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第四十四話 気運
しおりを挟むなにやらバタバタとあわただしい帰還を果たした鈍牛。
女主人の珠に指示されるままに、客人らを座敷に通してからも、何かと細々としたことを手伝っていたのだが、ふと、思い出したのが先の村の様子。それに屋敷の中も人がいつもよりずっと少ない。
台所にて釜をまえに火の番をしていたときに、鈍牛がそのことを口にすると、すぐ側で朝餉の準備をしていた小夜が理由を教えてくれた。
「それは城のお殿さまから触れがあったからだよ」
「殿さまって、高山さまのこと?」
「うん。なんでも羽柴さまの軍勢がじきに通りがかるから、握り飯とか飲み物とかをありったけ用意しておけって。全部いい値段で買い取ってやるって言うもんだから、みんな目の色がかわっちゃったんだ。他にも割りのいい人足働きもあるから、手の空いてる男衆もこぞって顔を出すようにって」
「へー、そいつはすごいなぁ」
鈍牛と小夜がそんな会話をしているとき、客間へと通されたお良たちもまた同様の話を珠から聞いたところであった。
これを受けて、なるほどと田所甚内がうなづく。
「一切合切を現地で賄うか。人足もその都度雇って、疲れるまえに交代していけば歩みが遅くなることもない。これこそが羽柴軍のありえん強行軍のからくりだったのだな」
「それだけじゃねえ」段蔵は言った。「道中にて景気よく銭をばら撒いてやがるから、連中が通ったあとは羽柴一色だ。しかも仇討ちであることを喧伝しまくっているから、世間は完全に秀吉の味方だぞ」
「この分だと日和見の連中は、早々に明智を見限るかもね」とはお良。京を中心に活動をしていたクノイチの彼女は、都周辺の連中の物の視方や考え方を熟知している。
長い歴史を生き抜いてきた奴らの自己保身能力、その嗅覚たるや、忍びとはちがう種類の化け物にて。ときに長いものに巻かれ、ころころ手の平を返しては平然としている。その面の皮の厚さたるや、きっと最新の種子島の弾でも通るまい。
「でもでも、羽柴さまってば、たしか旧臣じゃなかったよね? 柴田さまとか他にもすごい人がいっぱいいるし、ひょっとした他の人が先にやっつけちゃうんじゃないのかな」
そんな意見を口にしたのは七菜。安土の城で下働きをしていただけあって、家中のことはそれなりに知っている。
髭もじゃの柴田なんて、彼女からすれば鬼と同義。そんな英傑がごろごろしていたのが織田家中。
しかし甚内は首を横にふった。
「おそらく間に合わぬよ。どう控えめにみても羽柴に比べて、他の連中は三歩は出遅れておる。ようやく駆けつけたとて、すべてが終わったあとであろうよ」
甚内の言葉に「漁夫の利という手もあるぞ」とは段蔵。
羽柴と明智がやり合って、残った方を叩けば、より楽にすべてが手に入れられる。
しかしこれにも甚内は首をふるばかり。
「少しまえであれば、それぐらいの気概のある荒魂持ちもいたものだが、みんな逝ってしもうた。すくなくとも畿内には目ぼしい者がおらぬ。かといって西は毛利でせき止められておるし、関東の北条はちと遠すぎる。三河の徳川はこの度の騒動に巻き込まれたらしく行方がわからん。おそらくは国元へと逃げたのであろうが。信長の首と同様、家康の身柄を抑えられなかったのは、明智の手抜かりよの」
「なるほどねえ、どうやら天運は完全に羽柴寄りだな。となれば大義名分にて士気も高く、勢いもある秀吉の軍が明智を一蹴するかもしれんな」
「あぁ、ふつうであれば遠征してきた方が疲れておるので、迎え撃つ側が圧倒的に有利なはずじゃが、此度の一戦だけはわからん」
甚内と段蔵が難しい顔をして今後の展開を予想しているわきで、お良は彼らの会話の中に出てきた「信長の首」という言葉に、肩をびくりとさせていた。
信長の首をとってこいとの無茶を命じられた青年の帰還。
どこに消えたのやら、あいもかわらず消息不明らしい信長の首。
首、首と、ここに来て、なにやら聞き覚えのある不穏な言葉が重なって、どうにもイヤな予感がしてしようがないお良。
その時、唐突に女の悲鳴が響き渡り、屋敷内は騒然となった。
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