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その六 幼少期の終わり
しおりを挟む寺子屋に顔をみせた巳之助の右の頬が腫れていた。
問えば「おやじにぶん殴られた」という。
で、その理由は例の異国のことが書かれた写本を勝手に外部に持ち出したこと。
ぷらぷら持ち歩いて、うっかりうるさ方のお武家や役人の目にでも触れたら面倒になると叱られたらしい。
実際のところ、「南蛮かぶれ」を毛嫌いしている武士は多い。
たんに盲目的に自国が優れていると思い込み、他国を貶めることで、己が優越感を保っているだけのことなのだが、当人らにその自覚はない。
それどころか、自分たちは憂国の士ですらあると勘違いしているから、いっそう性質が悪い。
そんな連中に捕まったらたいへんだ。あれらは加減を知らないから、子どもでもきっと容赦しない。
瓦版屋の主人をしているだけあって、そのへんの機微に聡い父親が、我が子に危険を教えるためにふるった愛の鞭。いいおやじさんである。
が、親の心子知らずとはよく言った。
にへらと笑った巳之助。懐より取り出したのは、またぞろ別の書物。
仏蘭西なる異国について書かれた写本。
まったく懲りてない巳之助に、わたしは「やれやれ」と嘆息した。
◇
仏蘭西について書かれた書物は、絵草紙風にて、奇妙な頭をした男や、やたらと動きにくそうな格好をした女などの絵が描かれてあった。
巳之助がめるくのを、何げに横目にてのぞいていたら、わたしはある絵に非常に心惹かれ、思わず身を乗り出し「これは?」とたずねる。
描かれてあったのは、二本の柱の間に大きな刃を吊るした台座のようなもの。
「あー、こいつはギロチンだな」
「ぎろていん?」
断頭台もしくは断首台とも呼ばれる斬首刑のからくり。
これさえあれば誰でも容易く人の首が落とせるとのこと。
「海の向こうからこいつが入ってきたら、白雪のところはお役御免にて、おまんまの食いあげだな」
冗談まじりに言って巳之助はケタケタ笑うも、わたしの耳にはまるで入ってこない。
わたしはただ一心に、その「ぎろていん」の絵を見つめ続ける。
首を刎ねるだけの道具。
ただその目的のためだけに、一切のムダが排された造りが、とてもきれいだと思った。
自分と同じだと思った。
そしてすごいとも思った。
我が山部家が気の遠くなるほどに代を重ね、研鑽と鍛錬を積み、数多の犠牲を払いつつ、ようやく到達しつつある境地に、海の向こうではとっくに辿りついていたのだ。
ふしぎと悔しさは感じない。
それよりも「すごい」という尊敬の念を抱かずにはいられない。
しかしもっとも驚いたのは、この「ぎろていん」を作ったのが医術に携わる者であり、処刑される者の死の苦痛を少しでも和らげるためだということ。
美しいだけでなく、優しさが根底にあふれている。
なんという慈悲であろうか。
もしかしたら、わたしの先祖もそんな心持ちから、連綿と受け継がれる奇行を始めたのかもしれない。
そうであったらうれしいなと、わたしは願わずにはいられない。
◇
わたしが寺子屋に通ったのは、九つと十の二年間のみ。
終わりはあまりにも唐突であった。
父が「もうよかろう」と言った。
そのひと言でもって終了。
いろいろと師より習ったはずなのだが、よくよく記憶に残っているのは、巳之助から聞かされた雑学ばかりというていたらくにて。
そんな巳之助ともそれきりとなった。
以降は、自分の屋敷内にて鍛錬に明け暮れる日々に戻る。
ほどなくして、わたしは外の世界のことを忘れた。
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