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26 料理長のクッキー
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柔らかい日差しに心地よい風。
いい天気だったので屋敷の周りを散歩していると、どこからともなく甘い香りが。
吸い寄せられるようにオレが向かったのは本館一階にある厨房。
勝手口から中を覗くと、料理長がオーブンの前に陣取っている。スキンヘッドに逞しい二の腕、相変わらずのゴツイ背中だ。料理長は宴会などの予定が入らない限り、普段は一人で本館の食事を切り盛りしている。無口な男でオレは彼が喋っている声を未だに聞いたことがない。主人であるアンケル爺を前にしても言葉を発しないのだから徹底している。メイドたちの間で密かに彼の声を聞けたら幸せになれるという噂がまことしやかに囁かれているとか。
そんな彼だが仕事に対しては真摯である。もしも料理に入ったら大変だとの理由にて頭の毛どころか、全身の毛をツルツルに剃ってしまうほどに。だからといって眉毛まで沿ってしまうのはどうかと、オレは思う。
ムキムキ眉なし大男がオレに気がついた。じっとこちらを見ている。気の弱いご婦人ならば卒倒しかねない迫力、とても堅気とは思えない。
黙って近寄ってきた料理長から差し出されたのは、三枚のクッキー。
受け取ったそれはまだ温かい、焼き立てだ。これが周囲に漂っていた甘い香りの正体。
料理長の作るクッキーは、くどくない甘さとサクッっとした歯触り、口の中でほろほろと溶ける、クロアもお気に入りのお菓子。もちろんオレも大好きさ。誰も見ていないところで、いつもオレにこっそりお裾分けをしてくれるナイスガイ、それが料理長。
にょろりと触手を挙げて感謝の意を表すと、彼は仕事に戻っていった。やはりゴツイ背中だ。その辺の兵士が可愛く見えてくる。
せっかくのクッキーなので急いで消化するのは勿体ない。
どこか落ち着いたところで味わおうとうろついていると、洗濯済みのシーツが干されている場所に出た。大量の白いシーツが風にたなびいている。なかなか壮観な光景にオレの足も止まる。そんなシーツの合間をちょこまかと動く、小柄なメイド姿があった。見かけたことのない人だった。もっともこの屋敷の中には、かなりの数の人間が勤めているので、オレとしてもすべての人物を見知っているわけではない。むしろ顔と名前が一致しない人のほうが多い。
ピンク色のおさげ髪の女の子。ようやく仕事がひと段落ついたらしい。
ふぅ、と吐息を漏らすと、自分の腰や肩を揉み揉み。可愛らしい見た目に反して仕草がやや年寄りくさい。
シーツを干し終えたメイドさんは、空になった洗濯籠を持って、どこぞへ消える。
ヒュルリと強めな風が吹いた。
数枚のシーツが宙を舞う。止めが甘かったのだ。
おかげでせっかく真っ白になっていたシーツが泥だらけ。これではやり直しである。
目撃してしまった以上、見てみぬふりをするわけにもいかない。オレは落ちていたシーツを回収すると、「洗浄」技能にてキレイにしてから干し直す。たいした手間でもなし、これぐらいのお手伝いはいいだろう。
《お手伝いも終えたことだし、料理長のお手製クッキーを味わうとしようか》
スーラボディは味覚が備わっているくせに、一切食べ物を必要としていない。これではもったいないから、オレは機会があれば食べる事を趣味として愉しんでいる。
不意に背後からひょいと持ち上げられた。
オレは常に周囲の気配を探っているが、悪意や害意には過敏に反応するものの、こと好意に関しては途端に鈍くなる。つまり近しい間柄になるほどに感度はだだ下がり。加えて卓越した技にて気配を消されたら、ちょっとお手上げ。もっともそんな芸当が出来る相手はかなり限られているが。
