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268 ガラスの大竪穴

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 太陽の中心だけをもぎとったかのような、神々しいまでの光を放つ玉が浮かんでいた。
 光の玉は巨大な竪穴の中を、地の底へと向かって、ゆっくりと降りていく。
 岩肌が光を受けて、きらきらと虹のごとき輝きを放つ。
 滅びの宴によって深く抉れた地形。あまりの高温により周辺すべての表層がガラスと化していたのだ。
 圧倒的な破壊によって創り出された、幻想的な景色が地下深くへと続いている。
 光の玉の動きがふいに止まった。
 方向を変えて付近の岩の出っ張りへと向かう。
 そこにあったのは黒ずんだ男の人体らしき残骸と、仰向けに倒れている第九の聖騎士グリューネ。
 かつては数多の男どもを魅了し、振り向かせていたブルネットの髪はあらかた失われ、白磁のような肌も赤黒く焼けただれており、四肢の大半が炭化して崩れてしまっている。あれほどの美を誇った希代の悪女。その面影を残すのは右顔の目元付近のみ。彼女の蒼い目だけが闇の中に浮かんでいた。
 かろうじてまだ息はあるものの、いつ命が尽きてもおかしくないような状態。
 グリューネのすぐそばにて光の玉がはらりとほどけた。
 中からゼニスが姿をあらわす。玉のように見えていたのは、彼の身を覆っていた背中の六枚の光翼。

「ジョアンが身を呈したか」

 男の遺体を見つめながらゼニスがつぶやく。
 第八の聖騎士ジョアンは不可視の盾を持ち、防御に秀でていた。おそらくは限界をはるかに越えるチカラを酷使して、せめてグリューネだけでも守ろうとしたのだろう。だが結果は……。
 ゼニスは短い別れを済ますと、グリューネの身をそっと抱え上げる。

「苦しいだろうが、いま少しの辛抱ですよ」

 グリューネの蒼い目から涙がこぼれ落ちた。口を動かそうとするもうまくいかず、「ひゅぅ」という音がして空気が首横の傷口から抜けた。
 ふたたび降下を始めたゼニス。
 やがて地の底にて見えてきたのは、無数の小さな渦が寄り集まって出来た巨大な黒いドーム。
 ゼニスの翼がすべてを照らす日輪とするならば、眼下にあるのはすべてを飲み込む深淵。
 事実、上空より近づいてきた己を照らす光を飲み込むばかりか、周囲の空間をも歪ませている。
 黒いドームに向かってゼニスが声をかけた。

「ワルド、もうよい。術を解きなさい」

 しかしドームは変化することなく、中から返事もない。
 そこでゼニスが四枚の翼をのばし、黒いドームを撫でる。
 光翼が触れたはしから、黒の表面が消しゴムでこすられたかのようにして、消し崩れていく。
 黒いドームが取り払われて、姿を見せたのは「青い心臓」と「赤い心臓」と呼ばれる二つの石碑に、全身に巻かれた黒い包帯を脱ぎ、白い仮面をはずし素顔となっていた第三の聖騎士ワルド。
 だが様子がおかしい。
 目、耳、鼻、口、どころか全身の裂傷から血を流しており、意識はなく、どうして立ち続けていられるのかが、ふしぎなくらいの状況。
 ワルドもまたあの滅びの宴の中で、自身に課せられた「石碑を守れ」という命令に殉じていたのである。
 空間を収縮させることでブラックホールような力場を生み出せるワルドの能力。これを同時にいくつも展開させて、迫りくる脅威を亜空の彼方へそらし続けることで、どうにか職務を全うした。だが過ぎたチカラの行使は、そのまま己の身へと跳ね返る。
 外見こそは保っているが、こちらもまたグリューネと同様に、その命の火が尽きかけていた。

 ワルドの横を抜けて、ゼニスは「赤い心臓」の前に立つ。
 自身の腕の中にいるグリューネにやさしい声で話しかける。

「いままでありがとう。ゆっくりとお休みなさい」

 声をかけられたグリューネ。彼女の残された蒼い瞳が、じっとゼニスの顔を見つめていた。
 彼女の身をゼニスは「赤い心臓」へと押し付けるかのようにして、差し出す。
 するとグリューネのカラダがずぶずぶと真紅の石碑内へと沈んでいき、やがて完全に飲み込まれて消えてしまった。

