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第三十九話 淀の川下り
しおりを挟むやや機嫌の悪そうな空の下。
夜にも関わらず、一行は宇治川沿いを小舟にて移動し、淀川と合流地点にて、ふた回りほど大きな三十石船に乗り換えた。
全長四丈(約十二メートル)、幅が六尺(約百八十センチ)ほどの船が、川の流れにのってすいすいと下っていく。
上流で雨でも降ったのか、水嵩が増しており、いつもよりも二割ほども足が速く、けっこう揺れる。
あとは波まかせにつき、とくにすることもなくなったところで、鈍牛はずっと気になっていたことを、舳先にて勇ましく立っては前方を睨んでいる白髭の老爺にたずねてみることにした。
「どうして田所さまは、こんなに良くしてくれるんだ?」
故郷より安土へ向かう道すがら、たまたま雨宿りにていっしょになっただけの間柄。それこそ行きずりとも言えないほどの、些末で、か細い縁。
よくよく考えれば、これはかなりおかしなこと。
今更ながらの質問を受けて、愉快そうに肩をふるわせた田所甚内。
「そうさなぁ……。助けた理由をしいてあげれば、ワシがおぬしを気に入ったからかのぉ。まぁ、暇と金を持て余した老人の道楽とでもおもってくれたらええ」
いまいち要領を得ないこたえに、少し不服そうな顔をした鈍牛。
そんな若者を老人は「ほほほ」と笑って煙にまいてしまう。
だが会話の間中、ずっと細めていた彼の目の奥が、不意に鋭い光を放つ。
視線の先は我が船のずっと後方の闇。
「はて、なにやらあとから追ってくるものがおるな。おい、段蔵」
雇い主に呼ばれて、腰をあげた加藤段蔵。
すばやく船尾へといくと、じっと上流の方を睨む。
川面には五本の丸太が浮いており、じょじょにこちらへと迫っているようにも見える。
「どこぞより流れてきた材木……、なワケないよなぁ。それにしては動きが不自然すぎる。となれば襲撃か」段蔵がつぶやくと、船縁から同様にはるか後方を眺めていたお良。「丸太いかだで淀の急流下りなんて、さすがにわたしも聞いたことないよ」
これを受けて甚内、「ううむ、どこぞの忍びくずれの川賊という可能性も捨てきれんが、とりあえず、この中で狙われる覚えのある者、手をあげてみい」なんて冗談まじりで言ってみたら、なんと鈍牛以外の全員が手をあげるという、まさかの結果に。
船の持ち主にして山科に大きな屋敷を持つ田所甚内、ものすごい長者どん。
加藤段蔵、凄腕の忍びにつき、身におぼえがあり過ぎて、どれかもわからない。
お良、わりと上手に捌いてきたけれどもまったく恨みを買ってないと言えば嘘になる。また先の安土での一件もあるし、ひょっとしたらあの時、殺した連中の仲間かも。
七菜、安土の火災にて火付けの現場を目撃、何やら裏で陰謀の匂いが漂っており、もしかしたら口封じとか。
鈍牛、じつはこれが一番の火種を抱えているが、その火種のことを当人がまるで自覚しておらず、なおかつこの場の誰も知らない。
茶トラの猫の小梅は、さすが関係なし。
「よくもまぁ、これだけ問題を抱えた客ばかり集めたものよ。とんだ地獄船だな」加藤段蔵、少々呆れ気味にて「とはいえ向こうは殺る気みたいだし、迎え討たねばなるまい。あの分では水場での戦いによほど自信があるとみた。これはいささか難儀やも」
ただでさえ狭く、揺れて足場の悪い船上での戦い。
自分一人ならばともかく、誰かを守ってとなるとかなり分が悪くなる。
いざともなれば船を岸に寄せることも考えねば……。
なんぞと段蔵が悩んでいると、鈍牛が船底の隅にあった木箱を運びだしてくる姿が目についた。
どうやら好々爺の指示らしく、箱の中身は丸い玉。それがたくさんつまっている。
ちょうど手の平に収まるほどの大きさにて、重さは米二合にはやや足りないか。
これを手にした段蔵、しげしげ眺めてから「まさか、こいつは焙烙玉か!」
老人を見れば、その顔がにへらと意地の悪い笑みを浮かべていた。
焙烙玉とは中に火薬を詰めたもので、導火線に火をつけて相手方に放り投げればドカンと爆発。かつて瀬戸内にて猛威をふるっていた村上水軍がこれを用いた海戦を得意としていた。
そんな物騒な品をいつの間にやら船に大量に持ち込んでいた田所甚内。
「そいつは改良型でな。女子どもでも扱えるように通常のものより小さくしてある。そのかわりに、ほれ、このとおり」
一つを手にした好々爺、玉からまるでへその緒のように出ている紐を引っ張ると、これをスポンと抜いてしまう。
そしてすかさず後方へと向かって、ぶん投げた。
大きく弧を描きながら飛んでいった玉は、追尾してくる丸太の一団よりも、やや右にそれて着水。間髪入れずに立派な水柱をあげて、川面を派手にゆらす。
火もつけておらず、水に浸かってもなお爆発する改良版の焙烙玉。
悪用次第でとんでもない武器になりそうな品を、あっさりと披露した老人に呆気にとられるお良と段蔵。
なのに当の甚内は、「自分も投げてみたい」と言い出した七菜に危険なおもちゃを手渡し、使い方を教えていた。
「紐を抜いてから、十数えたら爆発するので、気をつけるように」
「なるほど」
「あと投げる時は、こう、腕をおおきく後ろに振りかぶって、ぐりんと前へ回すようにして。あと手首を使って、しゅっと」
「ふむふむ、こんな感じだね」
言われたとおりに七菜が投げた玉は、投げた本人も指導した爺もびっくりするほどに、真っ直ぐに飛んでいく。その強肩ぶりにみなが目をむいているなか、放たれた玉は追ってきていた丸太の一本に直撃。
見事にこれを爆砕、淀の藻屑としてしまった。
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