オレを捕まえたのは、そんな限られた人物のうちの一人。メイド長のエメラさんだ。お日様を浴びて煌めく銀の髪が眩しい。
彼女はアンケル爺の屋敷内の三強の一角。ちなみに残り二人は執事長のクリプトさんとクロアのマナー講師である仮面女である。騎士団長も弱くはないのだが、執事隊とメイド隊の影に隠れて存在感が薄い。彼の場合は指揮能力に重きを置かれているので、求められる強さの方向性が違う。集団戦でこそ生きてくる強さなのでランク外である。
「ありがとうございます。お手数をおかけしました」
オレにわざわざ礼を述べるエメラさん。
スーラを抱いたメイドの独り事。傍目にもかなり寂しい姿。エメラさんの容姿がキリリとしたクールビューティーなので、尚更であろうに彼女は気にしない。エメラさんはある程度、オレの知能について疑っているのでときおり、このように普通の人に接するかのような態度をとる。
こちらは空とぼけているのだが、近いうちに馬脚を現す自分の未来しか想像できない。
「ですが、あんまり甘やかされても困ります。失敗を重ねて人は学び成長するのですから。今度からはルーシーが失敗しても手をかさないで下さいね。フォローはちゃんとこちらで行いますので」
やんわりと嗜められてしまった。
よかれと手助けしたのだが、ちょっと安直だったらしい……、おっさん反省。
エメラさんはオレの体にほのかな柑橘系の香りを残し、本館へと戻っていく。
その手にはオレが貰ったハズの料理長のクッキーを一枚持って。
《やられた!》
みんな大好き料理長の特製クッキー。
青空の下、オレは一枚を自分の体の中に放り込むと、じっくりと味わう。
うん。美味い。
こっそりと外で頂くお菓子のなんと甘露なことか。
最後の一枚は食べずに残しておく。
こいつはクロアの分。エメラさんとオレが食べたのに、自分だけ食べてないと知ったら、きっと拗ねるから。うちの小さなレディは中々どうして勘が鋭いので。
じきにクロアの授業も終わる時間。オレもそろそろ戻るとしようか。
いい天気だったので屋敷の周りを散歩していると、どこからともなく甘い香りが。
吸い寄せられるようにオレが向かったのは本館一階にある厨房。
勝手口から中を覗くと、料理長がオーブンの前に陣取っている。スキンヘッドに逞しい二の腕、相変わらずのゴツイ背中だ。料理長は宴会などの予定が入らない限り、普段は一人で本館の食事を切り盛りしている。無口な男でオレは彼が喋っている声を未だに聞いたことがない。主人であるアンケル爺を前にしても言葉を発しないのだから徹底している。メイドたちの間で密かに彼の声を聞けたら幸せになれるという噂がまことしやかに囁かれているとか。
そんな彼だが仕事に対しては真摯である。もしも料理に入ったら大変だとの理由にて頭の毛どころか、全身の毛をツルツルに剃ってしまうほどに。だからといって眉毛まで沿ってしまうのはどうかと、オレは思う。
ムキムキ眉なし大男がオレに気がついた。じっとこちらを見ている。気の弱いご婦人ならば卒倒しかねない迫力、とても堅気とは思えない。
黙って近寄ってきた料理長から差し出されたのは、三枚のクッキー。
受け取ったそれはまだ温かい、焼き立てだ。これが周囲に漂っていた甘い香りの正体。
料理長の作るクッキーは、くどくない甘さとサクッっとした歯触り、口の中でほろほろと溶ける、クロアもお気に入りのお菓子。もちろんオレも大好きさ。誰も見ていないところで、いつもオレにこっそりお裾分けをしてくれるナイスガイ、それが料理長。
にょろりと触手を挙げて感謝の意を表すと、彼は仕事に戻っていった。やはりゴツイ背中だ。その辺の兵士が可愛く見えてくる。
せっかくのクッキーなので急いで消化するのは勿体ない。