「さて、お次は」と今度はワルドの身を同様に「青い心臓」へと預けてしまうゼニス。

 二つの石碑がドクンと脈打ち、赤と青の色味が増した。
 その様子に満足げに微笑んでから、地の底よりはるか上空を見上げた第一の聖騎士。
 ゼニスが言った。

「さぁ、最期の仕上げです。ずっとそこから見ていたのでしょう? リンネさん。どうかわたしと闘って下さい。でなければ、わたしはあなたの大切にしてる場所も、人たちも、何もかも、この女神イースクロアより授けられた光翼で消し去ってしまいますよ」



 宇宙戦艦「たまさぶろう」の艦橋に設置されたモニター越しに、一部始終を見ていたわたしは、ありえない光景の連続に理解が追いつかず「なんで、どうして」とつぶやくばかり。
 ルーシーすらもが「あれだけの猛攻をしのいだ? もしかしてあの翼を使って……、そんなバカな」と驚いていた。

 しばしの沈黙の後に「こうなったらいま一度、いいえ、今度は全軍をあげて」と言い出したのはルーシー。
 でも「それはダメ」と、わたしがとめた。

「なぜですか? あの男は危険です。勇者とも聖騎士とも異なっており、どうにも得体が知れません。ここは全力で当たるべきです」

 そう主張するルーシーに「だからこそダメなの!」とわたしは語気を強める。「あの光の翼はマジでやばい。なんかブラックホールみたいなのも容易く消しちゃっていたし。ヘタにみんなで仕掛けたりしたら、たぶんとんでもない数の犠牲がでる」
「ならば徹底的に遠距離攻撃で攻め続ければ」

 ルーシーのこの意見にもわたしは首を横にふる。

「それもダメ。たぶんさっきみたいにかき消されるだけだと思う。持久戦に持ち込めば勝てるかもしれないけれども、もしもどさくさに紛れて見失ったら、きっとたいへんなことになる。ルーシーも間近でアイツの目を見たでしょう? あいつはたぶんとっくに壊れている。女神さまだの世界のためだのというお題目や、自分の中の正義、価値観を絶対に信じてゆるがない狂人。散々に尽くしたグリューネの扱いですらもがアレだもの。あの男は殺るといったら必ず殺るよ」
「しかし! しかし!」

 なおも食い下がるルーシー。
 そんなお人形さんのカラダをひょいと担いだわたしは、自分の膝の上にそっとのせて彼女の耳元でささやく。

「わたしだったら健康スキルがある。万一、あの光の翼が効いて手足がもげたって板チョコをかじれば、すぐに復活できるから」
「それならばワタシたちだって、たとえ壊されたとしても再召喚してもらえれば、すぐに復活できます」

 そう反論するルーシーをわたしはギュッと抱きしめる。

「お願いだからそんな悲しいことは二度と言わないでちょうだい。わたしはあなたたちが壊されちゃうところなんて、絶対に見たくないもの。なぁに、本当にヤバくなったら恥じも外聞もなく逃げるし、みんなに『助けて―』って泣きつくから」
「……」
「だからルーシーやみんなには周囲の警戒を頼みたいの。たぶんバンバンぶっ放すことになる。とても周囲に気を配っている余裕もなさそうだし。流れ弾や余波なんかをうまくさばいてほしいの」

 背後から抱きしめたままお願いしたら、ルーシーが小さな声で「ずるいですよ、コレは」とぽつり。
 主従にてしばらくの間そうしていたら、ついにお人形さんが折れた。

「……わかりましたよ。ただしっ! 形勢が怪しくなったら問答無用で介入させてもらいますから」
「ありがとうね、ルーシー。それからたまさぶろうも、みんなのことをお願いね」

 艦橋席の肘掛けを撫でながらわたしが頼むと、たまさぶろうが大きな尾をビチビチ振った。


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