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031 さおだちの沼
しおりを挟む桐谷陽太のオートバイはキーを差したままで停めてあった。
とはいえ健斗はバイクの免許はもっていない。スクーターならばともかく、大型となると扱いがわからない。しょうがないので押して運ぶことにする。
家のところまで戻ってきたところで、健斗は力尽きた。へとへとにて全身汗だく、どっと疲労が押し寄せたもので、玄関へと通じる石段をあがるのも億劫なほど。
健斗は「ふぅ」と吐息を零すと、石段にどっかと腰を下ろし、うな垂れ目を閉じる。
◇
奇妙な夢を見た――
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
額に浮かぶ汗をぬぐい、懸命に歩き続けていたのは修験者である。
旅の途中、険しい山越えを敢行するも、山怪に惑わされて、山中を彷徨うこと三日目、「これも修行だ」と己を鼓舞しつつ足を動かしていたのが、いよいよ限界を迎えつつあった。
そんな時のこと、夜陰の奥に見えたのは家の灯りである。
「おぉ、ありがたい。これぞ天の助けだ」
修験者は神仏に深く感謝しつつ、その灯りを目指す。
そうして辿り着いたのは、山間部にぽつんと建つ一軒家であった。立派な藁ぶき屋根にて、庄屋の家のよう。
さっそく戸を叩き修験者が一夜の宿を請うと、出迎えてくれたのは美しい母娘のふたりである。
女所帯ゆえに断られるかもとおもったのだが、予想に反して快く招き入れてくれた。
ささやかながらも温もりのある歓待を受け、すっかり腹もくちた修験者は、疲れもあって早々にあてがわれた部屋にて床につく。
一時(ひととき・約二時間)ほども過ぎた頃であろうか。
修験者は尿意にて目を覚まし、もそもそ寝床より起きた。
厠から部屋へと戻る途中のこと。
どこぞより聞こえてきたのは、ぼそぼそという話し声。
ひとりやふたりじゃない。もっと大勢いる。
でも、それはいささかおかしなことだ。なにせこの家にはいま母娘しかいないと、修験者は聞かされていたからである。
「こんな夜更けに会合でもあるまい。さては、それがしが眠りこけているうちに、出かけていた家の男衆が帰ってきたのかもしれん。だとすればお礼がてら挨拶をしておくべきだろう」
修験者は声がする方へと向かった。
廊下を渡って近づくほどに、聞こえてくる声が大きくなっていく。
おかげで、ぽつぽつと会話の端々が聞き取れるようになってきたのだが……
「縛る」「一服盛る」「生きたまま」「殺して」「念のために足を」なんぞという物騒な文言がずらずらと。
これを耳して修験者は青くなった。
「さては、ここは山賊の住処であったか!」
家の者たちはおそらくどこぞに身を潜めていたのであろう。それが雁首揃えて相談していたのは、間抜けにも自分から飛び込んできた獲物を仕留める算段に違いあるまい。
身の危険を感じた修験者はすぐにきびすを返す。
けれども気が急いたせいで、うっかり床を踏む足に力を込めてしまった。
ぎしり――
廊下が鳴く。
とたんに、話し声がぴたりと止んだ。
………
………
………
不気味な沈黙が流れる。
修験者がじりじりと後退っていると、声がしていた部屋の障子戸がわずかに開く。
一寸ほどの隙間から白い女の手がすぅとあらわれ、戸の縁に細い指をかけた。立てた爪が桟に食い込む。きぃと耳障りな音がした。
血の気のない青白い指先はまるで死人のよう。
隙間の奥の暗闇に、いくつもの瞳が薄ぼんやりと浮かんでいた。
それらの目がじっと注がれているのが己だとわかった瞬間、修験者は脱兎のごとく駆け出していた
急ぎ部屋に戻って旅道具一式が入っている笈箱(おいはこ)と、錫杖を引っ掴むなり、修験者は縁側から飛び出し、屋敷から逃げた。
ちらりとふり返れば、追いかけてくる複数の気配がする。
修験者は無我夢中にて駆けに駆けた。
だが、悲しいかな。土地勘がない。この一帯は山間部の狭間にて、外界へと通じている道は一本しかなく、あとは峻険の獣道しかないことを知らなかった。たちまち追い詰められることになる。
右も左もわからない暗闇の中を逃げ惑ううちに、辿り着いたのは沼のほとりであった。
追手はすぐ背後にまで迫っている。迂回している時間はない。
ならばと意を決した修験者は荷物をかなぐり捨てて、身一つにて沼へ飛び込んだ。泳ぎは達者であったので、沼を真っ直ぐに突っ切って災禍から逃がれようとしたのである。
だがしかし……
ちょうど沼の真ん中辺りへと差し掛かったところで、急に何かに足をとられた。
水草でも絡まったのかと修験者はおもったのだけれども。
「ひっ」
得体の知れない何かが自分の足首を掴んでいる。
ばかりか、ぐいぐいと引っ張っているではないか。
このままでは水底に引きずり込まれてしまう!
そこで修験者は懐にしのばせてあった小刀を抜き、「えいや!」と相手に斬りつけた。
ばしゃ、ばしゃ、ばしゃ……ばっ…………
争う音がじきに聞こえなくなった。
激しく波打っていた水面も鎮まり、じきに波紋も消えた。
◇
「健斗くん、健斗くん」
名前を呼ばれ、肩を揺すられる。
はっと瞼を開ければ、心配そうな顔をしている阿刀田さんがいた。
陽はとっくに傾いていた。空気がひやりとしており、体の節々が強張っている。
ほんの少し休憩するつもりだったのが、おもいのほか長々と寝入ってしまっていたようだ。
「よかった……無事みたいですね。怪我はありませんか」
「ええ、おかげさまで」
健斗はかいつまんで陽太のことを説明しがてら、バイクの処分について相談する。
すると阿刀田さんは少し思案してから「いま外はちょっとした騒ぎになっています。あの男のバイクを下手に持ち出すと、いらぬ面倒を招きかねません。よし、あそこに沈めてしまいましょう」と言った。
沈める……ここは深山の地なのに?
健斗が首を傾げていると阿刀田さんは「さおだちの沼ですよ」と、畏御山とは逆の方を指差す。
そちらには祝い山があり、大きな馬が棹立ちになってもまったく届かないほど深い沼がある。いつの頃からか三峯の家の者たちがそう呼んでいた。
それは、ついいましがた見た夢と同じ場所――
健斗は驚きのあまり大きく目を見開き、ひゅっと息を吸った。
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