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第九話 お良
しおりを挟む「おや? どうしたのだろう」
京を発った鈍牛、安土へと向かって歩いていると、前方にてなにやら華のある集団が、荷車をかこんでいる姿が目に入る。どうやら旅芸人の一座のよう。
近寄ってみれば、車輪の片側がくぼ地にはまって、身動きがとれなくなっていた。
衣装や小道具が詰まった箱なんぞをたくさん積んでいるので、男たちが「うんしょ」と力を合わせるも、まるでビクともしやしない。
こうなってはいったん荷をほどいて、軽くしてから動かすしかない。
だがそれはたいそうな手間と時間がかかる。もたもたしていると陽が暮れてしまいかねない。
いかに治安が保たれているとはいえ不心得者がまったく出ないというわけではない。そんな連中からすれば、さぞや旨そうな獲物に見えることであろう。
そんなところへ唐突に現れた大柄な青年。
おもわずギョッとした面々をよそに、「どれ、ちょいとごめんよ」と鈍牛。かまわず車輪へととりつくと、これをひょいと持ち上げてみせたものだから、全員が目をむいておどろいた。
鈍牛はそのまま荷車を動かし、車輪を無事に抜け出させるも、その場で急にしゃがみこんでしまったものだから、ひょっとして無理をして腰でも痛めたのかと心配して「だいじょうぶか、おまえさん」と声をかけたのは一座を率いる男。
「あぁ、おらは平気だ。ただコレ」
鈍牛が指し示したのは車輪の留め金の一部。
釘が抜けてしまい、金具がぐらぐら。おそらくはくぼ地に落ちた拍子にこわれてしまったのだろう。
せっかく抜け出せたというのに、このままでは荷車は使えない。
次の宿場まで人を走らせて、職人を呼んできて修理をしてもらう間、ずっとここで足止めとなる。最悪、本当にここで夜を明かすなんてことも。
どうしたものかと、おもわず頭を抱えそうになった座長。
すると鈍牛、しげしげ眺めながら「これぐらいなら、なんとかなるかなぁ」とつぶやいたものだから、「是非に」と座長がわらにもすがる。
あくまで応急処置ということを念押しして、修理にとりかかる鈍牛。
鈍牛は、日頃からダメな叔父上の思いつきによる無理難題をこなしているうちに、自分でも気づかないうちに、たいていのことは出来るようになっていた。
料理に針仕事から帳簿書きの手伝いに土地などの計測、手紙の代筆、子守りから衣装の着付け、大工仕事までなんでもござれ。
忍びとしてはへっぽこならがも、雑役夫としてはきわめて優秀。
そこに剛力が加われば、どうなるのかというと……。
事故のせいで道端に抜け落ちていた釘を拾い、指先にて歪みをなおしてから、グイと新たに押し込んで金具をしっかりと固定してしまった。
道具もなしで、こともなげにそんなことをしてしまうものだから、座長は開いた口がふさがらない。
彼も旅芸人の一座を率いている者。これまでにも太い縄や鎖なんかをモノともしない剛力自慢な奴には何人か心当たりがある。しかし指先にて釘を押し込むなんて芸当は初めて目にした。
やっていることは地味だ。
だがそれゆえに見る者が見れば、その凄さ、難しさがわかるというもの。
小さな点に力を集約することは、並大抵のことではない。つまりこの青年は、男が数人がかりでもビクともしなかった荷車をたやすく動かすほどの剛力を、いざともなれば指先の一点にて集約できるということ。
それは剣の切っ先、槍の穂先、あるいは針の尖端にも等しい。いや、それ以上かもしれない。
この子はいったい……。それに何故、頭に猫をのせている?
感謝とはべつに疑念がむくむくとかま首をもたげてくるのを、抑えられない座長。どうにも好奇心の虫がうずく。
が、そのとき「ぐぅ」と鳴ったのは、青年のお腹。
その音のおおきなこと。まるで春のおとずれを告げる雷さまのごとし。
聞いたとたんに座長の中にてわいていた疑念が霧散する。なぜだか真面目に考えるのが阿呆らしくなったのだ。彼がどこの何者であろうとも、自分たちの困難を助けてくれたのにはかわりない。
くつくつ笑い出してしまった座長。
笑いながら「おい、お良。この子に何か食べさせてやってくれ」
言われて姿をあらわしたのは、すらりとした女人。
市女笠の薄布越しにのぞくは、切れ長にて涼やかな目元、右の瞳の下には泣きボクロ。大陸より渡ってきた高価な陶器のように滑らかでキメの細かい白い肌。
格好こそは控えめな旅装ながらも、絵から抜け出したかのような艶やかさは隠し切れていない。
「ほら、こっちへおいで」
美女に誘われて、差し出されたのは竹皮の包み。中には大きな握り飯が三つ入っており、鈍牛はありがたく頂戴することに。
いただきますと手を合わせてから、まずは茶トラの愛猫にわけてやる鈍牛。
なんとも仲睦まじい姿に、目を細めた女性。
「わたしはお良。この一座で舞なんぞをやっているもんさ。それにしても、あんた、たいした力持ちだねえ」
「おらは仁胡。まぁ、このとおり体だけはおおきいもんで。それよりもお良さんの方が、ずっとすごいと思う」
男から綺麗だと褒められることには、すっかり慣れていたお良。
だけれども芸を披露したわけでもないのに「すごい」と言われたのは初めて。
だからワケがわからずに小首を傾げていると、仁胡が「だって、あっという間にあんな強そうな男どもを二人も倒して」などと言い出したからたまらない。
「わっ! あんたっ、ちょっと待った!」
あわてて青年の口を手でふさいだお良。
なんだかどこかで見たようなとか思っていたら、まさかあのとき夜陰に紛れて仕事を見られた相手だったとは。しかもこちらが気づくよりもさきに、向こうに正体を見破られるとは、なんという大失態。
でもあのとき、ちゃんと忍び装束にて、顔も隠していたというのに、どうしてバレた?
とにかくこれはマズい。正体を隠して旅芸人の一座に潜りこんでの諜報活動に支障がでかねない。とりあえずこの場は言い含めて誤魔化し、あとできちんと始末をつけないと。
内心にてそのように必死に考えをめぐらしているお良。
なのに元凶はのほほんと、つづけて握り飯を頬張っている。
「あっ、心配しなくても誰にも言わないから。いちおうは同業みたいなものだし」
仁胡の言葉が、さらにお良を惑わせる。
忍びが仲間でもない相手に自分の正体を明かすだなんて、ありえない。
なんなのだこの子は。
ガタイこそは立派だが、身のこなしは隙だらけ。殺ろうとおもえば、いま、この瞬間にでも首を落とす自信がある。だけれどもさすがに真っ昼間の天下の往来にて、そんな真似は出来ない。
かといって青年の言葉を鵜呑みにするわけにもいかず、悩んだ末にお良がひねり出した打開策。
それは「わたしらはこれから安土へ行くんだけど、人足として働くつもりはないかい?」というもの。
目を離すよりも、そばに置いておいて、正体を探りつつ、いざともなればと考えたクノイチ。
この考えには座長も乗り気にて、ちょうど安土へと向かっていた鈍牛こと芝生仁胡も渡りに船とよろこんだ。
まったく警戒することもなく、まんまと手中に落ちてきた青年を訝しつつも、ひとまずほっとしたお良なのであった。
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