1 / 29
その一 山部家
しおりを挟むやたらと草木が薫る初夏の夜のことであった。
わたしは初めて生きている人間を斬った。
相手は自分の母だった。
十五の時のことである。
母は斬られるときにこう言い残す。
「わたしは幸せでしたよ」と。
死に顔はとても穏やかなものであった。
落ちた首が、まるで観音菩薩のように微笑んでさえいた。
子を成す道具として買われ、ただ夫と家に尽くすだけの日々。
あげくに腹を痛めて産み、大切に育てた我が子に首を刎ねられる人生。
いったいどこに幸せがあるというのか?
わたしにはわからない。
我が子に己の妻を斬れと命じる父も。
これを甘んじて受け入れる母もわからない。
けれども、わたしがもっともわからないのは、そんなことを平然と行える自分自身であった。
◇
わたしが生まれたのは、天保の世もそろそろ終わろうとする十三年の文月のことであった。
天保はお世辞にも安定した時代ではない。
すでに武士の矜持もどこへやら。「君に忠、親に孝」などという朱子学を重んじた武士道も形骸化し、廃れてひさしい。
搾取することしか知らない者たちは、街中をぶらついては行く先々にて不祥事を起こすか、縁側にてぼんやりと座り、使いどころのない二本差しを無聊に磨くばかり。
あれならば日向ぼっこをしている猫どものほうが、よっぽどかわいげがある。
そういえば「猫の手も借りたい」とは、誰が言い出した言葉であったか。
じつにうまいこと言ったものである。
侍どもよりよほど頼りになることであろうよ。
張り子の虎と化した武士ども。これを尻目に世間を動かしていたのは民たちであった。
精力的に活動し、逞しくもしたたかに世を渡る彼らこそが、まちがいなく社会を支えていた。
当然だ。彼らは武士たちがふんぞり返っている間にも、コツコツと働き続けていたのだから。
なのに何をかんちがいしたのやら。
己の無能と怠惰を棚にあげて、すっかり傾いた財政を立て直そうとする幕府。安易な資金繰りに走り、強権を発動し締めつけを行う。
これによって一時的に幕府の腹は満たされたものの、しわ寄せにて困窮する農民たちが怒り、各地にて一揆や騒動が頻発。
それらの対応に追われて、結果的には中央どころか地方までをも巻き込んで疲弊させるというていたらく。
まったくもって侍どもはロクなことをしやしない。
そんな時代の片隅にて、わたしが産声をあげたのは、御様御用(おためしごよう)の家であった。
たいそうな役職名ではあるが、ひらたく言えば首切り役人である。
しかしひと口に首切り役人といっても格がある。
もっとも有名なのは山田浅右衛門のところであろう。
剣の腕もさることながら、刎ねた首の面子のそうそうたるや。他の追随を許さない。
大なり小なり歴史に名を刻むような偉人傑物がぞろぞろ。
将軍と拝謁することすらあるという山田家。
これを筆頭とするならば、我が家はかなり格が落ちる。
それでも生活が困窮することもなく、屋敷をかまえ、愛刀を手放さず、まがりなりにも武士然として過ごせていたのは、ひとえに我が家が抱える特殊な事情によるところが大きい。
ふつう、首切り役を世襲することはない。
武士の家では当たり前のように嫡子が家と役職を継ぐが、御様御用だけはちがう。
穢れを扱うがゆえに、我が子にこれを継がせる、もしくは何代にも渡って続けることを厭い、たいていは弟子をとって跡目を譲るか、もしくは名前のみを継承させるに留めるのが通例。
他にも技量の継承という問題がここに絡んでくる。
カエルならばカエルを産み、鷹ならば鷹を産むというのに、なぜだか人間ばかりが勝手がちがうようで。
達人の子が必ずしも達人になれるわけではない。
日ノ本一の武家である葵の御紋ですらもが、けっこうな頻度で凡夫を輩出していることからもわかるであろう。
