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180 魔法の呪文
しおりを挟む乱雑に振るわれていたアトラの大剣。
猛攻を俺はひたすら盾でいなす。
じょじょに速さと鋭さを増す剣。とり憑いた喪服の女がアトラのカラダの扱いに慣れてきたという証拠。
それでもここまで粘れたのは、本来のアトラの斬撃にはほど遠かったから。
紅風の異名を持つ女剣士。彼女の剣は世界そのものを切り裂くのかと、錯覚するほどの威力を誇る。
現在のアトラの剣にはそれがない。
しかしこの調子では時間の問題であろう。
刻一刻と迫る決定的な瞬間に怯えながらも、俺は盾を動かし、懸命にアトラへ呼びかけ続けた。
◇
上段からふり下ろされた刃。
風切り音に生じたわずかな変化を俺の耳が拾う。
ついに恐れていた時が来た!
剣を盾で受け流すも、床につく直前にて翻った切っ先。間髪入れずに天へと駆けあがる。水鳥がパッと湖面から羽ばたくかのように、優雅で力強い飛翔。
辛うじて反応できた俺は連撃を防ぐのに成功するも、すぐに腕に伝わる感触の異変に気がついて、ゾッとした。
台所に立ち、料理をする際に野菜を包丁でタンと切るときにちかい感覚。
あまりにも身近で慣れた親しんだもの。ただし、切られる野菜は俺自身。料理人は右目に黄光を宿すアトラ。
幾多の斬撃をはじいてきた盾の表面に刃がスーッと入り、そのままズンズン奥へと侵入してくる。
信じられないことに、アトラは上下の二連撃を寸分たがわぬ軌道にて行っていた。まるで線をなぞるかのようにして、駆ける刃が盾を切り裂く。
このままだと腕ごと持っていかれる!
俺はとっさに盾を手放す。
全力で横っ飛び、床に転がった。受け身もへったくれもない無様な回避行動。横転しながら視界の隅に映ったのは、真っ二つにされた盾が宙を舞う姿。
すぐさま跳ね起きた俺は、腰の片手剣を抜こうとする。
でもそれは攻撃のためではない。横殴り気味に飛んできたアトラの追撃を防ぐため。
直後にボキリとイヤな音がした。
鈍い音を立てたのは、片手剣の刀身か、それとも自分の横っ腹か。
確認する間もなく強い衝撃にてカラダが飛ばされる。
音が遠くなり、やたらとゆっくり流れる視界。
途中で二度ほど天地が入れ替わり、世界が回ったと思ったらみるみる狭まっていく。
やがて薄闇がゆっくりと落ちてきた。
◇
「生きてるか? フィレオ」
軽い平手打ちとジーンの声。
俺は落ちかけていた意識を取り戻す。
「なんとか……痛っ」
上体を起こそうとして、俺は横腹に走った痛みにうずくまり顔をしかめる。アバラの何本かにヒビが入ったらしい。けれども幸いなことに折れてはいない。
視線を痛みのする箇所へと向ければ、片手剣が鞘ごと半ばで粉砕されており、革鎧も裂けていた。
それほどの斬撃にも関わらず、はらわたをぶちまけずにすんだのは、腹に幾重にも巻いていた組み紐のおかげ。鎖帷子は頑丈だが重く、サラシだといささか心許ない。でもしっかりと編み込まれた紐ならば強度もあり、軽く、いざというとにはロープとしても活用できるとキリクに教わって以来、実践していたことが役に立った。
アトラの一撃をもらった俺は、彼らが戦っている付近にまで盛大に飛ばされたらしい。
見ればキリクとジーンも全身傷だらけにて、ズタロボロ。
ちらりと彼らの相手に目をやれば、喪服の女はずいぶんと様変わりをしていた。
八本足にて、巨大なクモの首の部分だけをねじ切ったかのような形状。
そんな物体の影の部分だけを切り取ったかのような醜怪なバケモノ。
黒い表面には不揃いの黄色い瞳がたくさんあって、ぎょろぎょろと忙しなく動いている。
あまりの気持ち悪さに俺が「なんだあれは」とつぶやけば、キリクが「ジーンが魔法で焼いたら、厚化粧が剥がれてああなった」と答えた。
