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043 猿芝居、第二幕 巨獣の口腔
しおりを挟む家の周辺を少しぶらつく。
怖いぐらいに綺麗な山の紅葉を眺めながら一服し終え、みなのところへと戻る。
玄関の上がり框に腰をおろし、頼人が靴の紐をほどいていたら、視界が一瞬だけチカリと明滅した。
玄関の軒先に設置されてあるセンサーライトが何かに反応したらしい。
「うん? こんな真っ昼間に……誤作動か」
ちょっと訝しむもそれだけであった。
そんなことよりも頼人が気になっていたのは、隅に置かれてあるハイブランドの革靴である。
一番安い物でも十五万ほど、高いのになると百万を超えるという。海外のセレブ御用達、世界的に有名な俳優やどこぞの王族、大統領とかも愛用している品。
とはいえである。頼人も欲しいかといえば微妙なところだ。
靴は持ち主の性格をあらわすとはよく言ったもので、頼人は酒やギャンブル以外では、擦り減る物にあまり金をかけたいとは思わない。どうにも物欲が刺激されない。これが高級腕時計や車などなら、まだわからなくもないのだけれども。
そんなやくたいもないことを考えつつ靴を脱ぎ、廊下へと足を踏み入れた頼人は直後にぞくり、ぶるりと肩を震わせた。
……
……
……
おかしい、変だ。
家の中がしぃんと静まり返っている。
コトリと物音ひとつしやしない。
異様な静けさ。ついさっきまでみんなで卓を囲んでは特上寿司に舌鼓を打ち、わいわい楽し気にしていたというのに。
人の温もり、そこにいるという気配がごっそり失せていた。
心なしか屋内の気温も下がっており、ぷつぷつと鳥肌が立つ。
瞬間、自分が大きな家の玄関先に立っているのではなくて、何か得体の知れない巨大な獣の口の中にいるかのような錯覚に襲われた。
頼人はたじろぐ。
もしも自分ひとりならば、いつもの頼人であったのならば、ここで一目散に逃げ出していたことであろう。
彼はそういった自分の勘を大事にしていた。
危機回避能力とでもいおうか。ケチな小悪党はちょっとぐらい臆病で用心深い方がいい。
だというのにすぐに逃げなかったのは、連れてきた人数のことが念頭にあったからだ。
自分と季実子、五人の撮影クルーたち。だいの大人が七人である。それに懐にはいざという時のために用意した物もある。
それらに勇気を得て頼人はぎりぎりのところで踏みとどまった。
そんな頼人の耳に微かに聞こえてきたのは「うぅ」という、いまにも消え入りそうな苦悶の声、おそらくは季実子が発したもの。
「――っ!」
衝動に突き動かされて廊下を進み、勢いのままに襖を開けた頼人は座敷内の惨状に絶句する。
自分の連れである六人の全員が、口から黄色い胃液や血泡を噴いて倒れていた。
うち季実子だけは目をむいて、キィキィ悶え苦しんでいたが、そんな彼女の背中を容赦なく踏みつけては冷笑を浮かべていたのは健斗である。
「おや、もう戻られたのですか佐々木さん? 早かったですね。ちょっと待っててください。じきに大人しくなるはずなので」
なんぞと平然と口にする。そんな健斗に頼人は戦慄を禁じ得ない。
健斗が季実子に対してけっしていい感情を持っていなかったことは、頼人にも薄々わかっていた。
だからとて、これほど苛烈な反発を示すとはおもわなかった。
いかに自分を捨てた女とはいえ、腐っても母親であろう。
それをこんな……
凄惨な現場を前にして頼人は呆然と立ち尽くすばかり。
そんな時のこと、うしろから何者かにいきなり肩に手を置かれたもので、頼人は飛び跳ねんばかりに驚いた。
ひぃひぃと這いつくばって頼人は少しでも距離を置こうとする。
涙目でふり返れば、そこに立っていたのは革手袋をつけたロマンスグレーの老紳士であった。
「阿刀田隆……あんたがどうして……っ! そうか、そいうことだったのかよ。いないというのは嘘っぱちだったんだな。それに玄関にあったあの靴も」
季実子と健斗。
生き別れた母と息子の再会という大切な日。
なのに、外せない用事が入って、急遽参加を見合わることになったという後見人。
まだ二十歳そこそこの若者の持ち物にしては、分不相応な革靴。
あれほど他者との接触に慎重であったというのに、とんとん拍子に進んだ嘘企画。
すべてはこちらを自分たちのテリトリーにおびき寄せて、罠にハメるため。
目的はもちろん山本季実子への復讐だろう。
にしても、そのためにここまでやるのか。関係のない者たちをも巻き込むだなんて……
「あんたら、正気かよ」
頼人が捻り出すかのようにつぶやけば、「どうかな?」「さて、どうでしょう?」
健斗と阿刀田はそろって自信なさげにコテンと小首を傾げた。
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