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月芝

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037 赤い海

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 地の底へと通じている大縦穴。
 うねうねと幾重にも折れ曲がる坂をひたすら降りてゆく。
 自然の造形を活かしつつ、要所要所に人の手が入っているから、どうにか歩けるものの、それとてもけっして楽な道ではない。ときには崖に張りつくようなかっこうにて、横歩きを強いられたり、岩のでこぼこに手足をかけて慎重に降りる必要すらあった。
 下へと近づくほどに、視界の赤さが増し、熱気も強くなってゆく。
 流れ出る汗の量が尋常ではない。
 濡れた衣服が肌にまとわりついて動きの邪魔をする。

 どうにか降りきったときには、わたしはカラダをくの字にして、ゼエゼエ肩で息をしている始末。
 シルラさんをはじめとする隊員らは、さすがに日頃から鍛えているだけあって、そんな無様な姿はさらさない。それでも疲労の色はちらちら見え隠れはしていたけれども。
 わたしは背負い袋から水筒をとりだしグビリとひと口。
 そのまま水筒をシルラさんに差し出すと「ありがとう」と受け取って、彼女もノドをうるおす。
 休憩をとりつつ、調査隊はその時が来るのを待つ。

 灼熱の赤い海が割れる。
 といえば、なにやら壮絶な光景を想像するかもしれないが、実際のそれはとても静かな現象であった。
 赤いドロドロがゆっくりゆっくりと減っていく。
 そしてあらわとなるのが奥へと真っ直ぐにのびた一本の道。
 まるで赤い海を二つに分ける境界線のよう。
 これこそが炎路と呼ばれる道。
 炎路は出現当初こそは溶けた鉄のような色味であったのに、しばらく待つうちにどんどんと黒が増して、じきにほとんどの赤が姿を消した。
 これを見届けてから、シルラさんが首筋の汗を手でぬぐい、その腕をブンとふる。
 ひょうしに指先を伝って汗の粒が足下に飛び散り「ジュッ」と音を立てた。

「そろそろいいか。よし、行くぞ」

 シルラさんの号令により、調査隊は動き出す。
 目指すは炎路の終わり、祭壇が設置された離れ小島である。

  ◇

 炎路はこれまでの悪路がウソのように、表面が滑らかにて快適な場所であった。
 ずっと燃えさかる炉の中のような赤い海の底にあるうちに、何度も溶けては固まるをくり返し、自然とこうなったらしい。
 わたしが物珍しげにキョロキョロしていると、並んで歩くシルラさんが言った。

「技術のパオプ国とか言われているが、しょせんは神々と大自然の手の平にてはしゃいでいる、子どもみたいなものさ」

 知的好奇心の赴くままに突き進むものの、より深く知れば知るほどに、わからないこともまた増えていく。

「我らの行き着く先は、この赤い海みたいなところなんじゃないかなぁ」

 どこか寂しげなシルラさんの物言いに、わたしはドキリとさせられる。
 彼女がどういった意図でそんな言葉を口にしたのかはわからない。
 でも、なんとなくだが言いたいことは理解できる。
 過ぎたるはなんとやら。熱意や情熱、あるいは執着は時として身を滅ぼす。何ごともほどほどが丁度いい。けれども、それこそがムズカシイ。

  ◇

 テクテクと歩き続けていると、視線の先に目的地である離れ小島が見えてきた。
 ようやくかと安堵したのも束の間、ふいにわたしの行く手を遮ったのはシルラさんの腕。
 見上げれば、いつになく険しい横顔の女武官。
 向けられた視線の先には、例の小島があるのだけれども、そこには複数の人影。
 それらを率いているであろう初老の人物を前にして、シルラさんがいっそうの警戒を強める。

「フーグ……。なぜきさまがそこにいる? いや、それよりもいったいどうやって、私たちより先にその場所へたどりつけた?」

 炎路は一本道につき、追い抜くことは不可能。
 槍の穂先を向けられたフーグが「ごきげんよう、シルラさま」と慇懃な挨拶をする。

「たしかにパオプ国の技術と知識はすばらしい。目を見張るものがある。ですが、世界は広いのですよ。自分の生まれは海の彼方の山に囲まれた小国でして。ここの地形によく似た場所がありましてね。おかげで、ほら、こうして皆さま方の先を抑えることにも成功したわけです」

 フーグが両腕を持ちあげてみせる。
 すると両脇にバサリと広がったのは、船の帆のような布地。
 それを見て「凧みたいなものか」とつぶやいたシルラさん。表情をいっそう険しくし、吐き捨てるように言った。「きさま、正気か? いかに空を駆る術だとて、誤ればただではすまないはずだ」

 周囲は鉄や岩をもドロドロに溶かす赤い海。
 いかに熱風にはこと欠かないとはいえ、崖から飛び出し、これを利用して超えるだなんて、ムチャにもほどがある。ほとんど自殺行為。

「ええ、気の毒なことに二名ばかり部下が犠牲になってしまいました。ですが、そのかいあってこのように挟撃に成功したわけでして、はい」

 挟撃というフーグの言葉に、ハッとしたシルラさん。
 だが少々遅きに失する。
 あわててふり返ったわたしたちが目にしたのは、本性をあらわしたサガン率いる隊員たち。その全員がすでに臨戦態勢を整えている。
 対象はもちろんフーグではない。
 獅族(シゾク)のみならず、調査隊の丸ごとがグルだったということに、わたしは唖然。

「どういうことだっ! 兄上っ」

 怒号まじりに叫ぶシルラさん。
 髪を逆立て猛り狂う妹をなだめるかのように、兄であるサガンは静かに告げた。

「どうもこうもない。いろいろあってこういう仕儀になっただけのこと。いささか予定が狂って計画が前倒しとなったが、もはや雌雄は決した。だからおとなしくしていろ。けっして悪いようにはせぬ。兄を信じよ。それに頃合いにて、じきにあちらでも片がつくはずだ」

 よもやの身内の裏切り。多勢に無勢にて退路もすでに断たれた。
 絶対絶命の状況に、女武官はギリリと奥歯を噛みしめる。


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