ジーンは「女の秘密なんぞ暴くものじゃないな。おかげでこのざまだ」と肩をすくめる。衣装のあちこちが破れて所々血がにじんでいた。「で、そっちはどんな様子だ?」
俺は一方的にやられていることと、呼びかけたらわずかながらにアトラの肉体が反応していることから、おそらくは彼女も戦っているらしいということを告げる。
するとキリクが「そうか。嬢ちゃんもがんばっているのか……」とうなづき、いつになく真剣な調子にて「だったらオレが魔法の呪文を教えてやる」とか言い出す。
耳打ちされた魔法の呪文に、俺は赤面して「なっ!」
しかしキリクは「どうせダメ元だ。やるだけやってみろ」と俺の背中をバシンと叩き、ジーンを伴いふたたび自分の相手へと向かっていく。
その背をしばし見送ってから、俺もまた重い足を引きずりつつ、アトラへと向かっていった。
◇
よろよろと俺が近づいてくるのを、にやつきながら待つ右目に妖しい黄光を宿すアトラ。
「盾も剣もなく、カラダもボロボロ。そろそろ限界かしらね。でもおかげでわたしはこの紅風を完全に掌握するいい練習になった。あなた、雑魚にしてはいい仕事をしてくれたわ。褒めてあげる。だからご褒美といってはなんだけど、特別に望みを叶えてあげる。首がいい? それとも肩から斜めにバッサリ? 上半身と下半身をちょん切るのも華々しくてステキ! もしくは胴体に風穴を開けるのなんてどうかしら」
ご褒美に死に方を選ばせてくれるというので、俺は自分の胸をトントンと叩き「だったらここをひと突きで」と希望を述べた。
操られたアトラが大剣の切っ先を俺の胸元へと向け、そのままピタリと静止。刺突を放つかまえをとる。
重たい刀身にもかかわらず微動だにしない剣。
その切っ先を俺がぼんやり見つめていると、アトラが言った。
「きっといまのあなたの中には、怒りや憎しみ、嘆きが渦を巻いているのでしょうね。でもわたしはしみじみ思うの。ここで死ねるあなたは幸せな部類だと。なぜだかわかる? それはこれから先、トロワグランデの世界が辿る凄惨で苛烈で過酷な運命を目の当たりにしないで逝けるんだもの。それはとても幸せなことよ……。じゃあね」
ドンと石床がゆれ、アトラの姿が消えた。
大気が震え、衝撃で周囲にあった人塩が派手に倒壊し、白い粉塵が舞う。
溜めの姿勢からの突進。静止状態からの急加速によって、自分が彼女の動きを捉えきれなかったと理解したときには、すでに大剣の切っ先が眼前に迫っていた。
俺は微動だにすることなく、これを受け入れる。
初めは親指で、グツと胸元を押されたような感触。
どんどんと強くなり、固く、鋭くなっていく。
剣のもたらす冷たい死。
否応なしに、それを意識させられた直後、かすかながらに胸元に生じたのはズレ。
二つに重なるモノが確かにズレた。
それは俺が首から下げている小袋に入れてあった、紅と黄の二枚のドラゴンのウロコ。
危険な賭けだったが、俺は第一等級冒険者の卓越した剣の腕を信じた。彼女ならば絶対に狙いを外すはずがないと。
紅と黄、どちらが上だったのかはわからないが、これにより大剣の切っ先の軌道がわずかにそれる。
あわせて俺が左肩を後方にさげ上体をひねったことにより、突き出された剣自体が上滑りを起こし、革鎧左胸部を抉り、鎖骨表面を削りながら肩を切り裂きつつも、後方へと抜けてしまう。
必殺の一撃がかわされたことに、アトラの右目がカッと見開かれる。
それが驚愕ゆえか怒りゆえの表情なのかはわらかない。
密着状態となったところで俺は彼女を強く抱きしめ、その耳元でキリクから教わった魔法の呪文をささやく。
「結婚しよう、アトラ。だから早く帰ってこい」
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