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015 ライユウ
しおりを挟む左側は切り立った崖。
深い谷がうねるヘビのように奥へとのびている。
右側は急な斜面となっている。
道幅は荷馬車が一台ぎりぎり通れるほどしかない。
ときおり右側から小石がパラパラと落ちてくるたびに、ピタリと動きを止める一行。
すぐさま山肌の上を警戒し、より大きな落石などに注意を払う。
十分に安全が確認できたところでふたたび動き出し、静かに先を急ぐ。
快適な旅は国境の砦バイスーダまでであった。
険しい道ゆえに、同行していた荷馬車やウマたちとは砦でお別れ。以降は騎竜のみによる移動となる。
寝泊りは組み立て式の天幕から、中継所として各地に設けられてある小屋や横穴にかわり、寝台は寝袋と呼ばれるモノにかわり、食事の大部分が携帯食になった。
進むほどに傾斜が厳しくなる。
雪の姿も目立つようになった。
谷底から吹き突けてくる風も、より冷たく強くなる。
小柄で軽いわたしは二度ばかし強風にあおられて、シルラさんが手綱を握る黒い騎竜の上から危うく落ちそうになった。
こんな場所ゆえに勇者のつるぎミヤビに乗って、ビューンなんてデキるわけもなく、わたしはモコモコの着物にくるまれ、シルラさんの懐でじっとしているばかり。
クンロン山脈を突っ切るように進む難路とは聞かされていたが、まさかこれほどとは……。
◇
過酷な強行軍も早や六日目。
途中、道が岩やら土砂にてふさがれていたものの、わたしがミヤビとアンに頼んでサクサク除去したので、難なくこれを通過。
洞穴を利用した中継所にて夜を迎える。
入り口はまるで地獄へと通じるような暗い穴だったのに、奥に入ってみたらびっくり。
職人の手による細工が随所に施された、美麗な石造りの内装となっていた。
壁には見事な浮き彫り。なにやら見たことがないケモノだか禍獣の姿があった。
わたしがしげしげ眺めていたら、シルラさんが「これはライユウだ」と教えてくれた。
ライユウ。
クンロン山脈一帯に生息するユキヒョウの銀禍獣。
美しい白銀の毛に長い尾。瞳が金色をした大きなネコのような容姿をしている。
性格をひと言であらわせば「気まぐれ」に尽きる。
雪山を走り回っていたかとおもえば、人里にひょっこりあらわれたり、民家の屋根の上で大アクビをしていたかとおもえば、首都ヨターリーにある王城内を悠然と闊歩していたりする。
知能は高いが言葉は発せず。
人間に迎合することもなく自由に生きている。
しかし銀級の禍獣であるからして強い。
いらぬちょっかいを出せば、たちまち牙と爪の餌食となる。
闇の中を音もなく駆ける姿は、嵐の夜に閃くイナズマのごとし。
チカラを持つがやたらとこれをふるわず、何者にもなびくことはない。
天と地の狭間にあるは、ただ我のみといわんばかり。
そんなライユウをパオプの国の人たちはとても愛している。
武に生きる者は、その強さ、孤高の生き方に。
モノづくりに生きる者は、生き物として完成されたその美に。
各々の立場で日々を懸命に生きる者たちは、憧憬を抱かずにはいられない。
自分もあのように生きられたら、と。
パオプの民にとって、地の神トホテが崇拝の対象ならば、ライユウは敬愛の対象なのである
「とはいえ、めったに人前には姿を見せないがな。もしもその姿を拝めたら大いなる幸運が訪れると言われている」
そんな言葉でもって、ライユウの説明を終えたシルラさん。
ところかわればではないが、世の中には自分が知らないことがまだまだいっぱい。
これを実地で学び、わたしはまた一歩、ステキにムテキな大人の女へと近づいた。
話しついでに天候に恵まれたこともあって、予定よりも早く難路を超えて人里に出られそうだと教えてもらい、この日は就寝。
この頃になると山に囲まれた環境にもすっかり慣れ、思いのほかに寝袋が気にいっていたわたし。このミノムシっぽい狭さが妙に落ちつく。
