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第四十六話 首問答
しおりを挟む猫の小梅が鈍牛の膝の上から「にゃおん」と鳴いて動き出す。畳の上に降りると、弓なりに、ううーんと背伸びした。
その姿に場の雰囲気がほのかに和む。
なお、すでに慈衛と珠の夫婦の姿はここにはない。散々におそろしい話を耳にして、ついに神経が限界を超えてしまい倒れたので、そのまま別室にて布団を敷き仲良く並んで寝かしてある
しなやかな茶トラの猫の動きを眺めながら、田所甚内「あれこれを考え込んでもしようがないか。首を渡すかどうかはともかくとして、あとで街道にいって羽柴の様子は拝んでおこう。怪しければ避けて、いけそうならば陣地に放り込むという手もあるし。のう、段蔵」
「えっ、オレかよ。仇討ちの戦を前にしていきり立っているところに、乗り込んでこいとか、とんだ鬼畜爺だな」
「まぁ、そんときはわたしも陽動ぐらいは手伝うからさ」とはお良。
思いっきり貧乏くじを引かされそうにて、段蔵がおもわず顔をしかめる。
そこで「はい」と元気よく手をあげたのは七菜。
「いっそ、淀川に捨てちゃうってのは、どうかな」
面倒事を運んでくる悪首なんぞ、とっとと亡きものにして、証拠隠滅しようとの提案。
しかし……。
「そいつはマズい手だね」とお良、続けてこうも言う。「首を探している連中に、こちらの素性はとっくにバレてる、というか主に鈍牛の身元がだろうけれども。なにせこの子は目立つからねえ。おおかた本能寺周辺を張っていた連中の目に留まって怪しまれたんだろう。そうである以上は、下手に処分しちまうのはかえって危ない。切り札となりうる交渉材料がない状態で、あんな連中と渡り合うのは、あまりにも無謀がすぎるよ」
たずねられて、どこそこに捨てましたと素直に答えたところで、納得して引き下がるような者は、忍びにはいない。
ないと言われればある。あると言われればない。内外虚実が当たり前の、ドブのような闇の世界にどっぷりとつかった人間というのは、とかく他人の言うことを信じやしない。言葉を額面通りに受け取らない。
誠意や誠実とは無縁の輩にて、疑心暗鬼が人の皮を被っているような存在。
まともにつき合うと、正直者が馬鹿をみることになる。
それぐらいならば、まだ連中の鼻先にぶら下げて、散々にじらしてから、放り投げて、奪い合いでもさせた方がいい。そうすればとりあえず敵の頭数は確実に減るから。
「穏便に受け取ってもらえそうな相手となれば……、あとはお身内ぐらいか」甚内がつぶやく。
たしかに身内に託すのが一番の筋。
しかし織田の嫡男信忠は本能寺の変のときに、二条御所にて明智に追い詰められて腹を切っている。
次男の信雄は伊賀攻めで忍びらにボコボコにされた暗愚にて、問題行動が多いので有名。三男の信孝は生粋の武辺者にて、勘気をこうむって一刀両断されそう。
子が駄目ならば実弟という案もあるが、利休に弟子入りして茶人を気取っている有楽斎は、世渡り上手の風読みの矢車みたいな男にて、どうにも信用がならぬ。
仲の良い妹のお市の方は、前夫の浅井長政を亡くしたあとは、鬼柴田に嫁いでいるので、これまた微妙な立場。
孫にあたる信忠の遺児の三法師は、あまりに幼すぎて論外。
これらの話を甚内の口より聞いた一同、うーんと考え込んでしまう。
おもったよりもロクなのがいないかもしれない。明智光秀が動かなくても遅かれ早かれ、謀反なり内乱なりが起きていたような気がしきた。
「なんだか信長さまが気の毒になってきた」と鈍牛。いまは亡き孤高の英雄を悼む。
「天下人って、案外、さみしいものなのね」と七菜。やや、しんみり。
「だいたい、いらない奴に限って残るもんなんだよ」とお良。けっこう手厳しい。
「偉大な親父どのを持った子の不運だな」と段蔵。なにやらしみじみ。昔を思い出しているのか。
「後継者問題は、どこも頭を悩ませておるものよ」と甚内。彼も手広く商いなんかをしているので、その手の問題が他人事ではないのかもしれない。
五人がそんなことを話していると、もぞもぞと起きだしてきたのは小夜。
濡れた手拭いを額に乗せたままにて、ずっと臥せっていたのがようやく目を覚ます。
そして開口一番に彼女はこう言った。
「いっそのこと高野山にでも持っていって、供養してもらったら。あそこなら親族も家中の方々も、誰も文句は言わないでしょう」
雨がおおく一面の山々は木に埋め尽くされているかのような様子から、大古には木の国と呼ばれていたものが、いつしか紀の国となり、いまでは紀伊となった土地。
その北部の一帯に、平安の御世に弘法大師が造った修験の場が高野山。
日ノ本屈指の聖地にて、戦国乱世にあっても、彼の地だけは清浄を貫き、世俗に左右されることなく信仰を守り続けた。
古来より多くの皇家、公家、大名らが眠る地にて、乱世の英雄たちの多くもここに墓を持つ。
生前、比叡山を生臭坊主ごと焼き払った織田信長。石山本願寺ともとことん殺りあったせいで、仏敵認定しているところも多いと聞くが、それでも高野山ならばきっと受け入れてくれるにちがいあるまい。
至極真っ当な小夜の意見に、鈍牛一同、目から鱗がぽろりと落ちた。
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