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181 魔王の剣
しおりを挟む手からこぼれ落ちた大剣。石床にぶつかりゴトンと音を立てた。
俺の腕の中で、全身がガクガクとふるえだすアトラ。
右目に宿った黄光が明滅し「なんだ? 急に、この、邪魔をするな! おとなしく寝ていろっ!」とわめいたかとおもえば、今度は左目がキッと精気を取り戻し「うるさい。おまえがどっかいけ!」と同じ口で叫ぶ。
どうやら魔法の呪文が効果を発揮してアトラの意識が覚醒し、カラダの主導権をめぐって争いが勃発した模様。
喪服の女とアトラ。女同士の戦いが、精神世界にていかように行われているのかは、外部からでは知るよしもない。
ただ、じょじょに苛烈さを増していることだけはわかる。
一人二役にて激しい怒号が飛び交っていたからだ。ともすれば振り回す拳で自身をも傷つけかねない勢い。
俺はアトラの両手首を掴んで、暴れるのをどうにか抑えようとするので精一杯。
そんな局面の中、ひょっこりと姿を見せたのはアトラとエンゲージをしている緑色のスーラ。
乗っ取られた主人に蹴り飛ばされて以来、どこぞに雲隠れしていたスーラ。その身を変じた触手をにゅるりとのばす。
だから、てっきり加勢してくれるのかと思ったら、さにならず。
いきなり拳骨の形となった触手が、こともあろうに俺の頭をぶん殴りやがった!
主人が操られたことによって、ペットの方にも影響が及ぶのか?
後頭部にガンと強い衝撃。目の前に火花が散り、視界がかすむ。意識が軽く飛んだひょうしに膝が崩れて滑り、アトラにおおいかぶさるようにして倒れ込んでしまう。
それでも俺は彼女の腕を掴んだ手だけは離さない。
◇
意識が戻り始めたとき。
最初に感じたのは、やわらかな感触。
口に何かが当たっている。いや、これは吸いついているような……。
じきにぼやけていた視界が鮮明となり、感触の正体がわかって、俺はあわてて顔を引き離そうとする。しかし下からのびてきた二本の細腕にがっちりと頭を押さえられて、逃げられない! それどころかよりいっそう強く押しつけられることに!
いくら足掻こうともビクともしない。俺は目を見開き「ムームー」唸るばかり。
と、そのときアトラの右目に異変が生じた。
妖しい黄光を宿していた瞳の明滅がおさまり、色味が薄まったかとおもうと、ほんの一瞬ながらボッと蒼炎が発生し、黄光を呑み込みいっしょになって消えてしまった。
俺は直感的にアトラが元に戻ったと確信する。
間髪入れずに「ギャーッ!」という絶叫が大聖堂内に鳴り響く。
断末魔のごとき声はとてつもなく不快にて、脳天をかち割られたかのような衝撃を受ける。
たまらず俺は自分の両耳を塞いだ。下にいたアトラも同様。
苦しい中で、どうにか声のする方へと顔を向ければ、キリクとジーンが同じく耳を塞いで片膝をついている。
更に向こうには喪服の女の変じた醜怪なバケモノ。
その身が蒼炎に包まれており、石床をのたうち回りながら悶えている。
蒼炎自体はすぐに消えてしまったのだが、のっぺりした影のような体表からはぷすぷすと煙が燻っており、辺りには髪の毛が燃えたときのような、イヤなニオイを漂ってた。
◇
ピクリとも動かなくなってしまった醜怪な八本足のバケモノ。
遠巻きに警戒しながら俺は「次から次へと、どうなっていやがる」と首をふった。
困惑する俺の腰にはアトラが抱きついており、アトラの足には緑色のスーラがまとわりついている。
そんなヘンテコな姿を前にして、キリクが「キシシ」と笑った。「どうやら魔法の呪文はちゃんと効いたみたいだな」
ジーンはちらりと一瞥をくれたのちに「冒険者たるもの有言実行あるのみ。というわけで、ちゃんと責任はとれよ」との宣告。
