高槻鈍牛

月芝

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第四十三話 芝生の庄

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 鈍牛の案内にて一行が高槻の芝生の庄へとたどり着いたときには、すっかり夜が明けて明るくなっていた。
 最後尾には、いつの間にか戻って来ていた段蔵の姿もあった。
 ようやくたどりついた目的地。
 なのに里の様子がなにやらおかしい。
 畑に人の姿はないし、家の戸や窓は閉め切られており、煮炊きの煙もあがっていない。
 もとから閑散とした寂れた里ではあったが、それにしてもあまりにも人の気配が薄すぎる。
 村に入って通りを歩いていても、誰にも会わない。
 不安になった鈍牛、自然と足早に。
 一行もそれに釣られる。そうして向かったのは鈍牛も部屋を与えられている一族の長、芝生慈衛の屋敷。
 するとそちらには煙があがっており、人のいる様子があって、露骨にほっとした表情をみせた鈍牛。

「ただいま」玄関先にて声を張り上げれば、顔を見せたのは芝生一族の長の妻である珠。二の腕の逞しい実質的な里の支柱たる女人。

「仁胡じゃないかっ! よかった……。ずいぶんと心配してたんだよ。安土が大変なことになってるって聞いたもんだから」

 すでにここまで安土のことや、明智謀反のことが、伝わっていたようで、甥っ子の無事の帰還を心の底からよろこんでくれるおかみさん。
 彼の後ろに連れの姿を見て、珠が「まぁまぁ、お客さんを放ってとんだ不調法を。さぁさぁ、まずはこちらで草鞋を脱いで下さいな」と案内しようとした矢先に、奥から飛び出してきたのは一人の村娘。
 そのまま鈍牛にぶつかるようにして腰に抱きつき「この馬鹿っ! 阿呆! いったい、どこをほっつき歩いていたんだ。ものすごく心配したんだぞ。いつまでたっても帰ってこないから、何かあったのかって」

 仁胡の幼馴染みの小夜であった。
 彼に惚れている彼女は、一日千秋の想いにて帰りを待ち望んでいたのである。
 安土の報を知ってからは、周囲も気の毒がるぐらいに血の気が失せて、すぐにでも飛び出してしまいそうだったから、これを危惧した珠が、屋敷にて身柄を預かっていたのである。
 わりと勝気な姉御肌の幼馴染みの泣き顔に、鈍牛、すっかり困り顔。しきりにペコペコわびるばかり。
 若い男女をにやにや見つめる田所甚内と加藤段蔵。どこかむっつりとした表情の七菜とお良。鈍牛の肩にのった愛猫の小梅は「くかぁ」とあきれたように欠伸する。
 一行のそんな様子に「おや?」と首をかしげたのは珠。女の勘がびびびと働くも、この場ではあえて何も口にはしない大人の対応をみせる。
 なのに、そんな珠の配慮を台無しにした男がいた。
 玄関先の騒ぎを聞きつけて、のっそりと姿をあらわしたのは芝生一族の当主の慈衛。目やにもそのまま、着物の前もはだけており、髪も乱れている寝起きのだらしない格好にて。

「なんだぁ、朝っぱらからやかましいなぁ。うん? 鈍牛じゃないか! ようやく帰ってきやがったか。何、一丁前に客を連れて来ただと……」

 見れば金持ちそうな白髭の好々爺に、なにやら危険な香りがする男、おもわず眠気も吹き飛ぶいい女、あとはかわいらしい小娘と茶トラの猫。
 なんとも奇妙な組み合わせの一行。
 だがこれを見て慈衛「おっ、生意気に二人も女連れとは、ちょっと里を離れただけで、もう色気づきやがったか、この野郎」なんぞと言い出した。
 もちろん戯言だ。鈍牛に女遊びなんぞ出来ないのは百も承知。適当にからかってみただけのこと。
 だがこの場でそれは、ない。
 幼馴染み同士の感動の再会。それを心中複雑にて見守る二人の女。
 場の空気をまるで読まない慈衛の発言は、せっかく表面上だけは静まっていた水面にドボンと石を投げ込むかのようなもの。
 仁胡に抱きついていた小夜が、後ろの二人の存在にようやく意識が向いた。
 六尺越えの青年を中心にして、お良、七菜、小夜、女三人の視線が交差する。女たちが互いのことを認識したとたんに、現場にはなんともいえない緊張感が発生。一触即発とまではいかないが、なにやら剣呑剣呑。
 段蔵と甚内、雲行きが怪しくなったと察し、にやけ顔を引っ込め、さりげに二歩ほど下がって身の安全を確保。
 鈍牛とあだ名される仁胡。器用に数多の雑用をこなすものの、あいにくとその道にはからっきしにつき、「えっ、何、どうしたの」とうろたえるばかり。
 なんとも居たたまれない雰囲気を造り出した張本人は、女たちの変化にまるで気づいていない。
 これを見かねて動いたのは珠。

「ほら、二人とも。いつまでお客様方をそんなところに立たせておくつもりだい。仁胡はとっとと洗い桶の用意をしな。それから小夜は手拭いを持っといで。あとみなさまをおあげする部屋の準備も」

 珠が矢継ぎ早に指示を飛ばすと、はっと我にかえった小夜と仁胡もあわてて動き出す。
 おかげで修羅場は回避された。
 それから珠「ちょいと失礼」と一同に断るなり、手慣れた様子にて夫の耳をひょいと掴む。

「いだだだだ、やい、何をしやがる」
「いいから、あんたは、ちょっとこっちへ」

 怖い笑顔にて奥へと引っ立てられていった芝生慈衛。

「いたい、いたい、そんなに引っ張ったら千切れるから。ちょっと、まて、ほんとやめて、あーっ」

 廊下の奥から聞こえる悲痛な叫び。
 それを上がり框(かまち)にて耳にしていた四人。

「なぁ、あれが芝生慈衛ってことは、ここの頭領なんだよな?」と加藤段蔵。

 伝説の瞳を宿す鈍牛を輩出した、いにしえの血を受け継ぐ一族。だからそれなりのものを想像していたのだが、ある意味想像以上であったので、心に浮かんだ疑問がついつい口を出る。

「……そう聞いておる。じゃが、あの分では実権は奥方が握っておるな」とは田所甚内。とりあえず一族のこととか、詳しい話なんぞはあの女房を通した方が良さそうだと考えている。

「アレがあんなむちゃな命令を出した頭領かい? たしかに見るからに阿呆そうだった。あんなのに真面目に仕えている、あの子がわたしは不憫でならないよ」

 仁胡が信長の首をとってこいと命じられたことを知るお良。
 彼女はこれまでの彼の苦労を想像し、おもわず目頭が熱くなる。零れそうになった涙を着物の袖でそっと拭った。

「まさかの幼馴染みの登場……、これは強敵だね。でもわたしは負けないから」

 むふんと鼻息荒く、密かに気合を入れ直していたのは七菜。
 安土はすでに焼け野原にて、職を失い、故郷に戻ったところで名前の通り、七人目の子どもなんぞに居場所はない。のこのこ帰ったりしたら、最悪、身売りされてしまうかも。
 ゆえに意地でも鈍牛を離してなるものかと、乙女は決意を新たにしていた。


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