ときおり吹く轟々という風鳴りも気にせず、すぴーと熟睡。
◇
忍び寄る冷気が頬をそっと撫でる。
目を覚ませばすでに夜が明けていた。
寝袋の中からもぞもぞと抜け出し、まだ寝ているみんなを起こさないように、つま先歩きにてコソコソ外へ。
「ふぅ」
吐き出した息が白い。
ほとんど無風状態にて、空は快晴。
朝陽に照らされほんのり紅色の山肌。それが次第に輝きを増していく。
大自然の勇壮な景色に、しばし目がクギづけ。
同じ空の下だというのに、ちょっと国境をまたいだだけで、世界はまるでちがう顔を見せる。
当たり前といえば当たり前のことだけど、それがわたしにはたまらなくふしぎに感じてしまう。そしてワクワクしてくる。
そんなことを考えていたら、身につけた帯革にいるミヤビとアンが同時にビクリ。
「どうかしたの?」
たずねようとした矢先、わたしは彼女たちの反応の理由を知る。
少し離れた雪の斜面。
突き出た大岩の上にソレはいた。
「えっ! もしかして、ライユウなの」
昨夜、シルラさんから教わったまんまの容姿。
かぎりなく白に近い銀色の体毛が、周囲の雪よりもなお白い。
金色の双眸がじーっとわたしを見ている。
うっかり目を合わせてしまい、わたしは固まってしまった。
ケモノや禍獣などの野生たちは、人間よりもはるかに多くの情報を目から汲み取る。
敵意、害意、敬意、親愛、恐れや怯え……。
それらを瞬時に読みとり反応する。
よくいわれているのが、「目をそらしてはいけない」ということ。
強きにこびへつらい、弱きをくじくのが野生の王国の掟。
うっかり視線をはずすとビビったと判断されて、あなどられるばかりか、最悪、襲われることも。
この場合の正解は、たぶん目を離すことなくゆっくりと後退して遠ざかる。背中は見せない。
でもわたしは動けない。
ライユウは背中を反るように、ひとつ大きく伸びをしてから、「くわ」とあくびをし、ぴょんと大岩から飛び降りると、そのままこちらへと向かってきた。
大きなネコのようなカラダで雪の上を歩いているというのに、足跡が一切つかないことにわたしは目を見開く。
当然ながら雪を踏みしめる音もしない。
その歩みはまさしく無音。
逃げることもままならない剣の母の身を案じて、「ここはわたくしが」「……殺る」などとミヤビとアンが騒ぎ出すも、わたしは「それはダメ」と制する。
だってライユウはこの国にとっては特別な存在。
そんな相手を害したら、きっととんでもないことになるもの。
とはいえ、なんら打開策もなく……。
ついに目の前にまでやってきたライユウ。
大きなネコといったけど、実際にはとってもとっても大きなネコだった。
ピンと立った耳、ろの字を右に倒したような口元、しっとり濡れた鼻先、そこからのびたヒゲ、ゆらゆら動く長い尻尾、なにもかもが白い。瞳だけが金色。
ライユウの顔がぬぅんとこちらに近づいてきた。
ガブリと味見でもされてしまうのかとわたしは身構えるも、そんなことはなく、されたのは頭をぐりぐり押しつけられただけ。
まるで撫でろといわんばかりの反応に、ついのびた手。
ライユウの毛は新雪のようにふわっふわで、赤ちゃんの産毛のようにさらっさらだった。
冗談抜きにして、あまりの心地よさに腰を抜かしそうになる。
気づけば、わたしは両手でライユウの頭から首まわり、背中なんかを撫でまわし、ついには調子に乗って抱きついたりもした。
そして心の中で叫ぶ。「この子、おうちに連れて帰るのーっ!」と。
けれどもそんな至福の時間は、すぐに終わる。
「チヨコ、どこ行ったー」とのシルラさんの声。
どうやら目を覚ましたらわたしの姿が寝床になく、待てどもちっとも帰ってこないから、心配になって様子を見に来たらしい。
シルラさんの姿が洞穴の奥よりあらわれる少し前に、ひらりと身をひるがし、その場を離れたライユウ。
あっという間に雪山の彼方へと消えてしまった。
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