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第十九話 発覚
しおりを挟む高槻は芝生の庄より、鈍牛こと仁胡の姿が消えてからひと月ほどたった頃。
彼の帰りを一日千秋の想いにて待っていたのは、幼馴染みの娘の小夜。
出がけに顔を合わせたときには、「ちょっとそこまで」と軽いお使いみたいであったのに、ちっとも帰ってきやしない。
いったいどこまで行っているのやら。
もしや、先方にて面倒事にでも巻き込まれているのでは、もしくは生水に当たって腹でもこわして寝込んでいるのかも……。
どうにも不安ばかりがつのる。暇をみつけては里の出入口付近をうろうろ。芝生の家に顔を出したりする日々が続く。
そんないじらしい小夜の姿に、はじめはニヤニヤと笑みを浮かべていた芝生家のおかみさんの珠であったが、さすがに七日たち十日たち半月も過ぎれば、戻らぬ子のことがちょいと心配になってきた。
だから夫の慈衛に「あの子をいったいどこに使いにやったのだ」と問いただすも、こたえがどうにもはっきりしない。なんのかんのと言い訳ばかり口にする。
どうにも怪しい……。
まさか命じた当人が、その内容をすっかり忘れていようとは、珠も思いもよらなかった。
すべてが発覚したのは、待望の仁胡から届いた頼りにて。
そろそろ彼が村を出立してから二月も経とうというとき、ようやく手紙が実家に届く。
頭領宛てではあったのだが、たまたま居合わせた珠が受け取ると、送り主が仁胡だとわかりすかさず封を切る。そして中身を一読するなり無言になった。
珠はドカドカと床を鳴らし、奥へと直行。
縁側にて煙草をくわえていた夫の姿を見るなり、その背中を思い切り蹴飛ばす。
たまらず庭に転がり落ちる慈衛。
「あいたたっ、てめえ、いきなり何しやが……る!」
女房にいきなり蹴られたら夫は怒る。だが何やら剣呑な雰囲気にて仁王立ちしている珠の姿をまえにして、威勢はたちまち萎んで、声もつまる。
あまりの迫力にて、ごくりとツバをのみ込む慈衛。
その時、彼には彼女が猛り狂っている不動明王像のように見えていた。
だが、それは見まちがいであった。正しくは雷神、なにせ直後に大きなカミナリが落ちたもので。
「この大たわけがっ! あんたはいったい何を考えとるんじゃーっ!」
あまりの音量に慈衛、目を回して地べたにひっくりかえる。
屋敷全体がビリビリ震え、その声は門や塀を越えて、村の方にまで響くほど。
これにおどろいてかけつけたのが小夜。いっかな戻らぬ仁胡の身を案じて、近頃、日参していたので、ちょうどこれに行き合ったのだ。
「珠さま、これはいったい……」
かけつけた小夜が、夫婦を見比べて目を白黒。
そんな彼女に珠が無言で差し出したのは、持っていた手紙。
くしゃくしゃになっている紙を広げてみると、そこには慣れ親しんだ文字があった。ひと目で仁胡の文字だとわかった小夜は、おもわず頬をほころばせる。けれどもしばらく読み進めていくうちに、やはり珠と同じように無言となり、ついには顔からするりと表情が抜け落ちてしまう。
手紙の内容は、仁胡がいま安土にいること。城にて臨時の下働きをしていること。それからなんとかここまでは潜入できたけれども、信長さまの首はちょっと無理かもといったことが書かれてあった。
まずは元気そうで何よりと小夜はほっとする。
それから読み終わった手紙を丁寧におりたたんでから、珠にかえした。
このあいだ終始無言であった二人の女。
小夜が黙ったままにてじっと珠の目を見つめると、珠はコクンとこれまた無言でうなづく。
その頃になって、ようやく気がついた慈衛。「うーん」と目を覚ますも、右からきた衝撃によって、ふたたび目を回すこととなる。
着物の裾がひらりとして、ほんの一瞬だけ白い足が姿をあらわしたとおもったら、横一文字に振り抜かれたのは小夜の右足。
竹のごときしなりにて放たれた見事な蹴りの一撃にて、慈衛轟沈。
そんな亭主の姿にようやく怒りの矛をおさめた珠、「でかした」と小夜をホメる。
しかし小夜の表情は晴れない。
「仁胡は大丈夫でしょうか。よりにもよってあんな……」
あまりにも大それたことゆえに、おもわず口をつぐむ小夜。
「まぁ、うちの馬鹿がどんなつもりで甥っ子に、こんな大それた真似をさせようとしたのかは知らないが、なぁに、悪いようにはならないさ。そう、心配おしでないよ。きっと大丈夫だから。あの子はおっとりしているけれども、なんだかんだでちゃんと考えているから」
「……なら、いいのですけれども」
「おおかた馬鹿に義理立てしてのことだろう。そのうち土産でも持って帰って来るさ。そうしたら、とっとと祝言でもあげちまおうかね」
いきなりそんなことを言われて、真っ赤になった小夜。「知りません」と照れて、その場から小走りで立ち去ってしまう。
「ふふふ、かわいいねえ。それにひきかえ」ちらりと気絶している自分の亭主に視線を向けた珠。「とりあえず、もうちょい絞るか。小夜にはああ言ったけど、やっぱり心配だからねえ」
珠はのびている亭主の襟首をむんずと掴み、そのまま屋敷の奥へと引きずっていく。
その夜の夕餉と、翌日の朝餉の膳が、いつもより一つ少なかったことには、屋敷に勤めている面々はみな気がついていたが、あえて誰も触れようとはしなかった。
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