狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百二十三 狐侍、ただいま逃亡中。十三日目 中編

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 ついに待ち人来たる。
 義手の女が千住大橋へと入った。
 悟られぬように少し離れて藤士郎も続く。
 ここで合流したのは空の駕籠だ。捕まえた女を連れ去るためのもの。藤士郎のうしろにぴたりと張り付くようにしてつき従う。
 途中、すれ違った数名がこちらへと向けて軽く会釈をした。
 橋の封鎖に協力してくれる者たちだ。対象に悟られぬよう、様々な格好に扮装しては橋のたもとへと集結する。
 此度の舞台となる千住大橋は伊達に大橋と名乗っていない。長さは六十六間、幅は四間もあり、多くの荷駄や旅人のみならず、東北にある三十余藩らの大名行列が行き交うのを支えている。
 そんな場所で、白昼堂々とかどわかしを行う。
 発覚したらえらい騒ぎになるだろう。
 だがそれでもやらねばならぬ。
 編み笠の下で藤士郎の目つきがぐっと鋭さを増し、剣客のそれとなる。

 きらり。

 橋の向こう、千住側のたもとにて光ったのは手鏡だ。あちらの手筈が整ったとの合図である。
 ちらりとふり返れば、そちらでも同様の輝き――橋の封鎖が完了した。
 藤士郎は足を速めて女との距離を詰めつつ、橋の上にいる他の者たちに目をやる。
 大名行列やら、武士の集団などが居合わせたら面倒なことになる。いらぬ義侠心を起こされて横槍を入れられてはたまらない。
 が、幸いなことにそれらの姿はなかった。ちょっかいを出しそうな牢人者はちらほら散見しているが、あの程度ならば軽くあしらえると藤士郎は判断する。

 十間……九間……八間……七間……

 ややつま先立ちにて。猫の歩みのように足音と気配を消しつつ、藤士郎は足早やに進む。
 義手の女の背がみるみる近づいてくる。

 六間……五間……四間……

 女に気取られた様子はない。
 周囲の者たちも訝しむことなく、前だけを向いていたり、足下をみていたり、横目に川の流れを眺めつつのながら歩き。

 三間……二間……

 あとほんの少し、長身痩躯な藤士郎であれば大きく踏み出し腕をのばせば、もう女の肩に手が届く。
 だが、しかし――

(なんだ? 何かがおかしい……。どうにも厭な予感がする)

 どうしてそう感じたのかといえば、藤士郎にも明確な根拠はわからない。でも、義手の女へと近づけば近づくほどに、胸がざわつき、首のうしろ辺りがちりちりする。
 緊張や気負いのせいで神経質になっているだけ。
 と、無視するのは簡単だが、悪い予感ほど当たるもの。
 そのことを藤士郎は経験上、骨身に染みている。
 だから、のばしかけた手をいったん引っ込めた。
 そして改めて女や、その周囲に目を向けたところで、あることに気がついてはっとする。

 藤士郎が感じていた違和感の正体、それは女に対する周囲の反応だ。
 女は眉太く、凛として整った目鼻立ち。宝玉をおもわせる綺麗な翠瞳には不思議な引力があって、つい視線が吸い寄せられる。一度合ったら目がそらせない。
 髪はいまどき珍しい唐輪髷にて、服装は女だてらに文人墨客が好む浅葱色(あさぎいろ)の道服姿だ。
 着物の色合いは地味なのに、この女が着ているとまるで咲き始めの紫陽花のように艶やかになる。
 どこか異国の匂いがする男装の麗人。
 加えて右腕が作り物、妙に艶めかしい人形の腕である。
 そのせいで歩くはしから、黒山の人だかりができる。
 藤士郎が初めて見かけたときもそうであった。知念寺界隈でもえらい騒動であった。
 だというのに、いまはどうだ?

 橋の上を行き交う人々は、江戸から出る者もいれば、江戸へと入ってくる者もいる。
 そのどちらもが、まるで義手の女を気にしていない。みな素通りにて、ちらとも顔を向けない。
 ありえないことが起きている。
 そのことに気がついた瞬間、藤士郎は叫んでいた。

「いかん、やられた! すぐに逃げろっ!」

 女を橋の上に追い込んだのではない。
 こちらが橋の上にまんまと誘い出されたのだ。
 ふり返った女はにやりと笑っていた。

 一方の藤士郎は「うぐっ」と小さな呻き声を漏らし、左脇腹を押さえて片膝をつく。
 着物に赤染みがじんわり広がる。負傷した。やったのは義手の女だ。
 義手の手首がかくんとうな垂れ、あらわとなっていたのは銃口にて、そこから細い白煙が立ち昇っている。

 仕込み短筒!

 威力はさほどでもないが、それでも人体を傷つけるのには充分だ。
 けれどもそれよりも藤士郎が内心で動揺していたのは、発射音や火薬の臭いがしなかったこと。無音無臭、ゆえにまったく気づけなかった。
 女によるふり向きざまの一撃。
 向けられた義手に不穏な気配を感じ、とっさに身を捻ったからこそ、この程度ですんだが、もしもあのまま立ち尽くしていたら、まともに腹に鉛玉を喰らっていたことであろう。

「おや、初見でこいつを躱すのかい? たいしたもんだよ、九坂藤士郎」

 女が感心しつつ右腕を軽くひと振りすれば、かちゃんと音がして義手がもとの姿に戻った。
 その様を藤士郎は脂汗を流しながら、見ていた。


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