冒険野郎ども。

月芝

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092 運命の子

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 隙間風に潮の香りが混じっていた。
 風が吹くたびにカタカタと窓枠が鳴り、心なしか建物全体も揺れている。
 パチリと音がはぜたのは暖炉。橙色をした柔らかな明かりが室内を照らす。
 そこは掘っ立て小屋のような家であった。

「気がついたみたいね。よかったー。あんまりひどい怪我だったから、さすがにもうダメかと思ったけど、やっぱり獣人はうちらとちがって頑丈だね」

 若い人間の女が微笑んでいる。

「私はロイン。ここは……」

 訊ねると女は「あたいはケリー。そんでもって、ここはラングリーさ」と答えた。
 ラングリーは、ルーンオデッセア大陸北東の半島の先にある寂れた漁村。
 ケリーの話では、私は海を漂流していたところを彼女の仕掛けた網に引っかかったという。
 どうやら気を失っているうちに、流されるままに海峡を越えてしまったらしい。
 私は上半身を起こすために床へ手をつこうとして失敗する。そういえば、右腕はコズンに斬り落とされたのであったか。
 それでようやく自分が置かれている状況を思い出す。
 途中から加わっていた追尾の手の者たちは、明らかに玄人の手練れであった。あの手の連中は用心深く執拗だ。きっと死体を探しまわったはず。なのにソレが発見されていないことから、こちらの生存の可能性をも視野に入れて行動しているはず。
 ここに留まることは危険だ。
 命の恩人である娘に奇禍が及ばぬうちに、すぐにでも出立するつもりであったが、肝心の体が言うことを聞いてくれない。
 怪我と消耗が著しく、それこそロクに上体を起こすこともままならないほど。
 必然的に私はケリーの介護を受けることになってしまう。

 献身的な介護を続けてくれるケリー。
 いつも笑みを絶やさない彼女。だがその笑顔の裏には深い孤独を抱えていることに、私はすぐに気がついた。
 漁師であった父を海で失い、母も前の冬に病であっさり逝ったという。
 若い身空で天涯孤独となった娘に対する村人たちは冷たかった。というよりも、とても他人にかまっていられるほどの余裕がなかったのである。
 貧しさは優しさの芽を摘み取り、心を蝕む。
 そしてそういう環境下では、チカラなき者は虐げられ、搾取され、ときに怒りの捌け口にされてしまう。
 それでも自身を取り巻く理不尽に抗い、歯を食いしばり顔を上げて必死に生きてきた女。
 父母を実の弟に殺され、武人としての誇りも、輝かしい未来も、すべてを奪われた男。
 己の内にぽっかりと穴が開いていた。
 失くすツラさを知る者同士。
 互いに失ったモノを埋め合わせるかのようにして、寄り添い暮らすうちに、気づけば二年近くもの歳月が流れていた。 

  ◇

 ケリーと暮らすようになって、一度だけ彼女に訊ねられたことがある。

「ねえ、ロインは故郷に戻りたいとは思わないの?」と。

 獣皇に直訴すれば、きっと帰参は叶う。
 だがそれは同時にコズンの悪事が露見することを意味している。そうなれば弟の命はない。一族にも咎が及ぶやもしれん。
 ここまでされたのだから恨んでもよさそうなものなのに、不思議と私の心には憎悪の炎がちっとも宿らない。
 かわりに沸いてくるのは、とめどもない後悔と悲しみ。
 自分の存在が知らず知らずのうちに弟の誇りを傷つけ、追い詰め、ついには凶行に走らせてしまった。
 第三王女との婚姻、王の信頼、身に過分な栄達……。
 おそらく私は浮かれていたのだろう。だからこそ、すぐそばにあった痛みや苦しみにまるで気づけなかった。コズンが私に向けていたであろう妬み、嫉み、悪意の視線にも。
 あまりにも多くのモノが失われてしまった。
 それに戻ったところで、私はもう槍をふるえない。海を彷徨っているうちに、右足の膝もやってしまったらしく、今では杖がなければ満足に歩けないようなあり様。
 戦士ロインは死んだのだ。
 だからこれ以上は、もう……。それが現在の私のまごうことなき本心。
 素直な心情を吐露すると、ケリーはほっとした表情にて「そっか」と笑った。
 そして彼女は、少しはにかみながら懐妊したことを私に告げた。

  ◇

 生まれた赤子は女の子であった。
 人間の身に獣人の尾。
 我が子が希少種だとわかり、私は理解する。自分がどうしてあれほど過酷な目にあいながらも、生き長らえてきたのかを。
 すべてはこの子のため。
 この子をトロワグランデに降臨させるための、天意であったのだ。
 私とケリーは我が子に「マホロ」と名づける。
 しかし親子三人での平穏な暮らしは、あまりにも短く儚かった。
 過去から悪夢が追いかけてきたのである!

  ◇

 海を渡った先の僻地の漁村。
 外部との交流がほとんどない場所だからこそ、これまで安穏と過ごせていたのであろう。
 が、ついに限界が訪れる。
 どこぞよりマホロが希少種であることが漏れて、付随する形にて私の存在も露見。周囲に不穏な影がちらつき始める。
 そして朝モヤの中、襲撃者たちがついに動き出した。
 いち早く、その気配を察知した私は我が子と濃青の指輪をケリーに託す。
 ケリーは涙目にて「いっしょに逃げよう」と言ってくれたが、今の私では足手まといにしかならない。

「連中は私が出来るかぎり引きつける。その間にケリーはマホロを頼む。指輪を持って、なんとしても獣皇に会ってくれ。あの方ならば、きっとこの子を守ってくれるはずだから」


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