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第十二話 庭いじり
しおりを挟む安土の街は広く、安土の城もまた大きく高い。
だからたどり着くまでが結構たいへん。見えているのになかなか近づけやしない。
眺めている分には立派だが、実際に住むとなると不便そう。
ようやく着いたとおもったら、こんどはわりと急な坂道や段差が待っている。
防衛上の観点からの造りなのだろうが、荷運びにこれほど適さない場所もなかろう。
たいていの荷物は城と城下町との中間にある蔵へと納めることになったのだが、一部は山の天辺にある城まで運ぶようにとの指示が。
いかに力自慢の人足たちとて、散々に追い立てられて急かされた後にこれではたまらない。すでに大半の者が息も絶えだえにて、足が震えてどうにも仕事がはかどらない。
それらを尻目に一人、気を吐いては、「えっほ、えっほ」と門から城へと通じる道を何往復もしていたのが鈍牛。
小難しいことや理不尽なことを云いつけられたら、その意味を考え込んでしまい、動き出すまでにやたらと時間のかかる芝生仁胡。
それゆえに周囲に誤解されて、鈍牛なんぞと呼ばれ馬鹿にされていたが、きちんと明確な指示を与えられたら、考え込む必要もなくすぐに動ける。
ようは彼をこき使って悦に浸っていた芝生家現当主の芝生慈衛が、いささか阿呆であったのだ。
魚に向かって鳥みたいに空を飛べとか、僧侶に伴天連の神像を拝んで経典をそらであんじろと言っているようなもの。
トンチンカンな命令を受けて、真面目な仁胡は困惑しつつも、なんとかそれを遂行しようとしたものだから、話がややこしく。
しかしここには仕事のできる者たちがゴロゴロ。
なにせ能力さえあれば、たとえ農民であっても侍大将にだってなれるのだから、夢がある働き場。おかげで全国から有能な人材が集まっている。
命令も明朗にて鈍牛も、とっても動きやすい。
さて、そんな人材の宝庫のような場所ゆえに、当然のごとく猫を肩にのせた奇妙な青年の働きぶりに、自然と目をとめる者があらわれるわけで……。
「そこの者、ちとこれへ」
荷をすべて運び終わり、隅っこでもらった白湯をすすっていた鈍牛に声をかけたのは、なにやらキチンとした身なりをした女中さま。
白髪交じりながらも背筋はしゃんとしており、動作のひとつひとつがきびきび。いかにも武家の女房といった品格の漂う女性。
呼ばれるままに案内されたのは、城のどこか奥まったところにあった、こじんまりとした中庭。
大勢の人たちが詰めている城だというのに、ここだけはまるで別世界のように静かな場所。
小さな庵みたいなものがあり、丸い窓がある。
老女中さまによれば、これは茶室らしい。
鈍牛とて武家にて茶の道が人気なのはさすがに知っている。けれども、そのためだけに庭をわざわざこしらえたり、奇妙な家を建てたり、侘びだの寂びだのと言っては、茶器にとんでもない価値をつけることなんぞは、まるで理解の範疇を越えている。
正直、こんなわけのわからないものに金をかけるぐらいならば、他にそろえるべき物がいくらでもありそうなのに。
ついつい、そんな本音をもらしてしまった鈍牛。
猫の小梅が「にゃあ」と賛同するも、しまったとあわてて自分の口をふさぐも、ときすでに遅し。
発した言葉をばっちり老女中に聞かれてしまった。
これはてっきり怒られると彼が恐縮していると、さにあらん。
彼女はくつくつ笑いだす。
「まことよのぉ。茶なんぞ気心のしれた親しい者と楽しめばよいものを。ほんに殿方らの茶の湯狂いもほどほどにしてもらいたいもの」それから老女中は言った。「そこもとを呼んだのはアレをの、少しばかり動かしてもらいたかったからじゃ」
彼女が指差したのは庭に置かれた岩。背は大人ほどもあろうか。仙人が住んでいるという山を小さくしたような、ふしぎな趣きがある。
なんでも茶室の丸窓越しに眺めると、少々位置が悪いとかで、現在、茶室におられるさる御仁が、気に入らぬとヘソを曲げているそう。
とはいえ庭師を呼びにやり、人足どもを使えば一日仕事となる。
さて、困ったものとおもっていたら、ちょうど使えそうな若者がいたので声をかけたとは老女中。
言われるままに岩を担いだ鈍牛。腰にどっしりくる重さ。彼がそう感じるぐらいだから相当なものであったのだろう。
三歩ほど右へ動かすと、「もう少し左へ」と茶室の中から静かな男の声が。
二歩もどすと、次は「もそっと右へ」と。
そこから先は、行ったり来たり、置いてしばらくすると「やっぱり、あっちへ」とまるでちがう場所に運ばされたりもする。
どうやら玄人なりの機微やこだわりがあるよう。
だから素人である鈍牛は、一切さからうこともなく、ひたすら声の指示に従い続けた。
気がつけば早や三つほども刻が過ぎている。
空が茜色になっており、遠くにはカラスの声が聞こえていた。
その頃になってようやく声の主が「うむ」と納得する。
「どれ、無理を言ったな。礼がしたい。こちらへ」
いきなり茶室の中から声をかけられて困惑する鈍牛に、老女中が「行きなさい」とうながす。
とはいえ、田舎者の不調法にて茶の道はまるでわからない。
だからどうやって入ったものかと庵の前で悩んでいたら、障子が音もなく内側から開かれた。
そこにいたのは黒の頭巾を頭の上にのせ、木蘭色の道服をきた、ぱっと見、禅僧のような格好をした男。
しかし背が高い。これは六尺を超える鈍牛といい勝負であろうか。
「よいよい。まずはご苦労。これでも飲むがよい」
男が手ずから差し出したのは、黒くて歪な形をした椀。
中には色鮮やかな緑の液体。
作法なんて心得ておらぬので、鈍牛はとりあえずグイと、ひと息にあおる。
のどの奥へと伝うは、なんともいえぬ苦味ばかり。
おもわず顔をしかめると、肩の小梅が自分も欲しいとばかりに「にゃあにゃあ」鳴いておねだり。あんまり手を伸ばすものだから、椀の底にわずかに残っている雫を小指にてすくい、これを舐めさせてやったら、何が気に入ったのか、やたらと熱心に指先をペロペロ。
これにはたまらず「ぷぷっ」と吹き出したのは、一連のやりとりを少し離れたところにて静観していた老女中さま。
つられて茶をふるまってくれた人物もくつくつ笑い出し、「これはまいった。わたしもまだまだ修行が足りぬ」と自分の額をぴしゃり。
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