ある程度までは厳しく指導することで、どうにかなるのかもしれないが、こと天賦に関わる領域となると、もはや人知ではいかんともしがたく。
ましてや御様御用に求められる才能は、かなり変わっている。
道場でいくら鍛錬に励んだとて身につくようなシロモノではなく、はたして剣術と呼んでさえいいのかもわからない。
同じ刃物を扱う職業でも、料理人と剣客のそれはまるで別物。
そして首切り役人の剣は、武士の剣よりも、むしろ料理人の包丁に近いと思われる。
料理人らはじつに見事に魚の首を落とす。
あれと同じこと。
まな板の鯉か、刑場に座り首を垂れる罪人かのちがいでしかない。
なのに、我が山部家は世襲制をかたくなに守っている。
人の首を刎ねる術を秘伝と称し、これを代々受け継ぎ、一子相伝を貫いている変わり者。
それでも細々と続けてこれたのは、奇跡的に男子が続いていたのと、技量が常に安定していたため。
先に述べたことと矛盾しているのではと思われるかもしれないが、それこそがご先祖さまの狙い目だったのかもしれない。
武士は、まず師なり道場なりにて、身体を鍛えつつ、竹刀や木剣の扱い方を習う。そこから体さばきを覚え、同門らと研鑽に励み、さらに流派ごとの奥義なんぞを身につけていく。
真剣の扱いや、ましてや対人戦、人体の斬り方などを学ぶのは、かなりあとのこと。
けれども我が山部流はちがう。
いきなり刃物を持たせる。赤子の手に収まる大きさの剃刀にはじまり、幼少期には小太刀、ある程度まで育つと打ち刀といった具合に、つねに真剣を扱わせる。
そしてただ目の前に置かれたモノを斬るという行為だけを、ひたすらくり返す。
師となる父より教わるのは、ただそれだけ。
用意された品を斬れば、新しい何かが出てくる。それを斬れば、また次といったように延々と斬り続ける。
固いモノもあれば柔らかいものもある。あっさり斬れるモノもあれば、百日ぐらいかかるようなシロモノまである。
そうやって身に染み込ませるようにして、斬るという行為を、五体どころか五臓六腑、骨の髄、血の一滴にまで宿らせていく。
こうやって育てられた子は、斬ること以外は何も知らない。
知らないがゆえに、これが当たり前となり、それ以外の生き方があることも理解できなくなる。
◇
奇異な山部家だが、ついに断絶の危機が訪れた。
わたしという女児が誕生したからである。他に子はない。
男系を是非とするのならば、すぐに次の子を設けるなり、他所の女に産ませるなりすればよかったのに、父はなぜだかそれをしなかった。
理由は、わたしの首切りの才、その身に宿る一族の血の濃さを知ったから。
よちよち歩きができるようになって間もなく、わたしは手にした剃刀にて、床の間に飾られてあった掛け軸を斬った。
絵柄は覚えていない。
わざわざ飾ってあるぐらいだから、相応に価値があるか、あるいはそれなりに気に入っていた掛け軸であったはず。
それをいたずらされれば、ふつうの親なれば怒る。
しかし父はちがった。
掛け軸の切り口を目にし、狂ったようにケタケタ笑い出したという。
おどろいた母が「どうかなさいましたか」とおずおずたずねると、父はいつになく上機嫌にて言った。
「これを見よ、咲江。なんと見事な切り口か。うしろの壁を毛筋ほども傷つけることなく、見事に紙だけを裂いておるわ。この短い手足で、なんたる技の冴えであろうか! 白雪の身に宿りし剣才は群を抜いておる。おぉ、この子こそが我が山部家の大願を成就する、運命の申し子よ!」
後継ぎになれない女児であるわたしに、これまで犬猫程度にも興味を示さなかった父が、はじめてわたしを抱きかかえて、それはおおいにはしゃぐ。
いまにして思えば、この瞬間、わたしの運命は決していたのであろう。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる