高槻鈍牛

月芝

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第四十五話 糠漬け

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 悲鳴の主は芝生家屋敷の女房の珠。
 あいにく人が出払っており、自ら客人らの対応に追われていた彼女。
 ふと台所の隅を見れば、見知らぬ風呂敷包みが置いてある。
 何かと包みをほどいてみれば、壺ひとつ。木の蓋をあければ糠床が顔を見せた。
 そういえばこの荷は仁胡が抱えて帰ってきたのを思い出した珠は、てっきり甥っ子が京あたりで手に入れた漬物土産だと勘違い。
 せっかくだし客に茶請けとして出そうかと考える。
 で、さっそく手を突っ込んでみると、なにやら指にまとわりつくのは黒い糸のようなもの。さらには奥に大きな感触にて、さては立派なカブでも丸ごと入っているのかと引き抜いてみれば、ずるりと出てきたのは、人の首。
 これでおどろかない者がいたら、そっちの方がびっくりにて。
 さしもの珠も「ぎゃあ」と悲鳴をあげずにはいられなかった。

 すわ新手の襲撃かと駆けつけたのは段蔵たち。
 今度は何ごとだとドスドス廊下を鳴らして現れた芝生慈衛は、頬の辺りが赤く腫れている。どうやら女房どのに、ぎりぎりつねられお灸を据えられたらしい。
 水を汲みに表の井戸へといっていた小夜と、薪を取りにいっていた鈍牛も、悲鳴を聞きつけてあわててやってきた。
 そこで一同が目にしたのは、まな板の上にででんとのっている、首の漬物。
 新鮮なうちに上等な糠床に放り込んだもので、なんともいい具合に漬かっている生ものを前にして、七菜と小夜はそろって泡を吹き、バタンと倒れてしまった。
 慈衛と珠は二人揃って錯乱状態にて、ぎゃあぎゃあ騒ぐばかり。
 首の正体が誰なのか、ひと目でわかったのは、忍びの三人。
 田所甚内、加藤段蔵、お良、目の玉が飛び出んばかりにおどろく。

「どうしてこれが、なぜこのようなところにある」と甚内。
「ひょっとして、淀川で襲われたのって、これが原因じゃないのか」と段蔵。
「嘘だろう、鈍牛……。あんたいったいどうやってあんないかれた命令をまっとうしたんだい」とお良。

 ここに来て、互いが大なり小なり秘密を抱えていたことを、ようやく理解した面々。

「どこでこれを手に入れた?」「いかれた命令ってなんの話だ?」「この首のせいで襲われたってのかい?」「でもどうして持ってるってがわかったんだ?」

 矢継ぎ早に飛び出す疑問の数々。
 いっぺんに問い詰められたとて、こたえようのない鈍牛は、おたおたするばかり。
 しかし何を置いても、まず先に知るべきことは、ただ一つ。
 それは信長の首を手に入れた経緯について。
「とっとと説明せよ」と甚内、段蔵、お良ら三人に詰め寄られた鈍牛。
 話したいのは山々なれども、まずはこの状況をどうにかしないと。
 錯乱して掴み合っている夫婦に、きゅうとのびている娘たち。あまりの事態にやや冷静さをかいている忍びたち。
 そのとき鈍牛の肩にいた小梅が「にゃあ」と鳴く。
 見れば火にかけてあった鍋が噴いていたので、あわてて蓋を外した鈍牛、指先が煮立っている汁物に触れて、あちち。
 そんなみんなの様を、細目を開けている信長の首が黙って見ていた。



 朝餉の席はお通夜の会場のような静けさ。
 誰も目の前の料理に箸をつけようとはしない。
 ついさっき、あんな物騒な品を間近で見たからというだけでなく、鈍牛から本能寺での一件を聞かされたからである。
 そもそもの発端にして元凶たる芝生慈衛は部屋の隅にて膝を抱え、縮こまり固まってしまっている。彼とてもまさか本当に甥っ子が信長公の首を持って帰って来るだなんて、夢にもおもわなかったから、正直なところ現実に頭の中がまるでついていってない様子にて放心。
 奥方の珠は魂が抜けたようになって、へたり込んでいる。視線は宙を彷徨っており、気でもふれやしないかと、いささか心配。
 田所甚内は難しい顔にて腕を組んで、何事かを思案中。ずっと、うむうむ唸るばかり。
 加藤段蔵は水辺での一戦のあとに拾い集めてきたクナイを出し並べて、食事そっちのけにて入念に手入れの真っ最中。どうやらこれから続々と、信長の首を狙って敵がやってくると予想しているようだ。
 お良もまた愛用の二本の小太刀と、忍び道具の点検に余念がない。理由は段蔵と同じ。
 七菜は単純に食欲が失せた。人の生首の漬物なんぞを見せられて、むしろ胃の中からいろいろ表に出したいくらい。ひょっとしたら、この先一生、漬物類は駄目かもしれない。
 小夜は濡らした手拭いを額にのせて、まだのびている。ときおり苦しそうな声が聞えてくるので、きっと悪夢にうなされているのだろう。
 茶トラの猫の小梅は、我関せずにて鈍牛の胡坐の中にて丸まって、気持ち良さげにしている。
 で、とんだ土産を持ち帰った鈍牛だが……。

「いちおう若衆に『しかるべき織田家中の者に渡して欲しい』と頼まれたんだけど、ずっと渡す機会がなくって。安土もあんなだったし。どうしようか? ちょうど羽柴さまがすぐ近くにまで来てるみたいだし、ちょっと行って渡してこようか」

 これから仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉ならば、織田家中のしかるべき人物として、申し分ないだろうと鈍牛は言ったのだが、これには甚内が「やめておいたほうがいい」とこたえ、彼だけでなく段蔵やお良にまで反対をされた。
 甚内によれば、なんら手づるもなくうかうかと陣に近寄ったら、よくて門前払い。最悪、捕らえられた挙句に、主君の首をどさくさ紛れに盗みだした火事場泥棒として、その場で首を刎ねられかねないとのこと。
 段蔵もこの意見に近く、彼によれば、自分をおおいに引き立ててくれた主君の糠漬けなんぞを提出したら、きっと逆鱗に触れることになるとのこと。下手をすると一族郎党に至るまで連座にて罪に問われるかもとか、恐ろしいことを口にする。
 お良だけは、少々ちがった理由にての反対。
 この度の明智の謀反に対して、羽柴秀吉の動きがあまりにも迅速かつ思い切りが良すぎる。ひょっとしたら事前に知っていたか、もしくはグルなのかもしれない。そんな奴のところに首なんて持って行ったら、問答無用で口封じされるのがオチだろうとのことであった。
 三人ともに説得力のある内容にて、鈍牛、大弱り。
「どうしよう」と途方に暮れる。


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