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275 砂の渦
しおりを挟む砂の海の旅。
空と大地が茜色に染まると動き出し、星や月で方角を小まめに確認しながら慎重に進む。
かつて北の極界を旅した経験から、迷わないように目印を設置するのも忘れません。
また、はやる気持ちを抑えて、移動距離や速度よりも体力を優先。
なにせ前人未踏ゆえに、どれほどの時間がかかるかまるで予想もつきませんから。
空気さえも凍えそうな夜が明けるまえに歩みを止めて、ルクが造り出したふしぎな氷のドームの中に潜り込み、日中の灼熱地獄をやり過ごす。
水色オオカミのチカラのおかげで砂漠の暑さや、ノドのかわきに怯えることもない。
おかげで旅はずいぶんとマシになりました。だからとて楽になるわけではありません。
苦行が半分になったからとて、辛いのにはかわりませんから。
まず調査隊の一行を苦しめたのが足下の砂。
ふつうに歩くよりも踏ん張りがきかず、まとわりついてきては足を重くする。微々たる量ながらも、それがジワリジワリと効いてくるからあなどれない。
また指と指の間や、ツメの生え際、肉球と毛のすき間なんぞに入った小さな砂粒が、自分の体重とあいまって、肌に擦れては激烈な痛みを発生させることもあるからたまりません。
ちょっと強い風が吹いたときに、うっかりしてようものならば、とたんに目や口に入って「うぇっ」となる。どれだけ払っても全身砂ぼこりまみれにて、これがいっそう気分を滅入らせる。
どこまで行ってもかわらない景色もまた難敵。
三日目には早くも飽きがきており、三頭ともがうんざりしていました。
そのくせ砂の海は平たんなわけではなくって、ゆるやかに山あり谷あり、傾斜こそはたいしたことがないけれども、だからこそ気づかないうちにごっそりと体力を消耗しているなんてことも。
進んでいる時間帯が夜ということもあって、砂甲虫(さこうちゅう)におそわれる危険がないこととあいまって、とかく注意力も散漫となりがち。
と、油断していたらとんでもない坂道にて、ガクンとけつまづき、ごろごろ転がり落ちていたり。
それに立ちふさがる敵は、なにも外からばかりともかぎらない。
むしろ今回の探検の旅に際して、いちばん手強いかもしれない敵は内にこそありました。
三頭の……、というよりもシュプーゲルとクルセラの空気がとにかくわるい。
男女にして幼馴染み、お互いのことを知りすぎるほどに知っている者同士。だけれども親しすぎるがゆえに遠慮がない。これが過酷な旅の間では逆に作用する。
ただでさえ蓄積された疲労でピリピリしているところに、ズケズケと本音をぶちまけるものだから、ギスギス感が一気に膨れあがる。
しかし、いまは大切な旅の途中。しょうもないことでモメている場合ではない。
両名ともに、よくわきまえているので、グッとこらえる。
これがまたよろしくない。いつもならばおおいに言い合って、互いにぶつかり合って、発散されるというのに、いつまでたってもわだかまりが残ったまま。腹の底にて汚泥のようたまっていくばかり。
もはやいつ爆発してもおかしくはない。
そしてそんなハラハラの状況下にて、ずっと二頭の間で板挟みにあっているルクの精神的負担も、そろそろ限界にちかづいておりました。
寝て起きたら、自分でもおどろくぐらいの抜け毛を見つけたときのショックは、これまで味わったことのない未知の恐怖を彼に抱かせたものです。
おもえば過酷なわりに変化に乏しい旅にて、やはり三頭ともが気を抜いていたのでしょう。
砂の海を渡りはじめること十一日目。明け方のこと、異変が起こりました。
氷のドームを整えたので、中に入って休もうかと準備をしていたら、ふいにそのドームが動く!
何ごとかとおもえば、ドームが動いていたのではなくって、足下の砂漠そのものが動いていたのです。
見た目にはゆっくり、だけれども内包されているチカラはおそろしく強い。
水とてほんの足首までほどの高さでも、屈強な男の自由を封じるほどの威力をときに発揮します。それが砂ともならば、粒子のこまかさと密度があいまって、より重くこちらをからめとろうとしてくる。
それは視界いっぱいに広がっており、大渦のごとき姿をしていました。
「流砂だ! すぐに逃げないとのみ込まれぞ」
叫んだシュプーゲルがあわてて、流れの外へと駆け出す。
ルクもそのあとへとつづく。
だけれどもクルセラの姿がありません。
それもそのはず、彼女は一足早くに氷のドームの中へと入ってしまっていたのですから。
「いかんっ、クルセラ、クルセラ」
「逃げて、クルセラ」
シュプーゲルとルクが大声をあげるも、見る間に砂に運ばれては遠ざかっていく氷のドーム。岸辺に結ばれていたロープをほどかれた小舟のように流されていく。
なまじ頑丈に造ったがゆえに防音も効いており聞こえていないのか、あるいは急に動き出して、内部にとり残された彼女は逃げることもままならないのかも。
クルセラの入った氷のドームは流れにのって、どんどんと加速していき、渦の中央へと向かっていく。
そこに到達したらどうなるのかなんて、考えたくもありません。
ルクが水色オオカミのチカラをふるって、どうにか事態を打開しようとした矢先、いまや激流と化しつつある流砂に飛び込んだのはシュプーゲル。
流れにのって猛然と氷のドームへと向かって泳ぎだす。
冷静なはずの彼にしては、あと先を考えない行動。
でもこうなってはもはやのんびりとはしていられません。
「ええい、ままよっ!」
ルクも勢いよく流砂へと飛び込みました。
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