高槻鈍牛

月芝

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第三十三話 京の山科にて

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 波の気まぐれか、天の采配か、鈍牛の操る舟は順調に進み、琵琶湖から瀬田川へと通じるところにまで無事にたどり着く。
 瀬田大橋の都側のたもとに舟を寄せた鈍牛。
 船底にてお良はぐったりと目を閉じたまま。傷口に満足な手当はできていない。どこかで医者に診てもらう必要がある。
 このまま川沿いに進むのが楽だが、それだとお良の治療ができない。
 医者もしくは医療の心得のある者を探すのならば、人の集まる都のほうがいい。
 とりあえず京の東山辺りにまで行けば、どうにかなるだろうと踏んだ鈍牛。この意見に七菜も賛同し、一行はここから陸路を選ぶ。
 愛猫の茶トラの小梅は七菜に抱かれて、壺を包んだ風呂敷を前に下げ、背にはお良を背負って鈍牛は歩きだす。
 まだ夜明け前だというのに街道沿いには焦げた臭いを漂わす人影がちらほら。
 おそらくは安土より焼け出された者たちなのだろう。あれだけの業火の中を逃げ惑ったせいで、煙がすっかり身に染みてしまっている。
 道端にて項垂れている者、呆然自失にてへたり込んでいる者や、すすり泣いている者もいる。ようやく終わったと思っていた戦乱の世が、ふたたび戻ったと嘆いている者も。
 夜ガラスの声に混じって、赤子の泣き声もかすかに届く。
 それらに耳を塞いで鈍牛と七菜は黙って足を動かした。
 京へと上る道をひた歩き、ようやく山科の玄関口へとさしかかったところで、ついに七菜の体力に限界がきた。だがそれも無理なきこと。むしろ怒涛の一夜を過ごして、よくぞここまで動けたものと褒められてしかるべし。
 わびる彼女を茶トラの小梅ともども横抱きにして持ち上げた鈍牛は、前後に女を担ぎ、首からは壺の入った風呂敷をぶら下げ、前だけを向いて歩き続ける。

 そろそろ夜が明けるというのに、世界は薄暗いまま。
 これからの世の暗鬱さをあらわしているかのような、陰気な空。
 靄まで垂れ込めており視界は悪い。
 雨が降らぬことを祈りつつ、七菜の安らかな寝息を聞き、背中のお良の温もりを感じつつ、鈍牛は進む。
 山科の町へと入ったあたりで、ふいに「もし、失礼ながら。もしや芝生仁胡さまでしょうか」と声をかけられた。
 見ればキチンとした身なりの女中にて、自分は田所甚内さまに雇われている者だと名乗る。
 ぼんやりと考えてみるが、鈍牛はその名前にいまいちピンとこない。
 聞き覚えがあるような、ないような。はて? 首を傾げていると女は「以前に、共に大樹の陰にて雨宿りをした仲だと聞いております」
 それでようやく鈍牛は思い出した。
 高槻を出て、京へと向かう途中にて急な雨に降られたとき、駆け込んだ木の下で長い白髭の好々爺といっしょになったことを。

「主人が安土の惨状を聞き及び、ひょっとしたら知り合いが逃げてくるやもしれぬゆえ、通りがかったらお招きするようにと」

 丁重に頭を下げて、「ささ」と案内する女中。
 ふつうならば、そんな些細な交わりにて、わざわざ他人を助けようとはすまい。
 ふつうならば、このような怪しげな誘いに乗るまい。
 しかしここ数日来、あまりにも奇妙な出来事ばかりが続いており、すっかり疲弊していた鈍牛の思考は、ふつうではない判断を下し、やすやすと女の後へと続く。
 道すがら先を歩く女に、どうして自分が探し人だとわかったのかとたずねたら、彼女はやや口角をあげて、控えめな笑みを零す。

「六尺越えの背丈に、ざんばら髪にて猫を連れている若者など、そうそうおりませぬゆえ」

 言われてみればその通りにて、自身の不明を恥じておもわず赤面した青年。

「ほほ、まぁ、いろいろと納得せぬこともありましょうが、まずはそちらのお二方の身が大事。ここはわたしを信じて下さいまし」と女。

 彼女がやや足を速めたので、これに鈍牛もならう。
 京の外れの方とはいえ、山科もまた都の一部。
 街並みが都特有にて、碁盤の目のようにきちんと区分けされており、住みよい感じがして、その実、迷路のような一面をも持ち合わせている。
 薄暗い中にて朝靄まであっては、土地勘のまるでない鈍牛には、すでに自分が山科のどの辺りにいるのかもわからない。
 そうこうしているうちに女の足が止まったのは、周囲を生垣にかこまれた邸宅。
 大きな門は構えておらず、観音開きの木戸があるばかり。もっさりとした藁ぶき屋根の落ち着いた色味の建物。いかにも金持ちの別宅といった風情。
 このご時世にしては、いささか不用心にも思えたが、よく見ればそんなことはなかった。
 生垣はすべて、葉が鋭利なノコギリの刃のようにギザギザなのが特徴的なヒイラギ。
 裏にはさらに全身にトゲをまとうメギが隠れるようにして植えられてある。
 それらを越えた先にある庭にある草花などにも、よく見れば大小無数のトゲが。
 促されるままに敷地内へと足を踏み入れた鈍牛。キレイだけれども、なんともおっかない景色に「まるで茨屋敷だ」とつぶやく。

 鈍牛が両手をいっぱいに広げても、まだまだ足りないほどの玄関。
 そこで出迎えてくれた屋敷の奉公人たちが、すっかり眠りこけている七菜と、傷だらけにて気を失っているお良の身を引き受けてくれるというので、やや不安ではあったがこれを託す。
 猫の小梅はいつの間にか七菜の腹の上から、定位置である鈍牛の肩へと戻っている。
 鈍牛自体は、屋敷まで案内してくれた女中に手づから、足の汚れなんぞを落としてもらい恐縮しっぱなしであった。


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