白き疑似餌に耽溺す

月芝

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042 猿芝居、第一幕 警鐘

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 間口のある玄関は、立派な屋敷にふさわしい造りである。
 お邪魔する際にちらりと目に入ったのは、来客の邪魔にならぬようにと隅に避けてあった家主の履物ら。
 サンダルやスニーカーなどに混じっていた黒い革靴……ハイブランドの品だ。
 靴を見ればその人物のことがわかる。
 と、ビジネス本などによく書かれてある。
 理由は個性が出やすく、靴の状況で生活や性格がわかるから。
 価値観や好み、経済状況などがよく反映されるのが靴である。
 あのピカピカの革靴、おそらくはよそゆきなのだろうが、それを無造作に玄関先に置いてあることからして、獲物の懐具合は想像以上に潤っているとみてまず間違いあるまい。
 これはかなり期待できる。頼人はつい顔がにやけそうになったもので、慌てて引き締めた。

 玄関から奥へとのびる廊下、その半分ほどまで進むと右側にドアがあって、これを開けると洋室になっていた。
 一人掛けのアームチェアが二脚、三人掛けのソファーにテーブル、応接家具一式が置かれた部屋にて、広さも申し分ない。
 ここが健斗が本日の取材のために提供してくれた場所であった。
 高そうな家具にふかふかの敷物。豪奢な内装を前にして季実子は、ますます上機嫌となっていたが、頼人は密かに「やはりな」と落胆していた。
 案内された部屋は玄関に一番近い客間だ。
 それすなわち、家主が客を奥に入れたくないという意志のあらわれ。廊下を挟んだ向かい側にある座敷の方に通さないのは、あちらだと完全に腰を落ち着けることになるからだろう。

 自分たちは歓迎されていない。
 それどころか警戒されている。
 頼人がこれまで何度も危ない橋を渡ってきたのは伊達ではない。
 相手の心理、かけ引き、周囲の状況、押さえるべき勘所、越えてはならない一線の見極め……。
 過去の失敗や成功体験から学んだのは、自分なりの線引きを守ること。
 強請りたかりは、単にネタを掴んで脅迫し、金を出させればいいというものではない。
 緩急をつけ、相手を翻弄し、適度に追い詰める。さりとて無理をさせ過ぎない。ぎりぎりの線を責める。安易に欲張らず、着実に絞り取れるだけの額を算出して、確実に手に入れる。何度も繰り返すような真似は、絶対にしない。
 味をしめてだらだらと長引かせるのは、相手の叛意を招き自棄を起こさせ、己の身を危険にさらすことになるからだ。
 その点、一回でスパッと取引を完了すれば、互いに後腐れなくて済む。
 そして約束はきちんと守る。
 変な話だが、悪事こそ仁義を通さなければならない。
 破れば、たちまち信用を失い、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。

 化粧直しに余念のない季実子を横目に、頼人はてきぱき指示を出す。いちおうはルポライターの肩書を持っているので、取材の段取りなどには精通している。
 言われるがままに連れてきた贋スタッフたちがのそのそ動き、機材を洋室に持ち込み体裁を整えていく。
 照明をセッティングし、カメラを用意し、撮影アングルなどを確認していると……

「ところでみなさん、お昼はどうされましたか? お寿司を頼んだのでよろしければどうぞ」

 ひょっこり顔を出した健斗に誘われて、頼人は逡巡する。
 来る途中にコンビニにトイレ休憩がてら寄ったときに、軽食はすませてきた。
 この仕事の時には、先方で出された飲食には一切手をつけないのが頼人の流儀である。何が入っているのかわかったものではない。リスクは犯せない。獲物がみんな怯えて従順なわけではないのだ。特に愛想のいい獲物ほど注意する必要がある。
 だから頼人は時間が押しているとの言い訳にて、「せっかくですが」と断ろうとするも、それよりも先に季実子が勝手に動いてしまった。

「えっ、お寿司があるの? 食べる食べる。健斗、気が利くじゃない。出来た息子を持って、お母さん幸せよ」

 昼食は廊下を挟んだ座敷に用意されており、季実子はさっさと行ってしまう。
 向こうから「うわっ、凄い。これって特上じゃないの。それがこんなに、たくさん!」という季実子のはしゃぎ声。
 それを受けて他の連中まで、ぞろぞろと座敷に向かったもので、残された頼人は「あのバカ女が」と悪態をついた。

  ◇

 丸い寿司桶、中には色とりどりのネタの寿司たちが、整然と並んでいる。
 大きい桶だ、ひとつで五人前はあろうか。そんな物がベッドほどもある座卓の上に五輪のマークのように所狭しと置かれていた。
 豪勢なもてなしである。健斗によれば地元の有名な寿司店に無理を言って、午前中に届けて貰ったんだとか。
 季実子は最初から遠慮することなくぱくついては「美味しい」と目を細めて、うっとりご満悦。
 はじめのうちこそ、遠慮がちに手をのばしていた他の連中も、食べ進めるほどに夢中になって、ただ黙々と口に寿司を運ぶばかり。

 実際、特上寿司はとても美味そうであった。
 見ているだけで涎が溢れてくる。
 だから、ついごくりと唾を呑み込むも、それでも頼人は頑なに手をつけようとはしなかった。

「すみません。ちょっとバスに酔ったみたいで食欲が」

 と誤魔化し、誘いを断った。
 本音を言えば食べたい。みなが恨めしい。
 だがここに来てからずっと何かが引っ掛かっている。
 何だ?
 自分はいったい何に強い違和感を覚えている?

 嘘くさい笑顔とおざなりの挨拶、どこか余所余所しい応対、漂う空気、ときおり会話中にぽつぽつと生じる奇妙な間、通された部屋は入り口近くのあの洋室。
 だというのに、この昼食の歓待ぶりはいったい――
 ひょっとしたら勘繰り過ぎたのかとも頼人はおもったが、一方で強い警鐘を鳴らしている自分がいる。
 頼人は「すみません、ちょっと一服してきます」と断わって、ひとり家の外へと出た。
 このままだと誘惑に負けてしまいそう。
 だから少し頭を冷やしがてら、考えを整理することにしたのだけれども、戻ってきた頼人は驚愕の光景を目の当たりにすることになる。


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