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第八の怪 地獄谷峠のオオカミ その五
しおりを挟む峠のドライブインの隅にてひっそりと佇む小さな社、その脇に設置されているのは社の由緒について記された看板である。
看板を読み終えた明智麟は「へえ、こんな話があったんだ……すぐ隣の町のことなのに、ちっとも知らなかった」とフムフム感心する。
すると、いつの間にやら隣にきては一緒になって看板に目を通していた松永美空が言った。
「そんなものよ、リンちゃん。わざわざ自分の住んでいる町のこととか、近隣のことを熱心に調べるなんてこと、ふつうはしないもの。それに……」
インターネットはたしかに便利、たいていのことは検索すれば、答えを知ることができる。
だからとて、それがすべてではない。
ここの由緒みたいに現実に埋もれて世にまだ出ていない、とりこぼされた情報もたくさんある。
ネットは広大な情報の海だが、さりとてそれもまたさらに大きな世界という海の中のひとつにすぎない。
美空が麟にそのような話をしていたら、向こうの方を見に行っていた里見翔が「おーい」と手を振ってきた。
どうやらハイキングコースの入り口を見つけたようだ。
「はやく行こうぜ」
翔が急き立てるもので、社と由緒について書かれた看板をデジカメで撮影してから、彼のいる方へとふたりは小走りに向かった。
◇
地獄谷峠から麓へと下っていくハイキングコース。
傾斜はそこそこあり、地面もでこぼこしている。ところどころ道を横断するようにして太い木の根が露出しているから、足をひっかけて転ばないによう注意が必要だ。
だが、段差のキツイ難所には木材で階段が組まれており、歩きやすいように配慮がなされている。転げ落ちたら危ない箇所には杭とロープで柵が設けられており、ところどころ注意を促す看板もあるから、よほどぼんやりしていないかぎりは安全に歩くことができるだろう。
――それにしても土と緑の薫りが濃い。
木漏れ日のスポットライトを浴びつつ、深緑の中を進む。
進むほどに木々が密度を増していき、空が遠くなった。
ときおり吹く山間(やまあい)の風がちょっとひんやりしており、火照った体には心地いい。
いまはハイキングを楽しむ人たちの姿が前後にあるので、とくに危険は感じない。
けれども誰もいない夜の山道を想像すると、麟はたちまち心細くなったもので、並んで歩く美空と少しだけ距離を詰めた。
そんなふたりの前をずんずん翔が行く。
力強い足取りにて「らくちん、らくちん」と余裕顔だが、そんな翔に美空が「先輩、あとでへばっても知りませんよ」と忠告するも、翔はどこ吹く風だ。
逆に「あんまりちんたら歩いていたら、おいていくぞ」なんぞと言うもので、これには美空は苦笑いにて、麟はちょっと呆れた。
◇
美空の叔父にあたる三好之徳が職務中に、不思議なオオカミを見かけたという地点は、山の中腹辺りである。
ハイキングコースとは隣接しており、公道と行き来できるようになっているポイントが付近にあるから、そこから現場に乗り込む。
はずであったのだけれども……
「ぜぇ、ふぅ、ぜぇ、ふぅ」
肩で息をしていたのは翔である。はやくも全身汗だくにて膝が震えている。
もともとインドア派のくせして、後輩の忠告を右から左へと聞き流した罰がさっそく当たった。
山での下り道は足への負担が大きい。スイスイ進むからと勢いにまかせて進むのではなくて、歩幅を小さくしては逆に少しペースを落とすぐらいがちょうどいい。
なのに翔は大股にてずんずん、ずんずん……これでは膝への負担が半端ない。ずっとハーフスクワットの筋トレをしていたようなもの。そりゃあ膝も震えるというもの。
「だから言ったのに」
美空から白い目を向けられ、翔はぐぬぬを歯噛みし、そんなふたりに挟まれて麟はおろおろ。
とはいえ、このままだと先がおもいやられるので、少々予定を早めて一行は休憩がてらお弁当を広げることにする。
四年生コンビが道端の岩に腰かけお弁当を食べていると、はやくも食べ終えた翔が「ちょっと用を足してくる」と姿を消した。
かとおもえば、すぐに戻ってきたものの、えらく興奮している。
「松永、明智、ちょ、ちょっと来てくれ! あっちでへんなものを見つけた。もしかしたらアレってそうじゃないのか!」
適当なところで、斜面の下へと向かってチョロロと用を足していた翔であったが、ふと視線を向けた先にて、半ば地面に埋もれている箱のような不審物を発見する。
けっこう大きい。小型の冷蔵庫ぐらいもあろうか。
当初、翔は「うわ、不法投棄かよ。山にゴミを捨てるとか、何を考えているんだろうねえ。あーヤダヤダ」と顔をしかめつつ、見て見ぬふりをしようとした。
けれども、やっぱり気になったもので、自分のスマートフォンで撮影しておくことにする。
あとで役所に報せるなり、今回の記事に環境問題を絡めるなりすればいい。だから念のために押さえておくことにした。
だが、いざ撮影しようとズーム機能を使って、箱の姿を拡大表示したところで、たいそう驚いた。
なぜなら、さっき後輩ふたりから聞かされた犬子母神の社の話に登場した、石櫃とやらにとても似ているとおもったから。
それで慌ててふたりを呼びに行ったという次第であった。
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