俺がおそるおそるアトラに「えーと、カラダを乗っ取られていた間のこととか、覚えているのか?」とたずねれば、はじけんばかりの満面の笑みを返された。
……とても吐いた言葉をなかったことには、してもらえそうにない。
俺はがっくりと手をつき四つん這いとなる。
その背中をポンポンと叩いたのは緑色のスーラ。
俺は半透明のナゾ生物を恨めしげにキッとにらむも、緑色のスーラはぷるぷるゆれているだけであった。
◇
いろんな奇怪な現象が重なって、つい弛緩しかけた現場の雰囲気。
それを一変させたのは八本足のバケモノ。
突如としてバリバリ腹が裂け、大量の黒煙が噴出。
ほんの一瞬にて大聖堂内が黒く染まり、闇に包まれた。
急に首や胴回りが苦しくなった。何かによってギリギリと締めあげられている。どうにか拘束から逃れようと手足をばたつかせるも、手ごたえはない。
闇の向こうから聞こえてくるのは苦悶する仲間たちの声。
俺だけじゃなくみんなも囚われてしまっている。
どうにかしないとマズイ。
焦る俺がもがいていると、暗闇の奥底に点在する小さな黄色い光の粒が見えた。
喪服の女の右目にて蠢き、アトラの右の瞳に宿っていた黄光と同じモノ!
遅まきながら自分を縛る相手の正体に気がつく。
見えない何かではない。見えている闇すべてが敵そのもの……。
おののく俺の耳が拾ったのは、ぼそりぼそりとしたつぶやき。
それは闇の奥から這い寄る怨嗟の声。
「殺す、ぶっ殺す、なぶって殺す、潰して殺す、裂いて殺す、刻んで殺す。コロス、ころす、コロス、ころす……」
殺意が呪詛となって折り重なり、渦を巻き、闇の中を徘徊し、カラダにまとわりついては、深淵へと引きずり込もうとする。
圧倒的なチカラ。人の身では抗いようもない不条理を前にして、一介の冒険者に成す術はない。
せめて若いアトラだけでも逃がしてやりたかったが……。
薄れゆく意識の中、苦しみも、悲しみも、悔しさも、後悔も、すべてが闇へと溶けて落ちていくのを、俺はただ受け入れることしかできない。
けれどもそんな不条理が、更なる強大な不条理によって、あっさりと打ち砕かれる。
闇に亀裂が走り、バリンと割れた。
世界がふたたび光と色を取り戻す。
それを行ったのは黒い台座の上に立つ少女。
白いワンピース姿にて、肩の辺りにまでのびた不揃いの髪が白い。細い手足が白い。未成熟なカラダも白く、双眸までもが白。一点の曇りなき純白の結晶。
白い少女が無造作に手をふっただけで、大聖堂内の闇が消えてしまった。
拘束していた闇が消えたことにより解放された俺たち。床に這いつくばってゲホゲホと苦しげにうめく。
助かった……、でも安堵なんて微塵もない。
それどころか俺はカチカチと奥歯が鳴るのを止められない。
喪服の女も恐ろしかったが、白い少女はその比じゃない。
なんだコレは? おそらくはあの台座に封じられていた剣が擬人化したもの。ということは、彼女こそが魔王の剣であるイネイン・ブレイヤールなのだろう。
だが、いま俺たちは何を目にしている? 人の形こそはしているが、中身がまるでちがう。わからない、わからない、わからない。
混乱ばかりが押し寄せる。翻弄されるだけの状況が続く。
それでも俺は頭の片隅にて、生き残る道を探している自分がいることに気がついた。
抗い続けて決してあきらめない。そう言えば聞こえはいいが、ようは意地汚く生にしがみついているだけのこと。
骨の髄にまでしみ込んだ冒険者っぷりに、我ながら呆れる。
するとそんな俺をチラ見した白い少女が、クスリと笑みをこぼしたような気がした。
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