どこか落ち着いたところで味わおうとうろついていると、洗濯済みのシーツが干されている場所に出た。大量の白いシーツが風にたなびいている。なかなか壮観な光景にオレの足も止まる。そんなシーツの合間をちょこまかと動く、小柄なメイド姿があった。見かけたことのない人だった。もっともこの屋敷の中には、かなりの数の人間が勤めているので、オレとしてもすべての人物を見知っているわけではない。むしろ顔と名前が一致しない人のほうが多い。
ピンク色のおさげ髪の女の子。ようやく仕事がひと段落ついたらしい。
ふぅ、と吐息を漏らすと、自分の腰や肩を揉み揉み。可愛らしい見た目に反して仕草がやや年寄りくさい。
シーツを干し終えたメイドさんは、空になった洗濯籠を持って、どこぞへ消える。
ヒュルリと強めな風が吹いた。
数枚のシーツが宙を舞う。止めが甘かったのだ。
おかげでせっかく真っ白になっていたシーツが泥だらけ。これではやり直しである。
目撃してしまった以上、見てみぬふりをするわけにもいかない。オレは落ちていたシーツを回収すると、「洗浄」技能にてキレイにしてから干し直す。たいした手間でもなし、これぐらいのお手伝いはいいだろう。
《お手伝いも終えたことだし、料理長のお手製クッキーを味わうとしようか》
スーラボディは味覚が備わっているくせに、一切食べ物を必要としていない。これではもったいないから、オレは機会があれば食べる事を趣味として愉しんでいる。
不意に背後からひょいと持ち上げられた。
オレは常に周囲の気配を探っているが、悪意や害意には過敏に反応するものの、こと好意に関しては途端に鈍くなる。つまり近しい間柄になるほどに感度はだだ下がり。加えて卓越した技にて気配を消されたら、ちょっとお手上げ。もっともそんな芸当が出来る相手はかなり限られているが。
オレを捕まえたのは、そんな限られた人物のうちの一人。メイド長のエメラさんだ。お日様を浴びて煌めく銀の髪が眩しい。
彼女はアンケル爺の屋敷内の三強の一角。ちなみに残り二人は執事長のクリプトさんとクロアのマナー講師である仮面女である。騎士団長も弱くはないのだが、執事隊とメイド隊の影に隠れて存在感が薄い。彼の場合は指揮能力に重きを置かれているので、求められる強さの方向性が違う。集団戦でこそ生きてくる強さなのでランク外である。
「ありがとうございます。お手数をおかけしました」
オレにわざわざ礼を述べるエメラさん。
スーラを抱いたメイドの独り事。傍目にもかなり寂しい姿。エメラさんの容姿がキリリとしたクールビューティーなので、尚更であろうに彼女は気にしない。エメラさんはある程度、オレの知能について疑っているのでときおり、このように普通の人に接するかのような態度をとる。
こちらは空とぼけているのだが、近いうちに馬脚を現す自分の未来しか想像できない。
「ですが、あんまり甘やかされても困ります。失敗を重ねて人は学び成長するのですから。今度からはルーシーが失敗しても手をかさないで下さいね。フォローはちゃんとこちらで行いますので」
やんわりと嗜められてしまった。
よかれと手助けしたのだが、ちょっと安直だったらしい……、おっさん反省。
エメラさんはオレの体にほのかな柑橘系の香りを残し、本館へと戻っていく。
その手にはオレが貰ったハズの料理長のクッキーを一枚持って。
《やられた!》
みんな大好き料理長の特製クッキー。
青空の下、オレは一枚を自分の体の中に放り込むと、じっくりと味わう。
うん。美味い。
こっそりと外で頂くお菓子のなんと甘露なことか。
最後の一枚は食べずに残しておく。
こいつはクロアの分。エメラさんとオレが食べたのに、自分だけ食べてないと知ったら、きっと拗ねるから。うちの小さなレディは中々どうして勘が鋭いので。
じきにクロアの授業も終わる時間。オレもそろそろ戻るとしようか。
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