424 / 483
其の四百二十四 狐侍、ただいま逃亡中。十三日目 後編
しおりを挟む奇妙な光景であった。
橋の上には藤士郎と義手の女だけでなく、他にも大勢が行き来している。
だというのに、だれも立ち止まらないし、振り返ることもない。
無関心……というよりかは、まるで騒ぎが聞こえないし、視界にも入っていないかのよう。
では味方はどうかとえば、そちらは固まって呆然と立ち尽くしているばかりで、いくら呼びかけても反応がなかった。
明らかに不自然な状況――そんな中で、女が名乗る。
「やぁ、いつぞやはどうも。あらためましてだが、私は月遙という。これでもいっぱしの道士でね。あぁ、これかい? 悪いがこの橋一帯に術をかけさせてもらったんだよ。周囲の連中にとって私たちはいないものなんだ」
忍びや隠密が使う隠形の術は、息づかいや足運びなどにより気配を消す体術の延長だ。
しかし月遙のこれはまるで別物。一定の空間内の全員の認識を阻害するだなんて、尋常なことではない。術の効力や範囲の詳細はわからないけれども、その気になれば江戸城にいる将軍の寝首すらもかけるのではなかろうか?
そんな術をこともなげに使う。
いっぱしどころの話じゃない。とんでもない道士だ。もしかしたら巌然和尚すらをも凌ぐかもしれない。
いまさらながらに藤士郎は己の迂闊さに臍(ほぞ)を噛む。
大妖である銅鑼を封じ込めたという小箱。てっきりどこぞより入手したのかとばかり思い込んでいたのだが、もしも女がみずからの手で造ったとすれば、意味合いがまるで違ってくる。
だというのに、女ひとり、どうとでもなると油断した。
藤士郎らしからぬことだ。やはりこの不条理な状況下での逃亡生活を続けるうちに、自分でも気づかぬうちに、心が荒み倦み、視野が狭まり、思考も柔軟さを失い、冷静さを欠いていたようだ。
ずきん。
銃弾がかすめた脇腹が傷み、藤士郎の思考は現実へと引きずり戻される。
いつの間にか、月遙は懐から取り出した小箱を手にしていた。
まるで藤士郎に見せつけるかのようにして、あるいは箱の中に閉じ込められている銅鑼にこの光景を見せつけているのか。
「さてと、このまま私が止めを刺してもいいんだけど、それじゃあ賭けが盛り上がらないから。せっかくなんだし、ど派手にいきましょうか」
言うなり、月遙が小箱を真上へと放り投げた。そして箱が落ちてくる間に指をぱちんと鳴らす。
とたんに自分たちの周囲の空気が変わったのを藤士郎は確かに感じた。
薄い幕が取り払われて、まるで淡い夢から醒めたかのよう。
落ちてきた箱を受け止めた月遙が悠然ときびすを返し、「生きていたらまた逢いましょう」と言い残し去っていく。
「ま、待てっ!」
立ち上がり追いすがろうとする藤士郎であったが、その行く手を遮ったのは牢人や破落戸たち。鼻息荒く血走った目を見れば、相手が千両首目当てに集まった連中であることはすぐに察せられた。
やられた……、月遙の道術だ。
お互いのことがわからないように化かされたか。
にしてもたまさか居合わせたにしては数が多すぎる。どうやら、これまた月遙にしてやられたらしい。事前に「この近辺で狐侍を見かけた」とかいう情報を流して連中を集めていたのであろう。
すべてが向こうの手の平の上にて、後手後手に回っている。
だが、のんびり悔やんでいる暇はない。
白昼の往来であるのにもかかわらず、刃をひけらかし狼藉を働く者たちのせいで、千住大橋の上はたちまち大混乱となった。
そこかしこで乱闘騒ぎが起き怒号が飛び交う。獲物を巡る争いや、藤士郎側の手勢との小競り合いが勃発したせいだ。
痛む脇腹を庇いながら、藤士郎は襲いかかってくる者らを蹴散らしつつ、悠然と遠ざかっていく月遙の背を追う。
しかし距離は縮まるどころか、ますます開く一方。
このままでは追いつけない。だから藤士郎は懐から取り出した小石を手にするなり、これを次々と放った。
一投目は狙いをはずれた。藤士郎と月遙との間に立ち塞がった男の額に当たった。でも、おかげでさえぎるものがなくなった。
二投目は命中するも、当たったのは月遙ではなくて、彼女が遊んでいた箱である。鼻歌まじりに歩きながら、宙にぽーんと投げては落ちてくるのを受け止め、投げては受け止めしていたところを、小石がこつんとかすめる。
これにより小箱が宙を舞う。
月遙は「おっと」と手をのばして、すぐに小箱を掴もうとするも、そこに三投目が迫る。
今度はしっかり当たった。小箱は大きく弧を描いて橋の外へと踊り出る。
これには月遙も慌てた。だが時すでに遅し。
小箱はぽちゃんと大川の流れに落ちてしまった。
それに続いて、どぼんと大きな水音がして月遙がふり返ったときには、すでに橋の上から藤士郎の姿は消えていた。
1
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる