御様御用、白雪

月芝

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その一 山部家

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 やたらと草木が薫る初夏の夜のことであった。
 わたしは初めて生きている人間を斬った。
 相手は自分の母だった。
 十五の時のことである。
 母は斬られるときにこう言い残す。

「わたしは幸せでしたよ」と。

 死に顔はとても穏やかなものであった。
 落ちた首が、まるで観音菩薩のように微笑んでさえいた。
 子を成す道具として買われ、ただ夫と家に尽くすだけの日々。
 あげくに腹を痛めて産み、大切に育てた我が子に首を刎ねられる人生。
 いったいどこに幸せがあるというのか?
 わたしにはわからない。
 我が子に己の妻を斬れと命じる父も。
 これを甘んじて受け入れる母もわからない。
 けれども、わたしがもっともわからないのは、そんなことを平然と行える自分自身であった。

  ◇

 わたしが生まれたのは、天保の世もそろそろ終わろうとする十三年の文月のことであった。
 天保はお世辞にも安定した時代ではない。
 すでに武士の矜持もどこへやら。「君に忠、親に孝」などという朱子学を重んじた武士道も形骸化し、廃れてひさしい。
 搾取することしか知らない者たちは、街中をぶらついては行く先々にて不祥事を起こすか、縁側にてぼんやりと座り、使いどころのない二本差しを無聊に磨くばかり。
 あれならば日向ぼっこをしている猫どものほうが、よっぽどかわいげがある。
 そういえば「猫の手も借りたい」とは、誰が言い出した言葉であったか。
 じつにうまいこと言ったものである。
 侍どもよりよほど頼りになることであろうよ。
 張り子の虎と化した武士ども。これを尻目に世間を動かしていたのは民たちであった。
 精力的に活動し、逞しくもしたたかに世を渡る彼らこそが、まちがいなく社会を支えていた。
 当然だ。彼らは武士たちがふんぞり返っている間にも、コツコツと働き続けていたのだから。
 なのに何をかんちがいしたのやら。
 己の無能と怠惰を棚にあげて、すっかり傾いた財政を立て直そうとする幕府。安易な資金繰りに走り、強権を発動し締めつけを行う。
 これによって一時的に幕府の腹は満たされたものの、しわ寄せにて困窮する農民たちが怒り、各地にて一揆や騒動が頻発。
 それらの対応に追われて、結果的には中央どころか地方までをも巻き込んで疲弊させるというていたらく。
 まったくもって侍どもはロクなことをしやしない。

 そんな時代の片隅にて、わたしが産声をあげたのは、御様御用(おためしごよう)の家であった。
 たいそうな役職名ではあるが、ひらたく言えば首切り役人である。
 しかしひと口に首切り役人といっても格がある。
 もっとも有名なのは山田浅右衛門のところであろう。
 剣の腕もさることながら、刎ねた首の面子のそうそうたるや。他の追随を許さない。
 大なり小なり歴史に名を刻むような偉人傑物がぞろぞろ。
 将軍と拝謁することすらあるという山田家。
 これを筆頭とするならば、我が家はかなり格が落ちる。
 それでも生活が困窮することもなく、屋敷をかまえ、愛刀を手放さず、まがりなりにも武士然として過ごせていたのは、ひとえに我が家が抱える特殊な事情によるところが大きい。

 ふつう、首切り役を世襲することはない。
 武士の家では当たり前のように嫡子が家と役職を継ぐが、御様御用だけはちがう。
 穢れを扱うがゆえに、我が子にこれを継がせる、もしくは何代にも渡って続けることを厭い、たいていは弟子をとって跡目を譲るか、もしくは名前のみを継承させるに留めるのが通例。
 他にも技量の継承という問題がここに絡んでくる。
 カエルならばカエルを産み、鷹ならば鷹を産むというのに、なぜだか人間ばかりが勝手がちがうようで。
 達人の子が必ずしも達人になれるわけではない。
 日ノ本一の武家である葵の御紋ですらもが、けっこうな頻度で凡夫を輩出していることからもわかるであろう。
 ある程度までは厳しく指導することで、どうにかなるのかもしれないが、こと天賦に関わる領域となると、もはや人知ではいかんともしがたく。
 ましてや御様御用に求められる才能は、かなり変わっている。
 道場でいくら鍛錬に励んだとて身につくようなシロモノではなく、はたして剣術と呼んでさえいいのかもわからない。
 同じ刃物を扱う職業でも、料理人と剣客のそれはまるで別物。
 そして首切り役人の剣は、武士の剣よりも、むしろ料理人の包丁に近いと思われる。
 料理人らはじつに見事に魚の首を落とす。
 あれと同じこと。
 まな板の鯉か、刑場に座り首を垂れる罪人かのちがいでしかない。

 なのに、我が山部家は世襲制をかたくなに守っている。
 人の首を刎ねる術を秘伝と称し、これを代々受け継ぎ、一子相伝を貫いている変わり者。
 それでも細々と続けてこれたのは、奇跡的に男子が続いていたのと、技量が常に安定していたため。
 先に述べたことと矛盾しているのではと思われるかもしれないが、それこそがご先祖さまの狙い目だったのかもしれない。
 武士は、まず師なり道場なりにて、身体を鍛えつつ、竹刀や木剣の扱い方を習う。そこから体さばきを覚え、同門らと研鑽に励み、さらに流派ごとの奥義なんぞを身につけていく。
 真剣の扱いや、ましてや対人戦、人体の斬り方などを学ぶのは、かなりあとのこと。
 けれども我が山部流はちがう。
 いきなり刃物を持たせる。赤子の手に収まる大きさの剃刀にはじまり、幼少期には小太刀、ある程度まで育つと打ち刀といった具合に、つねに真剣を扱わせる。
 そしてただ目の前に置かれたモノを斬るという行為だけを、ひたすらくり返す。
 師となる父より教わるのは、ただそれだけ。
 用意された品を斬れば、新しい何かが出てくる。それを斬れば、また次といったように延々と斬り続ける。
 固いモノもあれば柔らかいものもある。あっさり斬れるモノもあれば、百日ぐらいかかるようなシロモノまである。
 そうやって身に染み込ませるようにして、斬るという行為を、五体どころか五臓六腑、骨の髄、血の一滴にまで宿らせていく。
 こうやって育てられた子は、斬ること以外は何も知らない。
 知らないがゆえに、これが当たり前となり、それ以外の生き方があることも理解できなくなる。

  ◇

 奇異な山部家だが、ついに断絶の危機が訪れた。
 わたしという女児が誕生したからである。他に子はない。
 男系を是非とするのならば、すぐに次の子を設けるなり、他所の女に産ませるなりすればよかったのに、父はなぜだかそれをしなかった。
 理由は、わたしの首切りの才、その身に宿る一族の血の濃さを知ったから。
 よちよち歩きができるようになって間もなく、わたしは手にした剃刀にて、床の間に飾られてあった掛け軸を斬った。
 絵柄は覚えていない。
 わざわざ飾ってあるぐらいだから、相応に価値があるか、あるいはそれなりに気に入っていた掛け軸であったはず。
 それをいたずらされれば、ふつうの親なれば怒る。
 しかし父はちがった。
 掛け軸の切り口を目にし、狂ったようにケタケタ笑い出したという。
 おどろいた母が「どうかなさいましたか」とおずおずたずねると、父はいつになく上機嫌にて言った。

「これを見よ、咲江。なんと見事な切り口か。うしろの壁を毛筋ほども傷つけることなく、見事に紙だけを裂いておるわ。この短い手足で、なんたる技の冴えであろうか! 白雪の身に宿りし剣才は群を抜いておる。おぉ、この子こそが我が山部家の大願を成就する、運命の申し子よ!」

 後継ぎになれない女児であるわたしに、これまで犬猫程度にも興味を示さなかった父が、はじめてわたしを抱きかかえて、それはおおいにはしゃぐ。
 いまにして思えば、この瞬間、わたしの運命は決していたのであろう。


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