御様御用、白雪

月芝

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その二 山部家の双子

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 小さい頃はずっと男の格好をさせられていた。
 周囲と自分を比べる機会があれば、それがおかしなことであることに気がつけたのであろうが、あいにくと我が家は仕事柄、外部とほとんどつき合いがない。
 いかにお役目とはいえ、死を扱う家は、どうしたって敬遠されがちとなる。
 ならば坊主どもも同じだろうに、何故だかあちらには人と金が殺到するから、まっことふしぎな話である。
 人心と小判を惹きつけてやまぬ、あれこそが仏の功徳というやつなのであろうか。

 幼少期、わたしのそばには父と母しかおらず、わたしの世界は屋敷の中のみであった。
 その中でひたすら父より「首を斬る」鍛錬を施される日々。
 他にすることはなく、これが出来ないと容赦なく叱責を受ける。
 自分よりもずっと大きな父から怒鳴られるのは、とにかくおそろしい。
 そのくせうまくやれたときに、口の端をわずかに歪める父の顔もまた、それはそれでおそろしかった。
 唯一の慰めは、修行がうまくいったときに母がこしらえてくれる、汁粉や白玉団子などの甘味。

「甘い食べ物は心身をたるませる」

 わたしがよろこんで頬張っている姿を見かけるたびに、父は眉間にシワを寄せた。
 しかし鼻先に褒美をぶら下げると、確かに成果が出ていたので、さすがに取り上げるような大人げないことはしなかったが。
 いまにして思えば、あれは我が家では絶対の存在である父への、母なりのささやかな抵抗であったのかもしれない。

 ◇

 あれはわたしが七つの頃。
 夜更けに父より家から連れ出され、生まれて初めて駕籠というものに乗った。
 向かったのは、御様御用を統括する腰物奉行(こしものぶぎょう)さまのお屋敷。
 正門は固く閉じられており、そこは素通り。
 壁沿いに進み、裏門のところで駕籠を降りた。初めて乗ったのせいか、なにやら足下がフワフワして、どうにも落ち着かない。
 そんなわたしにかまうことなく、父は裏門にある木戸を開けて屋敷内へと。
 わたしもあわててついていく。
 なかに入ってからも建物に近づくのではなく、外壁沿いを左にずんずん歩く。
 そうしてたどりついたのは、盛大に篝火が焚かれ明るくなっている庭。
 白い砂利が敷き詰められており、中央にはなにやら布のかけられた大きなモノが置かれてある。

 縁側に座っている二人の人物を前にして、父が膝をついたので、わたしもこれに倣う。
 父の挨拶の口上から察するに、一人はこの屋敷の主人である荻原丘隅(おぎはらきゅうぐ)という人物らしい。痩身にて、どこか鶴を連想させる男である。
 もう一人は山脇正行(やまわきまさつら)といい、これは後で知ったのだが牢屋奉行(ろうやぶぎょう)をされている方であった。こちらは首が短く全体がずんぐりしており、まるで亀のような男である。
 どちらも父の仕事の関係者にて、この二人は父にとっては上役のような存在なのだと、わたしは幼いながらに理解する。

「無我(むが)よ、その子が例の?」
「ふーむ、にわかには信じられぬが……」

 萩原丘隅、山脇正行の二人が、父のうしろにてちょこんと控えているこちらをしげしげ眺めながら、そんな言葉を口にした。
 すると父が「論より証拠。して、お頼みしておいたものは」と言った。
 うなづいた萩原丘隅が手を軽く叩くと、音もなく姿をあらわしたご家来衆が二人。
 一人は主人に近づき、うやうやしく一本の脇差を差し出す。
 いま一人は庭にあった布のかけられたモノへと近づくと、これを取り払う。
 姿をあらわしたのは、甲冑一式を着た等身大の藁人形。
 手際よく布をたたんだご家来は、主人に黙礼ののちにどこぞへと消えた。
 脇差を持ってきた方も、いつの間にか消えている。

 萩原丘隅は脇差を半ばまで抜き、刃の状態を確かめたのちに、これを隣に座る山脇正行に渡した。
 受け取った山脇正行も同様の仕草をするも、とたんに顔をしかめ「ひどいな」とぼそり。
 それもそのはず。
 脇差は町の古道具屋で手に入れた二束三文の品にて、ごろつきどもが持っている白木の短刀の方が、よっぽど上等といったシロモノであったからだ。

「本当にこんなものでよかったのか。なんならわしの脇差を貸してもよいのだぞ」
「いえ、それではこの子の才の証明になりませぬので。それにこれで十分でござる」

 山脇正行からボロボロの脇差を拝借した父もまた少しだけ抜き、刀身の具合を確かめてから「いい塩梅にて」とほくそ笑む。
 父はわたしをふり返り言った。

「白雪、これにてあの鎧を斬れ」

 わざわざ夜更けに家から連れだされ、大きな屋敷にまで行って、何をさせられるのかと思いきや、いつもとかわらない。
 すっかりひょうし抜けしたわたしは、言われるままに脇差を受け取ると、甲冑の前へと向かった。

 鎧櫃の上に座った格好とはいえ、それでも自分よりも大きい。
 昔の武士たちは、こんなむさ苦しい物を着て、戦場を駆けまわっていたというのだから、感心するよりもむしろあきれてしまう。
 わたしは脇差を鞘から抜くと、刃の状態を確認することもなく、おもむろに袈裟懸けに斬った。
 右の首筋から、左の脇下へと振り抜かれた刃。
 状態はいまいちだったが、使用されている心鉄が良かったのか、重心もいい具合だし、感触は悪くない。二束三文との話だけれども、案外、掘り出し物だったのかもしれない。
 そんなことを考えつつ、抜いた脇差を鞘に戻す。
 この動作に遅れることわずか。
 甲冑がぐらりと傾き、二つに分かれて仰向けにどぅと倒れた。

「おぉ!」
「なんと!」

 萩原丘隅と山脇正行の両名が感嘆の声をあげるも、わたしはキョトン。
 なぜならこれぐらいならば、家でいつもやらされているからだ。
 とはいえ、斬るためだけに甲冑を毎回用意できるほど我が家は裕福ではないので、巻き藁に銅板を貼り付けた品や、壊れて破棄される予定の鎧なんかを借りてきて代用していたが。
 父が珍しく「よくやった」と褒めてくれたが、その意味もわからないほどにわたしは幼かった。

 この夜、わたしは萩原丘隅と山脇正行、両名の後見を得て、第二の姓を授かる。
 山部三成(やまべみつなり)という男姓である。


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