43 / 83
第四十三話 芝生の庄
しおりを挟む鈍牛の案内にて一行が高槻の芝生の庄へとたどり着いたときには、すっかり夜が明けて明るくなっていた。
最後尾には、いつの間にか戻って来ていた段蔵の姿もあった。
ようやくたどりついた目的地。
なのに里の様子がなにやらおかしい。
畑に人の姿はないし、家の戸や窓は閉め切られており、煮炊きの煙もあがっていない。
もとから閑散とした寂れた里ではあったが、それにしてもあまりにも人の気配が薄すぎる。
村に入って通りを歩いていても、誰にも会わない。
不安になった鈍牛、自然と足早に。
一行もそれに釣られる。そうして向かったのは鈍牛も部屋を与えられている一族の長、芝生慈衛の屋敷。
するとそちらには煙があがっており、人のいる様子があって、露骨にほっとした表情をみせた鈍牛。
「ただいま」玄関先にて声を張り上げれば、顔を見せたのは芝生一族の長の妻である珠。二の腕の逞しい実質的な里の支柱たる女人。
「仁胡じゃないかっ! よかった……。ずいぶんと心配してたんだよ。安土が大変なことになってるって聞いたもんだから」
すでにここまで安土のことや、明智謀反のことが、伝わっていたようで、甥っ子の無事の帰還を心の底からよろこんでくれるおかみさん。
彼の後ろに連れの姿を見て、珠が「まぁまぁ、お客さんを放ってとんだ不調法を。さぁさぁ、まずはこちらで草鞋を脱いで下さいな」と案内しようとした矢先に、奥から飛び出してきたのは一人の村娘。
そのまま鈍牛にぶつかるようにして腰に抱きつき「この馬鹿っ! 阿呆! いったい、どこをほっつき歩いていたんだ。ものすごく心配したんだぞ。いつまでたっても帰ってこないから、何かあったのかって」
仁胡の幼馴染みの小夜であった。
彼に惚れている彼女は、一日千秋の想いにて帰りを待ち望んでいたのである。
安土の報を知ってからは、周囲も気の毒がるぐらいに血の気が失せて、すぐにでも飛び出してしまいそうだったから、これを危惧した珠が、屋敷にて身柄を預かっていたのである。
わりと勝気な姉御肌の幼馴染みの泣き顔に、鈍牛、すっかり困り顔。しきりにペコペコわびるばかり。
若い男女をにやにや見つめる田所甚内と加藤段蔵。どこかむっつりとした表情の七菜とお良。鈍牛の肩にのった愛猫の小梅は「くかぁ」とあきれたように欠伸する。
一行のそんな様子に「おや?」と首をかしげたのは珠。女の勘がびびびと働くも、この場ではあえて何も口にはしない大人の対応をみせる。
なのに、そんな珠の配慮を台無しにした男がいた。
玄関先の騒ぎを聞きつけて、のっそりと姿をあらわしたのは芝生一族の当主の慈衛。目やにもそのまま、着物の前もはだけており、髪も乱れている寝起きのだらしない格好にて。
「なんだぁ、朝っぱらからやかましいなぁ。うん? 鈍牛じゃないか! ようやく帰ってきやがったか。何、一丁前に客を連れて来ただと……」
見れば金持ちそうな白髭の好々爺に、なにやら危険な香りがする男、おもわず眠気も吹き飛ぶいい女、あとはかわいらしい小娘と茶トラの猫。
なんとも奇妙な組み合わせの一行。
だがこれを見て慈衛「おっ、生意気に二人も女連れとは、ちょっと里を離れただけで、もう色気づきやがったか、この野郎」なんぞと言い出した。
もちろん戯言だ。鈍牛に女遊びなんぞ出来ないのは百も承知。適当にからかってみただけのこと。
だがこの場でそれは、ない。
幼馴染み同士の感動の再会。それを心中複雑にて見守る二人の女。
場の空気をまるで読まない慈衛の発言は、せっかく表面上だけは静まっていた水面にドボンと石を投げ込むかのようなもの。
仁胡に抱きついていた小夜が、後ろの二人の存在にようやく意識が向いた。
六尺越えの青年を中心にして、お良、七菜、小夜、女三人の視線が交差する。女たちが互いのことを認識したとたんに、現場にはなんともいえない緊張感が発生。一触即発とまではいかないが、なにやら剣呑剣呑。
段蔵と甚内、雲行きが怪しくなったと察し、にやけ顔を引っ込め、さりげに二歩ほど下がって身の安全を確保。
鈍牛とあだ名される仁胡。器用に数多の雑用をこなすものの、あいにくとその道にはからっきしにつき、「えっ、何、どうしたの」とうろたえるばかり。
なんとも居たたまれない雰囲気を造り出した張本人は、女たちの変化にまるで気づいていない。
これを見かねて動いたのは珠。
「ほら、二人とも。いつまでお客様方をそんなところに立たせておくつもりだい。仁胡はとっとと洗い桶の用意をしな。それから小夜は手拭いを持っといで。あとみなさまをおあげする部屋の準備も」
珠が矢継ぎ早に指示を飛ばすと、はっと我にかえった小夜と仁胡もあわてて動き出す。
おかげで修羅場は回避された。
それから珠「ちょいと失礼」と一同に断るなり、手慣れた様子にて夫の耳をひょいと掴む。
「いだだだだ、やい、何をしやがる」
「いいから、あんたは、ちょっとこっちへ」
怖い笑顔にて奥へと引っ立てられていった芝生慈衛。
「いたい、いたい、そんなに引っ張ったら千切れるから。ちょっと、まて、ほんとやめて、あーっ」
廊下の奥から聞こえる悲痛な叫び。
それを上がり框(かまち)にて耳にしていた四人。
「なぁ、あれが芝生慈衛ってことは、ここの頭領なんだよな?」と加藤段蔵。
伝説の瞳を宿す鈍牛を輩出した、いにしえの血を受け継ぐ一族。だからそれなりのものを想像していたのだが、ある意味想像以上であったので、心に浮かんだ疑問がついつい口を出る。
「……そう聞いておる。じゃが、あの分では実権は奥方が握っておるな」とは田所甚内。とりあえず一族のこととか、詳しい話なんぞはあの女房を通した方が良さそうだと考えている。
「アレがあんなむちゃな命令を出した頭領かい? たしかに見るからに阿呆そうだった。あんなのに真面目に仕えている、あの子がわたしは不憫でならないよ」
仁胡が信長の首をとってこいと命じられたことを知るお良。
彼女はこれまでの彼の苦労を想像し、おもわず目頭が熱くなる。零れそうになった涙を着物の袖でそっと拭った。
「まさかの幼馴染みの登場……、これは強敵だね。でもわたしは負けないから」
むふんと鼻息荒く、密かに気合を入れ直していたのは七菜。
安土はすでに焼け野原にて、職を失い、故郷に戻ったところで名前の通り、七人目の子どもなんぞに居場所はない。のこのこ帰ったりしたら、最悪、身売りされてしまうかも。
ゆえに意地でも鈍牛を離してなるものかと、乙女は決意を新たにしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる