは、異様な光景であった。
いつのまにやら世界が橙色に染まっている。
陽が傾いて黄昏刻を迎えようとしているのだが、まずそれがおかしい。
家に入るまではまだ陽は高かった。それがちょんの間でこれはありえない。
夕陽を背に地面に落ちた影がぽつんとひとつ、長くのびている。
影の根元に人が立っていた。
ふらふらしており、逆光にて顔はよくわからない。輪郭や背丈からして男のようだけれども。
ようやく会えた村人である。
だから藤士郎がさっそく近寄り声をかけようとするも、「駄目だ! そいつに近寄るんじゃねえ」と銅鑼が怒鳴り止めた。
いつになく険しい顔にて銅鑼が吐き捨てるように言った。
「寿慶とかいう野郎、やりやがったな! 正気か? よりにもよって、こんなもんを降ろしやがって」
銅鑼が全身の毛を逆立て「ふーっ、ふーっ」興奮している。
でっぷり猫が嫌悪感もあらわ。大妖の窮奇にそこまでさせる存在とは、いったい……。
藤士郎が銅鑼に説明を求めようとした矢先のこと。
男がふらふら近づいてきた。
不自然な動きであった。
妙にかくんかくんとしている。首がまるで座っていない。肘や膝の角度もおかしい。薄影越しにもわかるほどに顔色が悪かった。真っ青を通り越して、まるで陶器のように白い。半開きの口元からは「うぅ」とか「あぁ」と言葉にならないうめき声が漏れている。その両目は光を失っており白濁が始まっていた。
すでに死んでいる?
動く骸をにらみ銅鑼は「屍蝋(しろう)」とぼそり。
男に目を奪われているうちに、いつのまにやら地面にのびる影が増えていた。
ひとつやふたつではなくて、わらわらたくさん!
すべてが屍蝋という動く骸たち。
それらが一斉に駆け出す。
こちらへと向かってきたもので、藤士郎たちはぎょっ!
動きはたどたどしく、まるで酔っ払いの千鳥足のよう。だが、いかんせん数が多い。とてもではないが捌ききれない。
一行は慌ててきびすを返し走り出す。
逃げながら銅鑼はふたりに忠告する。
「気をつけろ、あれは伝染するぞ。だから絶対に噛まれるな」と。
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