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017 ゾッとしない話
しおりを挟むひたひたと……
足下から冷気が這いあがってくる。
山のみが宿す澄んだ朝の空気にて、鼻がむずむずし「へっくしょん!」
クシャミで目が覚めた。
欠伸まじりで「う~ん」と善志は背をのばす。
たまさか避難小屋でいっしょになった女性から奇妙な話を聞いているうちに、いつのまにやら寝てしまっていたらしい。やはり慣れぬ登山に体が疲れていたのだろう。
寝ぼけまなこで室内を見渡せば、がらんとしている。
それもそのはずだ……ひとり足りない。
小西菊代の姿はすでになく、ずっと起きていた秀によれば「彼女だったら、とっくに出発して先へいったよ」とのこと。
そんな秀は、いつの間に沸かしたのかモーニングコーヒー片手に足を組んでは、古新聞なんぞを優雅に読んでいる。
「うぅ、寒っ。けっこう冷えるな。俺にもコーヒーをくれ」
善志がせがめば秀は黙ってコップに熱々なのを注いでくれたのだけれども、それといっしょに「ほらこれ、善志も読んでみなよ、けっこう面白いよ」と古新聞を差し出してきた。
パリパリの海苔のような感触。
何度も湿気っては乾燥するをくり返すうちに、すっかり黄ばんでカピカピになっている。それでも原型を留めているのだから新聞紙とはたいしたものである。
日付を確認すれば二十年以上も昔のものだ。
これまたずいぶんと古い。自分たちが産まれるよりも前から、この避難小屋の片隅の暗がりにまぎれては、ずっと放置されていたものらしい。よくもまぁ、残っていたものである。
紙面のトップを大々的に飾っていたのは、とある一家が惨殺されて放火されて家が全焼したという悲惨な事件であった。
義父の介護に疲れた嫁が、錯乱して義父だけでなく自分の夫や子どもたちを殺して家に火を放った……うんぬんかんぬん。
善志は「んんん?」
おもわず紙面に顔を近づけては、食い入るように見つめる。
はて、どこぞで聞いたことがあるような、ないような……
「あっ! もしかして、俺たちってばあの人にいっぱい喰わされたのか?」
記事にざっと目を通してから、善志はおもわず声をあげた。
そうしたら秀は「僕もはじめはそうおもったよ。でもね、その記事の被疑者の顔写真のところをよく見てごらん」
言われるままにジッと見てみる。
が、そこだけ何かを零したかのような染みがあって、肝心の写真がぼやけてしまっていた。
「これじゃあ、よくわからんなぁ」
しげしげ眺めてはうなる善志だが、秀は「そうかい? たしかに細かいところまではわからないけれども、輪郭とか全体の印象に面影とか、特徴はけっこう残っているとおもうんだけど」なんぞと言う。
そしてさらには……
「僕の目には昨夜いっしょになった、あの人にとてもよく似ているように映ったんだけどねえ」と。
大真面目な調子でそんなことを言われた善志は「ぷぷっ」
口に含んだコーヒーをおもわず噴き出しそうになってしまった。
「おいおい、まさかうらめしや~と化けて出てきたっていうのかよ? バカバカしい」
善志は心霊系は否定派にて。
それよりも人間の同調圧力やメディアの影響力の方がよっぽどおっかない。あと自分の方へやたらと向かってくるゴキブリも嫌いだ。
だが秀はなおも真面目な顔で続けてこうも言った。
「まぁ、写真の是非については水掛け論になるから、とりあえず脇に置いておくとして。その記事を読んでみて、善志はおかしなところに気がつかないかい?」
「おかしなこと……おおむね、あのオバちゃんが言ってたような内容だとおもうが」
「そうだね。でもね、よーく見てごらんよ。被害者のところの人数がちょっと、ね」
言われて善志は記事をふたたび見直す。
今度は一字一句、逃さないように目を皿にして読み進める。
そして秀が指摘した箇所に気がついた。
「あっ、ひょっとしてこいつか! 被害者の数が合ってねえ」
昨夜の一人語りのなかで――
小西菊代が殺めたのは、自分の夫に息子に娘に義父、細川珠希の計五人だ。
けれども記事の中で犠牲になったのは四人とされており、珠希に関する記述がどこにもない!?
灯油を撒いて火を放っている。
家は全焼にて遺体が完全に燃え尽きたとも考えられるけど。
だがその可能性は限りなく低いと秀がすぐに否定した。
「火葬場という専用の施設で、千度以上もの高温で一時間半ほども集中的に焼いても、骨は残るんだよ。いくら灯油を撒いたからって、家みたいな密閉性の低い建物内だとなかなか。赤ちゃんとか小さい子どもならばともかく、いっぱしの大人の女性ともなれば、どうしたって燃えカスが残るよ。
なんだかんだで消防も駆けつけているだろうし、燃え尽きるをのぼんやり眺めていたわけなんてないでしょう。
にもかかわらず一切の痕跡すらも残さないなんてありえない」
忽然と事件現場から消えた女の遺体。
それこそ風呂に入ったせいで溶けてしまったという雪女のようだ。
出逢ったときから様子がおかしかったが、こうなると細川珠希という女はいったい何だったのか?
いや、だからこそ小西菊代は珠希をして「自分は雪女に遭ったことがある」と言ったのか、う~ん……
「まっ、どっちでもいいか。コーヒーのおかわりをくれ」
善志は深く考えことをやめた。
考えたとて真相は藪の中ならぬ、山の中にて。
カップにおかわりを注ぐ秀は「くくく」と笑いつつ「あー、その様子だと最後の方のことは覚えていないみたいだね。善志ってばうつらうつら舟を漕いでいたから」
「最後の方って、いったい何の話だよ?」
「あきれた、やっぱり覚えていない。小西さんが話し終わりにこう訊いてきたんだよ。『この話についてどうおもう? やっぱり酷いかしら? それとも』と。
僕は何て答えたらいいものか、逡巡しちゃった。なんとなく下手なことを言ったら危ういような気がしたものでね。
でも善志はちがったよ。眠い目をこすりながら『はぁ? むしろよく辛抱した方だよ。もしも自分だったら、もっと早くにブチ切れてる。もしくは家中から金目のモノを根こそぎ集めて、離婚届けに判を押したやつを置いてトンズラしてる』って。
その答えに、あの人はケラケラお腹を抱えて笑っていたよ。でもね……」
いったん言葉を区切った秀は、少しぬるくなったコーヒーにて舌を湿らせてから言った。
「おかげで僕たちは命拾いをしたのかもしれない」と。
昨夜、避難小屋で相席した女性が過去の亡霊なのか否か。
それについては先に善志が口にした通り、真偽は誰にもわからない。
でも秀は「僕には彼女こそが雪女のような気がしてしょうがないよ」とぽつり。
小西菊代は雪山で出逢った細川珠希をして雪女と評した。
そんな珠希を殺したあと、山へと消えたであろう菊代もまた雪女となって、永遠に山中を彷徨っているのかもしれない。
だって雪女には雪山で行き倒れになった女性の幽霊という説もあるのだから。
もしもそうだとしたら、彼女からの問いかけに対して意に沿わぬ返答をしていたら、いったいどうなっていたことか。
朝の避難小屋に、すっかり冷たくなった若い男の骸がふたつ……
な~んてことなっていたのかもしれない
「そのまま善志と僕、心中扱いとかされちゃったりしてね」
「けっ、そいつはなんともゾッとしない話だな」
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