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042 定義

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「このよろずめの呪槍は我が妻や娘たち、数多の女たちの墓標でもあるのだ。こうやって使用されることで、宿りし魂は役目を終えて少しずつなりとも解放されてゆく」

 壮絶な半生を送ってきた男、フーグはそんな言葉でもって昔話を終える。
 わたしは圧倒された。
 いや、わたしだけではない、シルラさんやサガンが率いる連中もまた同じ。
 世界のどこかでは、つねに争いが起こっていることは知っている。
 戦いがある以上は、勝者と敗者が発生することも理解している。
 敗れた側が悲惨な末路を辿ることも、おぼろげながらに承知していた。
 ずっと規模は小さいものの、辺境の暮らしだってところどころにて命懸けだ。だから生者と死者の間を分かつ溝の深さはわかっていたつもりであった。
 けれども、それはどこまでも「つもり」であって、しんからではない。
 だから口が裂けても「あなたの気持ちはわかる」なんて言えやしない。
 わかったことといったら、フーグがとても怒っているということ。
 自分たちを裏切った祖国にも、その裏切りの上に安寧を手に入れた民衆にも、己が悪趣味のために女たちを犠牲にした第四王子にも、数多の国々を蹂躙しいまなお不幸をまき散らしている帝国にも、それを内側からぶっ壊すと宣言している第十三王女にすらも……。
 いや、おそらくはこんな状況を受け入れるしかない、無力な自分にこそ一番腹を立てているのだろう。
 その憎しみの炎をとどまることを知らず、この世のあらゆるものへと向けれられている。
 黙り込んでうつむくばかりのわたしに、フーグがやさしげな声音で語りかける。

「だからきみにこれを抜かれては困るのだ。死んでいったかわいそうな女たちのためにも、いましばらくは、そっとしておいてくれないかね?」
「……でも、放っておいたらパオプ国のみんなが、それにこの大陸の人たちだって」
「あぁ、そうだな。でも、すべての元凶である帝国を滅ぼすためには必要なことなのだ。我が主人である第十三王女は着実にチカラをつけており、覇権へと手が届く位置にある。だがまだ足りぬ。すべてを破壊し尽くすには、まだ足りぬのだ」

 憎い帝国を滅ぼすために、目をつむれ。
 大いなる邪悪を倒すためには、多少の犠牲は必要。
 さっきからフーグはそれに等しいことを口にしている。
 はっきり言ってムチャクチャである。
 その論理は、まるで手前勝手な帝国の考えそのものではないか。
 だというのに、これを平然と語るフーグは自分の言動の矛盾に気づいていないのか?
 いや、気づいてはいるのに知らないふりをしているのか?

「剣の母の天命を受けし運命の子、チヨコよ。きみが産み出す天剣(アマノツルギ)は、世に邪悪があふれ災いがはびこるとき、地上へと神がつかわすモノ。
 ならばその邪悪と闘う我らの手にこそふさわしいとは思わないか?
 ゆえにあらためて頼む。
 どうか我らにチカラを貸してほしい」

 フーグの言葉に、ほんの一瞬だが「そうかも」と納得しかける自分がいたことは否定しない。
 話を聞く限り、これまで自分の目で見聞きしてきたことなども加味すれば、帝国がとんでもなく迷惑な存在であることも認めざるをえない。でも、でも……。
 わたしは静かに首をよこにふる。

「あなたの境遇には同情する。帝国もろくなもんじゃない。でもね、たぶん、ちがうんだよ」
「なにがちがうというのだ!」
「これは、まえにうちの里の神父さまが言ってたんだけど。神さまってのはさぁ、基本的には与えるだけなんだって」

 様々な恩恵を大地やそこに生きるすべてのモノたちに与える。
 神の前ではすべての生命が等しく、尊い生命である。
 もちろんいくら神々だとて、いろんな考えの持ち主がいるから、なかには人間をヒイキしてくれる神さまもいる。
 けれども、それとても、やはり基本はあんまり変わらない。
 恵み、与え、授けはするけれども、そこから先はこちら次第。
 親が子どもにお小遣いを渡して使い方には一切関与しない。そんな感じ。

「だからわたしはこう考えているの。神さまの定義する邪悪と、人のそれとはまるで別物なんじゃないのかしらって」

 神々が創造した世界に仇なす存在。それこそが天剣(アマノツルギ)が対峙すべき邪悪であって、人間同士の争いなんて、極端な話どうでもいい。
 結果、滅びてしまうのならば、しょせんはその程度の生き物だということ。
 この自論を展開しつつ、わたしは帯革より白銀のスコップと漆黒の草刈り鎌を取りだす。

「そんなわけで、フーグさんの頼みはきけないよ。そしてわたしは辺境育ちの農家の小娘に過ぎないから、大局がどうのとか、国がどうしたとかいう壮大な話にも興味がない。
 だからあなたがないがしろにして、切り捨てようとしている、目の前の小事にこそこだわる」

 そこまで淡々と述べてから、大きく息を吸い込む。
 とたんに肺の中に赤い海に漂う熱気が流れ込んできて、カッと熱くなるも、いまはその熱量がなんだか心強く感じられる。
 これに勇気をもらったわたしは声を張り上げた。

「ふざけんじゃねーっ! 小さな女の子を悲しませて、なぁーにが大義だっ! そんなもんクソくらえ! わたしの知ったこっちゃねーや、バーカバーカ!」

 叫ぶなりわたしはシュタタと駆けだす。
 向かうは、よろずめの呪槍が突き刺さっている祭壇。
 させじと立ち塞がるフーグの股下を、勢いのままにつま先から滑り抜けて突破。
 まんまと槍の根元まで来たところで、わたしは白銀のスコップをざくり。


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